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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

わがまま者

2007年02月11日 | my favorite・・・
最近の私は、自分のために、わがまま放題に生きています。それでも、この流れを阻止するどんな要因も現れません。表面的には、従来どおり、従順で素直な私だからかもしれません。が、それとても無理をしてそうしているわけではなく、それが自然だからそうしているまでです。

実は、自分の意思がない人形のような人間だと思われていた時代もありましたが、心の奥底には、決して人の言いなりにはならない反骨精神が宿っていて、ここぞの時には、その‘小さな反逆児’が顔を出します。でも、誰も、それが私の本当の意思だとは気づかないのです。裏で糸を引いている親玉がいるはずだと(人には)思われるくらい、「私の中の天邪鬼」は私の身のうちに存在しているものとは想像されにくいのです。

本当の私は、容易に人の言うことを聞くほど、簡単な人間ではないのです。それが、人からは優柔不断で迷いの多い世間知らずの人間に映るようなのです。

シトロネラ

2007年02月01日 | my favorite・・・
左の画像がシトロネラ。右の画像はマグノリアです。

台湾製の漢方アロマは確かに使い心地がとてもいいので、偏頭痛持ちだった(毎晩のエッセンシャルオイルの燻蒸と、この漢方アロマのおかげで随分と辛い症状が改善しています。)私は漢方アロマの「マグノリア」を中心に首筋から肩にかけていつもいつもいい気になって塗り捲っていました。けれど、ハイテクオイルと称する100%純粋のフランス製の精油も、ミントなどはとてもすっきりとした使用感なので、ミント以外のハイテクオイルもいろいろと使ってみることにしました。それぞれのアロマの効能を読んでいたら、シトロネラが私には合っているのではないかと思われたので、ここ数日試しています。

漢方アロマは独特の匂いがありますので、慣れてくれば、まことに馴染み深い匂いとして、自分としては違和感なく使えるようになりましたが、匂いへの感受性は人によって様々なので、あるいは周りの人の迷惑になることもあるかもしれないとも思っていましたが、シトロネラに関してはそのような心配は不要だと分かりました。

職場で気分転換に、首筋にシトロネラをつけた途端、隣の席の人が思わず、「ああいい匂い!」と叫んでいました。トムヤムクンの匂いだと言うのです。正確にはトムヤムクンには入っているレモングラスの匂いなのです。使用感もさっぱりとしていて、塗りすぎると皮膚がヒリヒリするくらいになりますので、ほんの少し付けるだけでOKです。あまりにもいい匂いだったので、「電話の受話器に少し塗って欲しい。」と言われてしまいました。

首筋の凝りや偏頭痛にいいばかりではなく、心の動揺を抑え、気持ちを落ち着かせることにも一役買ってくれます。香りを楽しむなどという高尚な趣味は持たない私ですが、身体が自分に不足している何かを(香りを通して)欲しているというサインに気づくようになっています。

メール好き

2007年01月18日 | my favorite・・・
メールは送るのも貰うのも大好きです。記録に残るし、一度送ってしまったものは取り返しがつかないから苦手だという人もいますが、取り返しがつかなくても、記録に残ってしまっても、それでも、私はメールが大好きです。パソコンメールも携帯メールも好きであることに変わりはありませんが、携帯メールの簡便さはひとしおです。それにライトな感覚で、気持ちをやり取りできることの楽しさは人と人との関わり方に今までとは別バージョンの構造をもたらしてくれたと思っています。メールを受信する時の着信音の音色や携帯本体の振動を耳たカラダに感じた時の幸福感は携帯を持ってみて始めて知りうる醍醐味でした。大好きなあの人と、この人とダイレクトにかつパーソナルに繋がっていられる…という感覚は何物にも変えがたい喜びです。

携帯電話・携帯メールの機能を考えついて、それを一般の人々が日常生活の中で当たり前のように無理なく使えるものにまで商品化した人はすごいと思います。こんなに便利で生活の質を一変させてしまうようなものならば人々に受け入れられないわけがありません。私たちは携帯を買わせられているとは通常は考えもしません。たとえそうであったとしても、補って余りある恩恵を被っているのですから、このビジネスは供給者側にも需要者側も共に、win-winのバランスをもたらしてくれているわけです。私が手がけるビジネスもやがてはこうした展開を迎える日が来るであろうことを願っています。

生花のコサージュ

2007年01月03日 | my favorite・・・
私の母はもうとってもいいお年頃なのに、仲のいい旧友が多くて、友人たちとの交流に毎日大忙しです。

友人たちの住まいは東京だけではなく、あちこちに分散しているにも拘らず、誰かが声をかけると、皆が気軽にすぐに集まってくるのです。「この指止まれ!」という名称の旅行の会もあったりして…遊び上手な元少女たちは今も意気盛んです。

そうした友人の中に、ダンス好きの人がいて、毎年一流ホテルでダンスの会を主宰したりして、1年の成果をお披露目したりする場合も必ず招かれています。自分は踊れないくせに見るのは大好きだから嬉々として出かけて行きます。先日は藤沢に住む友人のダンスパーティに招かれて遊びに行ってきました。

画像のお花は、その友人のお弟子さんたちが用意してくださったお土産用の生花のコサージュです。(フローラルウインズというフラワーショップのお花でした。)よく見ると、一つ一つのお花や沿えてある緑の葉物が凛としているのが分かるのです。見ているだけで、それぞれのお花の息吹や囁きが聞こえてくるような感動を覚えるのです。アレンジもとても素敵で、素材のそれぞれの持ち味が絶妙のバランスで生かされています。ラッピングの紙の質感や色、使ってあるリボンの細さや色合いなどの微妙なニュアンスにも良質のセンスが漂っています。何よりも、何日たってもお花が全然傷まないのには驚きました!仕入れをする人のお花を見る目の確かさがしのばれます。

お花を見ていてこんな気持ちになったことは初めてです。お花に関わっている人たちの心意気が、手渡された人の心にもきちんと伝わるのですね。裏を返せば、手を抜いた仕事はすぐに見破られるのだろうな…ということへの気づきです。仕事とは…と言うことが最近の私の主要なテーマでもあるので、つい、そうした観点から物事を眺めがちなのですが、世の中にはちゃんとした仕事をしている人がいるということをこんなところでも実感できて、しみじみとした幸せな気持ちになりました。

私は、お花のある暮らしはしていませんが、周囲には数人のお花好きの人がいてくれるので、時々は生のお花から新鮮な波動を貰うことができています。

Floral WIND'S

SWAROVSKI

2006年12月24日 | my favorite・・・













スワロフスキーのクリスマスバージョンのネックレスを買いました。

韓国ドラマの「冬のソナタ」の中では、polaris(=北極星)が象徴的に描かれていました。「天国の階段」もそうでしたが、韓国ドラマでは、ストーリーの展開の中にネックレスやストラップなどがうまく組み込まれているので感心することが多いです。「天国の階段」で、使われていたネックレスのフェイク物を御徒町のとあるお店でたまたま見つけて購入したこともあります。

「冬のソナタ」のpolarisネックレスは大久保の韓国ドラマ御用達のショップで数年前に入手しましたが、付けて見るとあまり見栄えがしないので、ほとんど使用したことはありません。

スワロフスキーのネックレスには星が2つ付いていて、涙のしずくのようなチャームがところどころにあしらってあります。モデルさんがまぶたとまつげのところに星屑のようなシルバーのラメ(?)を散りばめてメークアップしているチラシに魅せられてしまいました。

鎖の部分で長さが調節できるので、チョーカー風にも使えます。星と涙をクリスタルで繋ぎ合わせたネックレスを首に付けるとせめてデコルテのあたりにだけでも幻想的なクリスマスの荘厳さが漂うような気分になります。

少女のような美樹さん

2006年11月13日 | my favorite・・・
NHKのスタジオパークに出演された今井美樹さんのトークは圧巻でした。柔らかくて穏やかな語り口。気取らない正直な人柄。自分の辿ってきた道すがらの様々な思いを気取りも衒いも飾りもなく淡々と、それでいて真に迫る迫力で手振り身振りで表情豊かに話されていました。

生き馬の目を抜く厳しい芸能界で、順調に楽々と歩んでいるように見える人でも、人間の生きるという‘営み’の過程はやはり苦しみに満ちたものに変わりはないということが分かります。「いつ死んでも悔いのないように生きよう!」と思い定めていた頃に、今の配偶者である布袋さんに出会います。布袋さんによる楽曲‘pride’をプレゼントされた時、嗚咽してしまって涙が止まらなかったそうです。自分でない他人が、何故、こんなに自分の今の心境を言い当てられるのか。表現できるのか。そんな思いが胸に迫ったそうです。

今までには知らなかった音楽の世界を目の前に展開してくれる人…布袋さん。彼の素晴らしさを美樹さんはあらゆる言葉で表現しようとします。溢れるように単語が出てきます。両極端の音楽的な価値観を併せ持つ布袋さん。幾ら言葉を尽くしても、布袋さんの素晴らしさを表現し尽くすことはできないとばかりに美樹さんは寄せては返すさざ波のように、繰り返し繰り返し、思いを(時には大きく、時には静かに)溢れさせていきます。

途中から、感動で私は胸が苦しくなってきました。目を見張るような思いで美樹さんの存在を感じていました。恐らく、二人のアナウンサーも同様の気持ちだったと思います。あんな風に、夫を語るヒトを見たことがありません。それは、今となっては夫になった人ではありますが、きっと、彼女の命の救済者であり続ける人なのだろうということは想像に難くありません。

スタジオパーク これまでのゲスト

「君がそばにいても 僕は君が恋しい」

2006年11月01日 | my favorite・・・
韓国の国民的詩人リュ・シファさんの詩集「君がそばにいても 僕はきみが恋しい」が、拉致被害者の蓮池薫さんの翻訳で先月の下旬に出版されたようです。

それにしても、「君がそばにいても 僕はきみが恋しい」などという心のありようを知っている人がこの世にそう多くいるとは思えません。

そこにいない人を恋しがることは誰もが思い当たる感情だとは思いますが、そこに、その人の存在があってもなおかつ恋しいという切実な恋情…

でも、私にはこの‘感じ’この‘感覚’、そして、その状況が私なりにはとても良く分かるのです。手にとるように想像できるのです。こんなふうに、人を思い、そんな自分をもいとおしみながら生きていけたら、それはとても大きな幸せだと思えます。

君がそばにいても 僕はきみが恋しい

ハロウィン

2006年10月19日 | my favorite・・・
友人から届いた10月のお花はずばりハロウィン仕様です。文句なしに楽しく可愛い仕上がりです。黄色のグラデーションが‘元気’を誘います。

風水的にも、黄色は活力を蘇らせる色のようです。「黄色い花はプレゼントに最適」そう言いながら、私の家を訪れる時には、いつも黄色いガーベラと白のかすみそうをアレンジした生花を携えてきてくれる人がいます。黄色い花を見るたびに、「元気をもらっている」感じがする私です。

書く女

2006年10月16日 | my favorite・・・
二兎社の芝居は一体いつ頃から観るようになったのでしょう…もう思い出せない位、昔のことです。忘れもしません。雑誌HANAKOに掲載されていた宣伝広告の「あなたを忘れたい」という題名に惹かれて劇場に足を運びました。現在の二兎社の主宰は永井愛さん一人ですが、当時は、NHKの大河ドラマの脚本家としても有名な大石静さんと二人で主宰していて、早変わり二人芝居がそれはそれは面白く楽しく、気の利いたシャレた舞台でした。

永井さん一人になってからの舞台は、とてもシリアスになって作風の印象が様変わりしました。それまでの明るくおしゃれで哀愁に満ちた胸の痛くなるような舞台から社会派としての骨のある舞台へと変化していきました。永井愛さんは一人になっても撤退せず、孤軍奮闘の末、毎年のように演劇関連の由緒ある賞を総なめにするまでにビッグになられたのです。

私だけの偏った見方になるかもしれませんが、二兎社は昔から、女性の生き様を主軸に描いた舞台が際立って光っていたように思います。どんな困難があっても、それを背負ってしまったことに対する言い訳をせず、抱えてしままった矛盾から逃げずに進んでいく女性の意識を主題の一つにしていました。

今回の「書く女」は樋口一葉を主人公にして、小説の師である半井桃水や家族(母と妹)、歌塾の先生や女友達、幾人かの青年文士たちとのやり取りを中心にそれぞれの人物像が浮き彫りにされてゆきます。

私は演劇通ではありませんので、演出のことやお芝居の出来栄えについての専門的な批評はできません。ただ、寺島しのぶさんの鬼気迫る演技はやはり素晴らしかったと思えますし、周りを固める役者さんたちも力量のある方たちばかりでしたので、優れた見ごたえのある舞台空間の中に身を置けた感動を味わえたと思っています。

舞台の最終盤が一番のクライマックスでした。どん底の貧困状態にもめげず、その状況を持ちこたえた一葉でしたが、恋焦がれた桃水との恋の成り行きにおいては、とうとうどんなカタチも見ずに終わります。いろいろあったけれど…最後に一人一人の人に、一人一人の人の存在と向かい合ってお礼をいう場面があります。今では死語にもなっている感謝という言葉を思い出させます。その場面は、私にとっては見所の一つでした。圧巻でした。

現代では、あまり切実な問題としては取り上げられなくなりましたが、男女の立場の違いで、男性には許されることが、女性には許されなかった時代の、女性が抱える忸怩たる思いが吐き出されるシーンがありました。文言の一字一句を覚えているわけではないのですが、男性に許されることのすべてを、女性も同じように(それはおおっぴらには行わないとしても)やってしまえ…(こんな乱暴な言い方ではなかったとは思いますが、私の心の中には、このような勢いで入り込んできました。)そんなニュアンスのことを一葉が語る場面に、私はひどく感動しました。ここでは男女の対比で表現していますが、このことは男女の問題だけには留まらない問題だと思います。

誰かにできることを「あなたはしてはいけない」とか「あなたにはできない」とは言われたくない。「あなたにはできない。」という人の言葉に簡単に同意してしまうわけにはいかない。私の中にふつふつと湧き上がる思いでした。できないことは山ほどあります。人にはできることとできないことがあるのは当たり前なことは百も承知です。でも、自分がやりたいと思ったことが上手くいかないからといって、「あなたにはできない。」という言葉を容易に受け入れてしまったら、あまりにも自分が可愛そうすぎます。

舞台のセリフとは全然関係のない文脈にそれてしまっているのかもしれませんが、一葉の激しい言葉を耳にした時に、私の心の中に賦活された思いはこのようなものでした。芝居の中のセリフや役者さんの造形に触発されて、自分の身のうちに潜在している感情群の特徴を確認するのも楽しい経験です。

二兎社うぇぶ

シルバーアクセサリー

2006年09月27日 | my favorite・・・
ずっと探していた、‘栗原はるみさんのTチェーン’。どうしても探し出すことができずにとても残念な思いをしていました。ちょっと安手の感じで、雰囲気がそれらしいものを一時の気の慰めに使ってはいましたが、どうもイマイチの感を拭うことができないでいました。

ひと頃は指輪が好きで、指輪ばかりに興味が集中していたものです。イヤリングが好きで好きでたまらなかった時期もあります。ネックレスという表現より首飾りといういい方のほうがちょっとレトロでニュアンスのあるアクセサリーが思い浮かびます。今は、何故か首飾りが気になります。

素材はいろいろですが、この頃、天然の石にひどく惹かれるようになっているせいで、石が使われているものに目がいきますが、デザイン性が加わると、とにかく高価なので手が出ません。

先日、約束の時間までの空白を埋めるために、久し振りに、普段はあまり足を運ばないデパートのアクセサリー売り場を覗いてみました。いくら探し歩いても見つからない時は一切、気に入ったものには巡り会わないものです。それなのに、その日は、気になる首輪が2つも、私めがけて飛び込んできました。一つは紫系統の石を使ったもので、もう一つは手作りのシルバーアクセサリーでした。いずれも高価なものだったので、その日は眺めるだけでその場を去りました。

が、どうしても心の中に、それらの残像がこびりついていて消えないので、「よし。買うとするか!」と意を決して、気持ちが安定している日を選び、再び、それらの‘モノ’に会いに出かけました。天然石のネックレスの方は、何と!何と!誰かの元にすでにお嫁入りしていました。¥48000という値段がついていたと記憶しています。そんなに高価でも買う人は買うのですネ。残念な気持ちもありましたが内心はホットもしていました。いくら素敵でもやはり私には高すぎる買い物ですので、すでにそこになければ、悩みようもありません。もう一度目にして、その素晴らしさに触れたかったのですが、それは叶わないことでした。

もう一つのお気に入り。シルバーネックレスは、全て手作りなので、一つひとつの出来栄えがそれぞれに異なります。どれにしようか散々迷いましたが、(すずらんとカトレアと薔薇のモチーフのゴージャスなデザインモノとシンプルなものの中から)最終的には薔薇のネックレスを選びました。留め金で留めるタイプではなく、Tチェーンのように輪っかから通して首から下げる、このタイプのネックレスに、(栗原はるみさんの使い方を見てから)すご~く惹かれ続けているのです。

メリメロ