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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

今の私の【立ち位置】

2006年01月11日 | 至福の花
一昨年の暮れに、Blissさんが、足壺マッサージなるものに誘ってくれました。今にして思えば、それがきっかけで、私の生活は大きく変化し始めていたことになります。足壺マッサージを受けるのは初めての体験でした。銀座にある、その足壺マッサージ店の技術者の技術の確かさと優しい雰囲気にひどく感動して、しばらくは通いつめましたが、事業拡大のための移転を理由に、そのお店が一時的にではありますが、閉店するということを突然、知らされた私はひどいショックを受けました。(もうとっくに再オープンしています。)3ヶ月ほど先の再開まで待てそうになかったので、そのお店のチェーン店を探して、銀座から下町の足壺マッサージ店まで、当座の間に合わせに、通ってみることにしました。下町のマッサージ店での手技には、しばらくして、限界を感じてしまったのですが、そんな頃、タイミング良く、Blissさんが、今度はカイロ治療のセンターを紹介してくれました。カイロプラクティックという治療法があることにも疎いほどの私でしたが、それだけに期待感も大きかったと思います。カイロは普通のマッサージと違って、揉み返しがないので助かります。この辺で、話を元に戻しますと…足壺マッサージとの縁はそこで切れたのですが、足壺マッサージ店の店長さんの情報から、気功を始めることになり、その気功教室が導入したアロマを使用するようにもなって、アロマの世界の扉を開けることになったのです。思い起こせば、こうしたすべての流れの基点はBlissさんにあるのでした。もちろん、きっかけが与えられても、自分が、その情報をそこでぶつ切りにしてしまえば、それはそれなりで終わっていたのですが、そして、それは、どの道を選んだから良かったとか悪かったとか判断できるようなものでもないのですが、少なくとも、一昨年の暮れまでの私と、現在の私では、まるで別人のように、自分の人生を自分の力で創造しようと考え始めているのです。そして、今までは自己完結的に生きていたのに、今では、人々との関わりを大事に育みたいなどと、それまでの私には考えられなかったような境地にも巡り会っているのですから、私にとっては、この道は大いなる希望に繋がっているもののように思えます。こうした道を(例え意識はしていなかったとしても…)私に示唆してくれたBlissさんには感謝の気持ちを持って、‘Bliss大明神’と手を合わせたくなります。Blissさんは、私にとって、とても不思議な存在であり、何かの‘ひらめき’を運んできてくれる人なのです。(立ち位置というタイトルなのに、眠ることと妖精が好きな私は、やっぱり、妖精が眠っている画像を選んでしまいました。立ち位置の実態を表現するのに、その内実のイメージを、最も忠実に表現してくれている画像なのです。)
本格中国式マッサージ専門店**足壺健香庵** ←【Hanakoエステチームが選んだ、今年のベストエステ特集】11月30日発売 863号でデトックス部門グランプリに選ばれたほどの優良店です。

はてな?

2006年01月10日 | 日々の泡
カイロの治療を定期的に受けるようになってから、早いものでもう10ヶ月近くが経とうとしています。症状は当初に較べれば、雲泥の差で改善しているのですが、この現実を、身体の方がなかなか認めようとしてくれません。元の状態に戻ろう戻ろうとする力が働くのです。ともあれ、カイロの先生に、施療中に突然、次のような質問をされました。「何が変わりましたか?」最初は質問の意味が分かりませんでした。けれどすぐに、身体が楽になったことによって、生活にどんな変化が起きているかという質問だと理解しました。「思いつめなくなったと思います。」言葉が勝手に口から出ていました。答えてから、自分で、「へえ、そうなんだ。」と感心しました。「何事も、どうでもいいと思えるようになったかもしれません。」その言葉に、カイロの先生は慌てて、「嫌々、そんなことはないでしょう。」と応じていましたが、何事もどうでもいいというのは、自分としては、一つの答えにこだわらなくなったということの裏の意味で使っていました。剥きにならなくなったというか、どうにもならないことはもう、仕方がないと、諦めるということではないのですが、別の角度から、眺めてみようと思えるようになったということの、言葉を変えた表現のつもりでした。こだわればこだわるほど、思いつめれば思いつめるほど、物事は自然の流れから遠ざかっていきます。種は蒔きますが、刈り取りを焦っても、自然の摂理に逆らうことは出来ません。果報は農作物と一緒です。収穫は時期が来なければ、どんなに焦ってみても手にすることが出来ないように、果報も同様に、もしやってくるものならば、きっと忘れた頃にやってくるものなのだろうと思うようになっているのですが…。どうなんでしょうか?

ブログ情報

2006年01月09日 | 日々の泡
新しい年を迎え、気分も新たに、ブログのタイトルを変更しようと思いつき、ブログ情報の設定変更を行ったのにも拘わらず、どうしても、エラー表示が出続けてしまうため、goo事務局にメールにて、当方の‘うまくいかなさ’の状況説明をし、どのような手続きが必要なのかを質問しました。タイトル変更が出来ない…という不具合に気づいたのが、1月1日でしたので、私から、質問を送信したのも1月1日でした。goo事務局から、初回の返答が届いたのが、仕事始めの1月4日でした。その後の、メールでのやり取りは、私の方が5回、goo事務局からが6回ですが、goo事務局からの5回目のメールで、今回の、私の場合の、不具合の原因の詳細が伝えられました。こちらとしても、数回にわたって、うまくいかない状況をかなり詳しく説明しなければなりませんでしたが、事務局の方も、辛抱強く、解決に向けて、力を貸してくださいました。これが、電話でのやり取りが可能ならば、画面を見ながらのシミュレーションで、1回で解決できるようなことなのでしょうが、何しろ、メールのみの手段で、解決にまで漕ぎ着けなければならないのですから、双方共にかなりの辛抱が要求されます。けれども、親切で、丁寧な態度はさすが民間!と感心しました。今回、goo事務局の方には大変お世話になりました。 最後に、控えめながら、「goo」のことを周りの方々にも是非勧めていただければ…とのメッセージがありました。皆さんも、「goo」ブログのことを、これからも、末永く愛してあげてください!

ホリエモン

2006年01月08日 | my favorite・・・
ここにきて、急速に、「ホリエモン」こと堀江貴文社長が、また一段と脚光を浴びてきている…と思っているのは、私だけで、それはひどい認識不足を露呈しているだけなのかもしれません。彼がどういう人物なのか、正直言って、今まではよく分かりませんでした。(今も分かっているわけではありませんが…)昨年の「流行語大賞」では、フジVSライブドア騒動の中で、堀江氏が連発した‘想定内(外)’という言葉が‘小泉劇場’と並んで、大賞を受賞しています。新春早々から、テレビでは社長自ら、‘Livedoor AUTO’のCMで「開店!開店!」と繰り返して、くるくる身体を回転させながら、自社の新しい事業展開の宣伝をしてします。近いうちに、歌手デビューをするという情報も、芸能ニュースで流れていました。一昨日、放送された、「幸せの宝法」では、細木数子さんと、堂々の対談を繰り広げ、細木さんをして、これからの日本の経済界をリードしていく人材だと言わしめています。彼は非常に頭脳明晰で先を読む力のある人だと思うのですが、いわゆる‘腹芸’をしないし、根が正直で、変な隠し立てをしないので、考えていることが、私のような凡人にも、比較的理解しやすいのでとても助かります。気取ることなく、‘何でもあり’の哲学で、生産的なことならどんなことでもやっていこうとする姿勢に大いなる期待と好感を持ってしまいます。しかも、手柄をぜんぶ自分のものにしなくても、人がやってくれても構わない…という姿勢がとてもおおらかなので、開放的な人柄の波動をも伝えてくれます。ホリエモンについて書かれてあるJANJANの記事を読んでいて思ったのですが、ホリエモンの存在が、現代社会の閉塞感に対して、風穴を開ける役割を担ってくれているのなら、小泉チュルドレンの一人である杉村太蔵議員も、その一人になりうるかもしれないという気がしています。杉村氏は小泉首相に似たところもあって、現在、政治を本格的に勉強中なのだそうです。「この人、意外に、化けるかもしれませんよ。」とある評論家が言っていました。杉村氏など、ご自身でも「自分は、ニートに極めて近い存在」と言っているように、昨日までは一介のヒラリーマンだった(これは杉村氏自身がそう言っていることです。サラリーマンを揶揄しているわけではありません。)人が、一夜明ければ、国会議員というようなことが可能である現実は、時代の息苦しさに一矢報いてくれる要因になりうるかもしれません。
ビジネス・トライアングルに立ち向かった若者――「ホリエモン」への期待
杉村太蔵 ブログ - 自由民主党

本格派タイレストラン

2006年01月07日 | my favorite・・・
ある日の宵、友人と‘本場タイ国料理’なるものを食しました。確かに癖のあるそのお味には本場の味わいがありましたが、破格のお値段…というわけにはいかなかったと思います。(尤も、粗食を旨とし、ほとんど外食をしたことがない私には相場のお値段が分かりませんので、人によっては格安と判断されるかもしれません…)でも、ランチでなら、一度は試してみる価値あり!です。ランチはとてもリーズナブルな価格設定になっていますし、日替わりメニューではなく、すべてのメニューにランチ版が用意されているのがgood!です。お口に合わなくても、ランチですから後悔はないこと請け合いです。

タイ国料理 バンタイ・新宿歌舞伎町の本格タイレストラン

現代社会の三大病

2006年01月06日 | 日々の泡
とあるところでとある話しを聞いていた折に、「WHOでは、現代の主たる3つの病をがんとエイズとうつであると提唱している」という話題が出てきました。が、その時はなるほどとは思ったものの、さらっと聞き流してしまっていました。その後、ネットで検索したりしてみても、そのことについて触れてあるサイトを見つけることが出来なかったので、このことの裏づけとなる文献は見つけられなかったのですが、さもありなんと大きく頷いている次第です。つい最近、吉祥寺の駅前で、土曜日だというのに、都下の保健所の職員が「エイズ」の啓蒙のためのチラシを配布しているのを目にしました。公務員が休日に仕事をするということは、このご時世ですから、余程の事情がなければ認められません。平日の超過勤務にさえ厳しい縛りがあります。もしかしたらボランティアとして出動していたのでしょうか?いずれにしても、事態はそれほどに緊急だと言えそうです。もう一つはうつのことです。今や、うつの問題も、職場のメンタルヘルスなどという生易しいことを言っていられる場合ではなくなっているようです。うつを我慢して仕事をしていても、必ず、「もうこれ以上は耐えられない!」という局面を迎えてしまうものです。そうなると治療が始まりますが、治療が一段落すると、リワーク(リターンワーク)と言って、職場に戻るための復帰訓練プログラムが始まります。(そのプログラムがある機関も限定されています。)うつは必ず直る病気と言われてはいますが、療養に専念できる環境は常に提供されるとは限りませんし、そうした事態に見舞われた人にとっては回復への道のりはやはり困難感を伴うものだと思います。病気とは原因も単一のものではありませんが、ある部分、生き方が反映されて生じるものでもありますし、その個体を象徴しているものでもあります。大変な時代なのだということを突きつけられた気がしています。自分の御身と心をもっともっといたわらなければ、普通の暮らしさえ安穏とは出来ない世の中になっているのでしょうか?毎日のように、凶悪な犯罪も起きています。当たり前に、何でもなく生きていくことが困難な時代になっていることを感じているのは、私だけでしょうか?
日本ユニセフ協会・キャンペーン
HIV感染症/エイズとは 性病についてのお悩み解決サイト
API-Net(AIDS Prevention Information Network) エイズ予防情報ネット
厚生省・エイズ治療薬研究班
UTU-NET うつ病、パニック障害、強迫性障害(OCD)情報サイト
うつを知る、うつを治す、うつを見守る。うつ病情報サイト

関係を繋げる言葉

2006年01月05日 | my favorite・・・
別れの挨拶は再会の緩やかな約束だと言っている人がいます。「そうなのかもしれない」と思いました。「夢の途中」という曲をご存知でしょうか?来生たかおという人の曲です。この曲の‘さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うための遠い約束’という歌詞が大好きです。英語ではさようならのことを「See You Again!」といい、中国語では「再見(サイチェン)」といいます。再び会うための(取り敢えずの)別れの言葉ということなんですネ!次の逢瀬をイメージ出来る言葉、繋がっていく関係をイメージ出来る言葉を贈れるようになりたいものです…。

『あなたが私を好きだった頃』

2006年01月04日 | 読書
不思議なタイトルだと思いました。『私があなたを好きだった頃』ではなく、『あなたが私を好きだった頃』だなんて…。人は普通、自分の感情になら、一応、責任を持てる立場にありますが、人の感情は、自分があれこれ語ることの出来る領域にはないものだからです。たとえ、「あなたが好きだ!」と言われたことがあったにせよ、『あなたが私を好きだった頃』はないだろう…というのが、私の率直な感想でした。次に、感じたことは、これは回想録なのだろうなぁ…ということでした。『好きだった頃』ということは、今は同じ状況にはないということを暗に示しているからです。そして、本を開いて、活字を追ううちに、ますます、もっと不可思議な感覚に包まれていきました。井形慶子さんの書いたものとは思えなかったからです。かつての彼女と、最愛の彼との日々を回想して綴っていますが、その筆致は極めて幻想的で、文体にも、時の経過を踏んで語られるこの二人の関係の展開にも、まるで霞か靄がかかっているかのように、幾層にも膜が被せられていると、私には感じらたからです。井形さんは、二人の関係は愛に満ちたものだと表現していますが、私にはとても壊れやすいひりひりしたものにしか見えませんでした。それは、およそ成熟とは程遠い、お互いの稚拙な感情交錯の行き違いにしか過ぎないもののように見えてしまうのです。井形さんの不安がマックスの状態になっているにも拘らず、関係は揺ぎないものだと言葉で説明すればするほど、井形さんの内的現実と彼の気持ちを含む客観的な外的現実との乖離がはなはだしいものになっていき、文体を曖昧なものにせざるを得なくなっているのだとしか思えませんでした。やっぱり終わりが来た…というなり成り行きなのだなと理解していると、そうではなかったという流れになり、井形さんが、彼の人間としての素晴らしさを再認識するという結論に行き着くのですが、井形さんがどんなに、彼のことを褒め称えても、彼の人間としての等身大のイメージがどうしても私には伝わってこないのです。40代半ばの男性としての覚悟や賢明さが迫ってこないのです。確かに、仕事のポジションはそれなりの人なのでしょうが、女性に対する態度がこれでは余り情けない。きっと、仕事振りも、女性に対する態度と同等のものにしか過ぎないだろうとさえ感じされられてしまいました。(私は井形さんを誹謗中傷する気持ちは全くありませんが、井形さんの筆の力が、彼の描き方に対しては造形力を欠いているとしか思えません。)「ダメだ→そうではなかった→やっぱりダメだ→いやいや、そうではなかった。」このパターンが波のようにさまざまなうねりの高さで繰り返し繰り返し綴られていくのです。そうした井形さんの心のさざ波が、私にもある種の不安を蘇らせるのでした。普段は、明快で論理的にモノを言う人なのに、この違いは何なのだろうと、本を読み始めた当初には随分戸惑いました。井形さんは、彼とのこの関係において、別れの予感に常にさいなまれながら、彼の心が分からない不安に苦しんでいます。ところどころで友人のエピソードを挟みながら、話しを展開させていますが、ある友人の不幸な恋のエピソードの顛末について、「不幸を予測する彼女は、幸せに追いつけず、不幸に追いつかれてしまったのだ。」と分析していますが、これは彼女自身のことでもあるのではないかと感じられたほどです。けれど、さらに不思議なことが起こりました。先へ先へと読み進んでいくうちに、その文体の構成の独特なリズムに、私が、今度はある種の心地よさを感じるようになっていったことです。スピリチャル系の書籍を読んでいるような印象を持つようにさえなっていきました。最後の方には、私の大好きなシンクロニシティという言葉すら出てきたのでびっくりしたほどです。最終章でドクターカワカミという人物が井形さんに語りかける言葉が圧巻です。「君にこれだけは伝えておきたい。本当に悲しいこと、つらいこと、不幸や悲劇は実はこの世のどこにも存在しないんだ。嬉しいことや楽しいこと、悲しいことや辛いことはそもそもどこからやってくると思うかね。どこからもやってこない。それは、全部君が決めている。君が決めたときに『幸せ』も『不幸』も生まれてくるんだ。」「わたしがですか?」「そう、彼ではない。私でもない。君の心がすべての意味を決めているんだ。」井形さんは、長い、自問自答の苦しい日々の末に、ドクターカワカミの言葉をきっかけに、彼に電話をかけるという行動に出ます。そこで、この『あなたが私を好きだった頃』は幕を閉じています。井形さんの現在の夫は、福祉バスの運転手さんのはずですから、『あなたが私を好きだった頃』のあなたでないことだけは確かです。ですから、この恋の本当の結末のことは読者の想像に任されています。井形さんが彼に電話をかけてからの、その後の彼らの成り行きのことについては全く触れられていません。最後に「あとがき」で井形さんは次のように述べています。「仮に、自分を掛けることの出来る相手と巡り会えても、愛を貫く道は平坦ではありません。自分のことを振り返っても、他人の言葉によって信じていたものが揺らいだり、確信を持っていた愛がかく乱されるなど、相手へのこだわりが強い分、不安が募っていきました。そのたびに彼を知る前の自分は、どれほど平安だっただろうと、よく考えたものです。人を好きになって始まる孤独や不安は、一人で居るときより重くのしかかってくると気づいたのも、かけがえのない人に出会った時からでした。」ドクターカワカミは彼とのことで悲観的になっていた井形さんに次のようなことを語ります。「滝を考えてごらん。滝は出っ張った岩の上を流れ落ちる時、左右に分かれるだろう。障害があるからそこで二つに分かれるんだ。だけど流れはいつか、行く先で合わさる。分かれた水流は一本になって、また元に戻るんだ。」人と人との縁、結びつきは、簡単に出来上がったり壊れたりするものではない。それは男女の間柄にも当てはまる。人が考える時間軸と人生の時間軸とは全く別物だ。基盤のある人間関係は、流れていく滝のようにそれが遠い先であっても、いつかは元に戻るのだ。ただし、それに気づかないままどこまでも流されていく人が余りにも多い。」と。ドクターカワカミの言葉を受けて、井形さんは最後の最後に、次の言葉で、この本を締めくくっています。「見失ったものを諦めることは、一見とても潔く、幸せになる近道のようにも思えます。けれど、諦めない道を選択する生き方に今、多くの人が輝きを見出そうとしていることも、また事実なのです。そんな生き方を貫く勇気と純粋な気持ちは、誰かを深く愛する紆余曲折の日々に見えてくるのかもしれません。」 読者である私は、「諦める・諦めない」は状況や人によってさまざまであっても仕方がないと思っています。諦めたくなくても、諦めざるを得ない場合もあります。どちらがいいとは簡単に言い切れない複雑な事情が、人それぞれの背後には必ず潜んでんでいるからです。人間関係が滝のようであるという比喩も、そうかもしれないし、そうでないかもしれないとしか言えません。何故なら、今日的な複雑な現状がそれを許さないこともあると想像されるからです。それに、時は一刻も留まることを知らずに流れているし、人の心も成長し続けています。悲しいけれど、再び合流することだけが最善の道ではありません。お互いの成長がでこぼこ状態にあれば、もう再びの逢瀬は叶わないでしょう。けれど、基盤のある人間関係の大切さや、そうした関係はそんなにたやすくは破壊されるものではないという見識には感動しました。これまでの私は、このことに対して非常に懐疑的でしたが、今では、基盤のある人間関係の‘パワー’を信じたい気持ちで一杯です。
Amazon.co.jo『あなたが私を好きだった頃

悪夢

2006年01月03日 | my favorite・・・
いっとき、夢分析というものを受けていたほどに、私は、夢には一方ならぬ興味を抱いています。その当時、私の夢を分析してくれていた人は、‘気づき’のセンスが抜群で、ばらばらな夢のカケラを繋げることに巧みな技術(感性)を持っている人でした。では、そんな体験が、私の人生に何らかの現実的で有益な‘良き事’を運んできてくれたかというと、夢を解釈してもらうことには、(面白がってやっているという)趣味以上のほとんど何のメリットももたらしてはくれなかったと思っています。その時は必死でしたが、今になって振り返ってみると、それはとてつもなく非生産的であるからこそ、とてつもなく(苦しくても…)豊かな作業でもあったという、それだけの意味合いのものでした。けれど、無意味で高度な未知の遊びに夢中で取り組むという稀有な体験は純粋な楽しみと今までにはなかった独特の感覚を運んでくれ、その後の私の、人生に対する捉え方を少しずつ変えていくものでもあったように思えます。私は、自分にとっては深い意味を持つけれど、一般的、世間的には、使い物にならないような、道楽と言われても仕方のない、お金のかかる体験を自ら買って、山ほどしてきました。やむにやまれぬ内的な促しのままに心の旅を続けてきたわけですが、もう二度と、同じような体験を繰り返すことは出来ないでしょうから、今では、私にとっては、それらの数々のガラクタの山とも言うべき体験は、私独自のかけがえのない貴重な財産にもなっているのです。精神的な病において、悪夢を見続けることは自律神経の揺れを示すもので、症状が好転していく徴候だと言われる先生もおられますが、私には、この辺の事情はまったく分かりません。いい夢も悪い夢も、夢自体の内容云々ではなく、その夢を見た人がその夢を見たことで、どういう感情に捉えられているのか、どういう情動を体験しているのかということの方にポイントが置かれるはずだと思っています。ところで、ひどい悪夢を見ました。天まで届くかと思われるほどの(幅が狭くて)高く聳え立っているコンクリートの上にへばり付いている自分がいました。怖くて怖くて立てないのです。立てば眩暈を覚えて、たちどころに地面に落下してしまうでしょう。しばらくは這いつくばって前に進んでいましたが、幾らそんなことをやっていても埒が明かないことにすぐに気づき、何を思ったか!果敢にも、私は、立ち上がった途端に、地上めがけてジャンプしたのです。普通なら助かりっこないのですが、舞うように、無理なく、何度かの緩やかでゆったりとしたフライングの後に、大地の上に、難なく着地していたではありませんか!怖い怖いという恐怖心を抱いていた人間の仕業とはとても思えない大胆な行動でした。悪夢ではありましたが、目覚めた時には、‘九死に一生を得る体験をした’いい夢だったという感想を抱いていたのです。幸運な夢だったとすら感じていました。

ALWAYS 三丁目の夕日

2006年01月02日 | 映画
この映画の影響もあってか、昭和ブーム到来の感があります。何故今、昭和か?ということで、昭和33年頃の景観や昭和のあの頃の人々のあり方などがクローズアップされていますが、この取り上げられ方が‘昔は良かった’式の懐古趣味で終わってしまうのだとしたら、この映画が作られた意味が半減してしまうでしょう。‘携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう’というキャッチフレーズが示すように、本当に画面一杯に、生きていくことの喜びと哀しみが余すところなく表現されています。文明の利器がなくても、みんな押しなべて生きることに退屈している様子はないし、どこか(庶民の哀歓を秘めながらも)とても楽しそうでもあります。あんなにステキな牧歌的ともいえる町並みは、今はもうなくなってしまっているけれど、あんなにゆっくり流れる時間や素朴な生活もなくなってしまっているけれど、じゃぁ、あの頃、生きた人々が備えていたものを、今を生きる私たちが失ってしまっているのかといえば、私はそうではないと思っています。今だって、同じ心を同じように持ち合わせているはずです。「俺とお前は縁もゆかりもないただの他人なんだぞ!」何かというとそんな言葉を口にしながらも、吉岡秀隆演じる茶川竜之介は親に捨てられた淳之助役の子役と徐々に絆を深めていきます。性善説や性悪説のどちらか一辺倒では人は語れません。人は状況次第で、いい人にも悪い人にもなりえます。いい人だからとか時代が良かったからという言葉では何も語れないと思うのです。人と人とが固い絆で結びつくには、あるいは深い縁で繋がり合うには、恐らく何らかの仕組みや仕掛けが必要なのではないでしょうか?仕組みや仕掛けは一律のものではなく、ケースバイケースで異なるものなのでしょうが、恐らく愛情深いとか慈悲深いとかだけの理由ではなく、人と人とを、時間という制約を越えてまでも結びつけるための魔法の仕掛けというものがあるはずだ!と、この映画を観ながら、それが何なのかを、私は考え続けていました。それにしても、俳優さんたちの演技がどの人をとっても、ため息が出るほど、本当に素晴らしかった!です。だからこそ、あのwonderful world=夢のようなイリュージョンが胸に迫ったのだと思います。涙あり笑いあり。そして、涙も笑いも共に暖かいのです。
ALWAYS 三丁目の夕日