

病気の状態にありながら、「自分は病気である」という認識を持てない場合に、病識がないという言い方をします。精神科にかかる必要があるような重大な精神科的病いを抱えた患者さんは一般的には病識を欠くことが多いのですが、病識がないと、病状の改善を図れないばかりか自分の人生を自分のモノとして生きることが難しくなってしまう場合があります。それが一番の厄介な点のように思われます。自分の人生が自分のものでなくなってしまったら、自分の人生にどうやって責任を持っていったらいいのでしょう?

ところで、この病識という言葉は、INSIGHTという単語で表す通り、文字通り内面を見ることに繋がる言葉です。精神分析の用語としては「洞察」という言葉が使われます。「あぁ!そうだったのか」体験をした時に、洞察が得られるとされています。

物事の表面だけでなく、内面に隠されている事象や微妙なニュアンスなどを心的事実として感じ取ることができるようになれば、恐らく、人生の意味も単一ではなくなり、世界が提示しているさまざまな謎をも重層的に読み取ることができるようになるのかもしれません。

INSIGHT…自分の都合の良いようにばかりでなく、自分を取り巻く、今ここでの現象をあるがままに見つめることができるようになれたなら。INSIGHT…その先の、自分の取るべき行動が手に取るように理解できるようになれたなら。INSIGHT…そして、自分の可能性を最大限に発揮して後には、その結果がどうあれ、その結果を素直に受け入れることができたなら。INSIGHT…良いも悪いも含めて、それが自分の人生だと認めることができたなら。INSIGHT…私は、私の人生を愛し、私の人生に対して肯定的な態度を持つことができるようになれるでしょうか?
多分、midnight_ray_polarisさんの考えておられること十分に理解できてないと思いますが...
なす的には、というか普通、まず自分の人生を愛するのが始めにくるような。肯定できるようになるのではなく肯定したから、見えてきて、行動できると。
てことで無条件で愛しちゃいませう♪
なすさんのような考え方が普通です。そういう意味では、私は、今まで極めて不健全な‘人生の歩き方’しかできていなかったのだと思っています。
>てことで無条件で愛しちゃいませう♪
無条件で愛することができるほどの成熟にはまだ至っていませんが、「良いも悪いもない。とにかくありのままを認め受け入れるしかないだろう…」と思えるようにはなったのです。やっとこの段階まで辿り着くことができました。
「良いことも悪いことも…」という考え方自体が過去のものになりました。自分に起きてくることは、今の自分に必要だからそのような現象として現れてくることなんだ…そう考えられるようになったし、自分に起きてくるすべての事象に対して肯定感を持てるようになったのです。