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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

メール好き

2007年01月18日 | my favorite・・・
メールは送るのも貰うのも大好きです。記録に残るし、一度送ってしまったものは取り返しがつかないから苦手だという人もいますが、取り返しがつかなくても、記録に残ってしまっても、それでも、私はメールが大好きです。パソコンメールも携帯メールも好きであることに変わりはありませんが、携帯メールの簡便さはひとしおです。それにライトな感覚で、気持ちをやり取りできることの楽しさは人と人との関わり方に今までとは別バージョンの構造をもたらしてくれたと思っています。メールを受信する時の着信音の音色や携帯本体の振動を耳たカラダに感じた時の幸福感は携帯を持ってみて始めて知りうる醍醐味でした。大好きなあの人と、この人とダイレクトにかつパーソナルに繋がっていられる…という感覚は何物にも変えがたい喜びです。

携帯電話・携帯メールの機能を考えついて、それを一般の人々が日常生活の中で当たり前のように無理なく使えるものにまで商品化した人はすごいと思います。こんなに便利で生活の質を一変させてしまうようなものならば人々に受け入れられないわけがありません。私たちは携帯を買わせられているとは通常は考えもしません。たとえそうであったとしても、補って余りある恩恵を被っているのですから、このビジネスは供給者側にも需要者側も共に、win-winのバランスをもたらしてくれているわけです。私が手がけるビジネスもやがてはこうした展開を迎える日が来るであろうことを願っています。

運も実力のうち

2007年01月15日 | 日々の泡
ある成果を獲得するための力が少々足りなくても、首尾よく、好結果を手中に収めることが出来る場合があります。そんな時は、「運がいい!」と表現しますが、運も実力のうちなのでしょう。運を引き寄せる力は、ある種の本物の実力に匹敵するような気がします。

私などは、運というものは、それこそ運がよければ来るものであって、運が悪ければ逃してしまうものとして、言ってみれば、あまり当てにはできない博打性の高い性質を持ったものとしてしか捉えていなかったのですが、運のいい人というのは、運を限りあるものとは考えていないようなのです。

運は空から降る雨のごとく、その気になりさえすれば取り放題のものなのだそうです。溢れる豊かさで「運」は限りなくやってくるそうです。そういえば、多額納税者番付でいつも一位の斉藤ひとりさんという方も、「あなたにすべての良きことが雪崩のごとくにおきます」などという表現を使われています。雪崩が襲ってきたら潰されてしまうなぁ…、雪崩なんていう言い方が相応しいものかどうかなどと不謹慎なことをちょっと考えてしまいますが、確かに宇宙の恩寵は無尽蔵なもののようです。何かの拍子に、その無尽蔵の宝庫を引き出すポイントにアクセスすればいいだけのようなのです。宇宙の限りのない秘密にアクセスしてみたいものです。

INSIGHT(洞察)

2007年01月07日 | 日々の泡
病気の状態にありながら、「自分は病気である」という認識を持てない場合に、病識がないという言い方をします。精神科にかかる必要があるような重大な精神科的病いを抱えた患者さんは一般的には病識を欠くことが多いのですが、病識がないと、病状の改善を図れないばかりか自分の人生を自分のモノとして生きることが難しくなってしまう場合があります。それが一番の厄介な点のように思われます。自分の人生が自分のものでなくなってしまったら、自分の人生にどうやって責任を持っていったらいいのでしょう?

ところで、この病識という言葉は、INSIGHTという単語で表す通り、文字通り内面を見ることに繋がる言葉です。精神分析の用語としては「洞察」という言葉が使われます。「あぁ!そうだったのか」体験をした時に、洞察が得られるとされています。

物事の表面だけでなく、内面に隠されている事象や微妙なニュアンスなどを心的事実として感じ取ることができるようになれば、恐らく、人生の意味も単一ではなくなり、世界が提示しているさまざまな謎をも重層的に読み取ることができるようになるのかもしれません。

INSIGHT…自分の都合の良いようにばかりでなく、自分を取り巻く、今ここでの現象をあるがままに見つめることができるようになれたなら。INSIGHT…その先の、自分の取るべき行動が手に取るように理解できるようになれたなら。INSIGHT…そして、自分の可能性を最大限に発揮して後には、その結果がどうあれ、その結果を素直に受け入れることができたなら。INSIGHT…良いも悪いも含めて、それが自分の人生だと認めることができたなら。INSIGHT…私は、私の人生を愛し、私の人生に対して肯定的な態度を持つことができるようになれるでしょうか?

生花のコサージュ

2007年01月03日 | my favorite・・・
私の母はもうとってもいいお年頃なのに、仲のいい旧友が多くて、友人たちとの交流に毎日大忙しです。

友人たちの住まいは東京だけではなく、あちこちに分散しているにも拘らず、誰かが声をかけると、皆が気軽にすぐに集まってくるのです。「この指止まれ!」という名称の旅行の会もあったりして…遊び上手な元少女たちは今も意気盛んです。

そうした友人の中に、ダンス好きの人がいて、毎年一流ホテルでダンスの会を主宰したりして、1年の成果をお披露目したりする場合も必ず招かれています。自分は踊れないくせに見るのは大好きだから嬉々として出かけて行きます。先日は藤沢に住む友人のダンスパーティに招かれて遊びに行ってきました。

画像のお花は、その友人のお弟子さんたちが用意してくださったお土産用の生花のコサージュです。(フローラルウインズというフラワーショップのお花でした。)よく見ると、一つ一つのお花や沿えてある緑の葉物が凛としているのが分かるのです。見ているだけで、それぞれのお花の息吹や囁きが聞こえてくるような感動を覚えるのです。アレンジもとても素敵で、素材のそれぞれの持ち味が絶妙のバランスで生かされています。ラッピングの紙の質感や色、使ってあるリボンの細さや色合いなどの微妙なニュアンスにも良質のセンスが漂っています。何よりも、何日たってもお花が全然傷まないのには驚きました!仕入れをする人のお花を見る目の確かさがしのばれます。

お花を見ていてこんな気持ちになったことは初めてです。お花に関わっている人たちの心意気が、手渡された人の心にもきちんと伝わるのですね。裏を返せば、手を抜いた仕事はすぐに見破られるのだろうな…ということへの気づきです。仕事とは…と言うことが最近の私の主要なテーマでもあるので、つい、そうした観点から物事を眺めがちなのですが、世の中にはちゃんとした仕事をしている人がいるということをこんなところでも実感できて、しみじみとした幸せな気持ちになりました。

私は、お花のある暮らしはしていませんが、周囲には数人のお花好きの人がいてくれるので、時々は生のお花から新鮮な波動を貰うことができています。

Floral WIND'S

自分の存在を許してくれる人

2007年01月01日 | 映画
「暗いところで待ち合わせ」という映画を観てきました。この映画の持つニュアンスに、もうちょっと近いタイトルがあったのではないだろうかと、ちょっと残念な気はしますが、原作の題名がそうなのですから仕方がありません。主人公二人の心の動きを丁寧に描いたサスペンスタッチの気の利いた小品でした。

自動車事故のため、光を失ってしまったために家に閉じこもりがちの女性と、中国からやってきて、どんな環境においても周囲に溶け込めず、うつうつと暮らしている、‘心に闇を抱える’男性との、(ある殺人事件をきっかけに、ある目的のために女性の家に潜んだその男性との)同じ家でのそれぞれの暮らしが始まります。映画の説明書きには二人の共同生活とありますが、共同生活というような体裁をなしたものではありません。

二人の距離感がとてもいいです。彼女にとって、彼はちょっとだけサポートしてくれる人であり、ずっと居場所を探していた彼にとっては、彼女は、彼がずっと探し続けていたものが場所ではなく、「自分の存在を許してくれる人」だったことを気づかせてくれる人として描かれています。

最近の映画が素晴らしいと思うのは、人と人との関係を「べったり」とは描かないところにあるような気がしています。尤も、私が選ぶから、結果的にはそういう映画ばかりになってしまうのかもしれませんが、微かな触れ合い、しかも、息遣いを確かめるようにして、ちょっとずつ、ちょっとずつ相手の感触を感じながら距離を測りながら近づいたり遠ざかったりする関係。相手の気持ちの都合を尊重する思いやりとやさしさがひっそりと感じられて、観ているこちらの気持ちも静かに安定したものになっていきます。

こういう良質な映画を観ていると、どんなに寂しくても、どんなに辛くても、だからこそ、相手に受け入れてもらうためには、一人でも、ここに立っていることのできる(強がりかもしれないけれど…)気持ちの確かさが必要だと思わざるを得なくなります。

暗いところで待ち合わせ