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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

尾道…林扶美子ゆかりの地&大林監督作品の舞台

2005年10月31日 | 日々の泡
持光寺井戸
梟
倉敷を後にして、10月20日の午後早い時間には尾道に降り立っていました。尾道は、私があらかじめ想像していたイメージとははるかにかけ離れた土地でした。映画などではモダンな印象を受けていたのですが、実際の尾道には、もっとずっと荒削りで素朴な風情が漂っていましたし、急な勾配の山坂の多い、切り立った尾道らしい風景のその地区に住む人々にとっては、風光明媚な眺望を楽しむことよりは、暮らすことには困難さを感じざるを得ない厳しい地形そのものが、そこにあるだけ…とさえ思えたものでした。自然の厳しさと同居の暮らしがそこには厳然と存在していたのです。厳しさと穏やかさという相対立する価値や特徴が、並立に同じ比重で存在しているという…尾道は不思議な場所でした。お寺のすぐ近くにお住まいの方と言葉を交わす機会がありましたが、やはりこの坂の多い地で暮らすことは大変に難儀なことだとお話されていました。
景色
梟亭
それでも、尾道出身者は「尾道が大好きだ!」ということをあちこちの書籍で繰り返し語っています。尾道の寺院巡りをしていた時にも、坂の途中に、林扶美子の「パリにいても、尾道の美しさを思って…うんぬん」という詩のような彫り物が何気なく掲げられていたので、尾道に暮らし、尾道をこよなく愛した人々の思いがひしひしと伝わってきて胸に迫るものを感じたほどでした。足腰が相当鍛えられていても、毎日の暮らしには厳しすぎる昇り降りの繰り返しだろうと(私などには、)想像されたのですが、よそ者には計り知れない尾道の魅力は、そこに住んでみた者にしか判りえない性質のものなのでしょう…。

倉敷…美観地区

2005年10月30日 | 日々の泡
倉敷
死んでいたかもしれない…そんな怖い思いをしながらも、事なきを得た私は、何と!当初からの予定通り、20日の早朝には、羽田空港から岡山空港へと空を飛び、午前10時半頃には倉敷の町に到着していました。心は半分死んだように硬直しながらも、倉敷の美観地区を歩きながら、デジカメに写真まで収めてきたのです。
倉敷
倉敷
写真は、煤けたようなあの時の私の心象風景を蘇えらせてくれています。じっとしているよりは、身体を動かしていることで、固まってしまいそうな気持ちを何とか支えていたのだと思います。とても、とても辛かった…あの日、あの時の…言葉にはならない私の命のカケラたち。私のあの時の気持ちが、これらの写真には鮮烈に貼り付いています。

【九死に一生を得る】体験

2005年10月29日 | 日々の泡
【九死に一生を得る】とは、死ぬかと思われるような、危ないところを、どうにか助かること。また、絶望的な危機からかろうじて脱け出すこと…という意味で、【きゅうしにいっしょうをえる】と読みます。まさに、この言葉通りの体験をしました。危ういところで、奇跡的に命が助かったことは、本当に喜ばしいことなのですが、生死を分かつほどの、あまりに怖い恐怖の体験が身に迫ったため、後遺症に苦しみ…(と言っても、事件当日から数えると、今日で9日目なので、むしろ回復は早い方なのかもしれません。)心身がしばらくはフリーズしてしまい、ブログにも手が付けられませんでした。もうブログはやめてしまおうかとも考えましたが、もう一度、ゆっくりでも書いていこうと思い直し、パソコンに向かいました。その恐怖の体験の内容については、今はまだ語ることが出来ません。でも、ある人に次のようなメールをもらいました。『突然の出来事で大変なショックを受けたことでしょうね!○○さんの気持ちを思っただけで心が痛みます。でも、中国では「禍には福依り」という諺があります。何事にも正反関係があり、何かのメッセージは神様から届けられていると認識されています。すぐ判らなくてもそのうち判ってきます。そういうことですから、○○さんは素直に喜びましょう。××があっても傷さえなくすごい幸運ではありませんか?神様のご愛護に感謝しなきゃと思います。早く元気になりましょう!』このメールの内容は数日前に、たまたま偶然、アロマの催しへのお誘いを下さった中国の女医さんに、私が、お断りのお返事を差し上げた際に、事情を簡単に付け加えたことへのお見舞いのお返事に書かれてあったものです。それほどのご縁があるわけでもない方なので、まさかお返事をいただけるとさえ思っていなかっただけに、即座に状況を飲み込んで、励ましの言葉をかけてくださったこと自体にも、とてもびっくりしましたが、まったく予期していなかったことだっただけに、そうした、お心遣いが大変嬉しくもありました。この9日間には、いろいろな感情が目まぐるしく脳裏をよぎりましたが、(そしてこれからも、まだ当分は…フラッシュバックに苦しむこともあるでしょうが…)、今では、私の気持ちも、くだんの女医さんの、メールに書かれてあった内容とほぼ同様のものに収束(終息&集束)されつつあります。死にそうな体験をしても、私は死ななかった。そして、今も生きている…このことだけは紛れもない事実なので、この事実を受け止めて、一日も早く元気になりたいと思っています。私がブログに手を付けられない間にも、このブログに目を通してくださっている方がいらしたという事実にはどんなに励まされたことか!言葉では言い尽くせません。本当に有り難うございました!そして、これからもどうぞよろしくお願いします!

イメージで変わる現実

2005年10月20日 | 日々の泡
ある人の印象を表現する時に、言い方を変えるだけで、その人に対するイメージが随分と変化することがあります。例えば、「あの人はバカな人だ。」というのと、「あの人は素直な人だ。」というのとでは、その人自身がどういう人であるかという問題だけでなく、その言葉を発するこちら側の、人を捉える時の感性にまで響いてくるものがあるような気がします。私は言葉の使い方の問題のことくらいしか思いつかないのですが、山崎ナオコーラさんは、「言葉で色を見ている部分がある。」ということを言っています。自分に見える色とは、その一瞬にその物が放った光を受け止めた、自分だけの感覚だそうです。山崎さんは、色を見る感覚が、他の感覚に影響されやすく、言葉を使いながら物を見たり、音楽を聴きながらものを見たりすると、目に見える色がガラガラと変わっていくそうです。そして時には目で見ていない物の色も変化するとのことです。それは心についている目の仕業によるからもっと楽しいそうですが、やはり作家というものは、想像力や感覚が人一倍鋭いからこそそんな現象も当たり前に起こってくるのでしょうね…。私には、私の行動の変化によって色合いを捉える感覚もさまざまに変化する…なんてことを感じた経験は皆無です。

【行き違い】【すれ違い】【勘違い】…嗚呼(あぁ)!

2005年10月19日 | 日々の泡
学会が地方で開催される時は、見知らぬ土地へ旅する楽しさも加わって、1年も前から、心を躍らせていたりもするのですが、不思議なものでちょっとしたトラブルが必ず付きものなのも、この学会の面白くも不可思議な【魔】の力の側面だと思っています。誰が誰と行くとか行かないとか、誰が何人分の宿の確保をするとかしないとか…瑣末といえば瑣末なことですが、学会旅行を楽しく気持ちよく過ごすためには、これが1番の侮れない大事な要素となるわけで、意外なことに、決定するまでには、このことで内々に微細な紛糾が起こり続けます。この7年来、特別に、声を掛け合わなくても、いつも何となく、一緒に行動出来ていた仲間がいました。けれど、縁とは不思議なもので、些細な出来事が原因で、私を除く2人が決裂状態になってしまったのです。(人生をどう生きるか…という考え方のずれが徐々に大きな亀裂になっていき、その溝をどうしても埋められない結果になってしまいました。)2人の間に位置する私は、2人のどちらとも、ほどほどに付き合ってはいましたが、私たち3人を繋げていた、「精神分析」に対する構え方への微妙な相違がだんだんと明らかになってくるにつれて、物事の感じ方・捉え方が自然に、私たちの道を別個のものとして、分かつようになっていったのです。喧嘩別れをしたわけではないので、またいつ、どこかで、思いも寄らない経過でリンクし合う事があるかもしれませんが、2人のうち1人の人とは、まったく接触する機会もなくなってしまいました。ここまでは前置きです。今でも付き合いのあるもう1人の友人に、私は早い時期に、学会へ行くか行かないかについての確認をしました。考え中…との返事でした。公費でいける学会は1つまでなので、どの学会を優先させるかを決めかねていたのです。その時点で、その友人の存在を、私は私の頭からは除外してしまいました。私の方は、今年は公費が出ない…旨を伝えただけのつもりが、友人の方は、だから私は、その学会には行かない…というように了解してしまったのでした。ここで、すでに大きなボタンのかけ違えが起こっています。私が、次に取った行動は、これまでは、この学会とは無縁だったけれど、参加資格のある(大学院生以上でないと参加できない学会なので…)友人を誘うことでした。以前のブログにも書きましたが、この友人も当初は、「絶対に行く!」はずだったのが、泊まりで家を留守にするわけにはいかない出来事に見舞われたため、私は1人で行くことを決意せざるを得ない経過を踏んで今に至っています。以前の記事「避けられない不調和 数日前に、「1人の学会行きは寂しいです。今までは本当に楽しかったのに…」という文面のメールが先の友人から届きました。今回の学会行きは、てっきり、自分1人きりだと思っていた私は、大喜びで、「心強い!」ことを伝える返信メールを即座に友人に送信しました。すると意外なことに、友人からは、「早く教えてくれれば良かった。一緒に行く友人は途中で帰ると言うし、随分心細い思いをしていた。自分も一緒に尾道に同行したかった。」いう返事が届いたのです。このように、人の思惑や想像や予測は、口に出さない限り(口に出しても?)少しずつすれ違っていくものなのでしょうね。今までの私なら、「何!これ!」と憤懣やるかたない気持ちに襲われていたに違いありません。でも、今回は、この顛末を「面白いな~」と思ったのです。「私は行かないと言った覚えはない。」とか、「あなたがどっちつかずだったから…」とかのことも、言おうと思えば言えたのですが、言う必要もないと感じ、返信メールは出しませんでした。この成り行きが今の答えです。誰が良いとか悪いとか、状況が良いとか悪いとかの問題ではなく、無意識のうちに、瞬間瞬間の、自分にとっての最善の行動を積み重ねた挙句の結果がここに出ているのですから、私には何の不服もありません。精神分析的に言えば、不都合な出来事を自分の都合の良いように解釈することを【合理化】と言います。分析家の手にかかれば、私の思考形態は【合理化】に基づいたものとみなされるかもしれません。けれど、今の私は、思考の罠に嵌ることは無意味なことだと思う人間になっています。少なくとも、今の私は誰の犠牲にもなっていないし、この旅行に関しては、誰かに迷惑をかけるようなこともしていません。たった1人の自由を享受しているだけです。【したくないことをしぶしぶするような羽目にも陥ってはいません。】だから…no problemですよね!

『熟年離婚』と『理想の生活』

2005年10月18日 | 日々の泡
同時期に似たような内容のドラマが(期せずして?)スタートしています。『熟年離婚』はシリアスに、『理想の生活』はコミカルに熟年男性の悲哀を丁寧に描写しています。現役時代は、人並み以上の仕事を遣りこなし、それなりの役職を無事勤め上げて定年を迎え、「さあ!これから第2の人生を楽しく生きていこう!」と決意した矢先に思いもよらない失意に見舞われる…という成り行きで、話しの筋は展開していきます。再就職だとか再雇用だとかの、仕事面での出直しのことなどは一切、念頭から外し、妻や子どもたちや【家庭】のことに思いを馳せながら、それなりの華やいだルンルン気分で、定年退職のその日に、離れる職場から送られた、抱えきれないほどの花束を持ち帰って、家族との団欒に向き合ってみれば、自分の思い描いていた今後の青写真は自分だけの願望であったにすぎないことを思い知らされ、子どもたちや妻からの思いがけない赤裸々な言い分や行動に激怒する…という場面が一つのクライマックスになります。【家族】の中で、今まさに起こっている現実の流れから、自分ひとりが取り残されていく…そんな場面から、物語は始まっていきます。ところで、昨今、30代~50代の男性の自殺率の向上が(50代が圧倒的にトップではありますが…)社会現象にもなっています。激烈な職場環境にさらされながら、一度、うつという病態に見舞われてしまったり、リストラに合ったりしてしまうと、再起が非常に難しいことになります。うつは必ず治る病気と言われていますが、今まで靄の中を彷徨っていた状態から、突然、霧が晴れたように、何もかもが元通りになるというわけにはいかないものです。精神状態を始めとする物心両面において、物事がそう簡単には、思うように運ぶはずもありません。うつの改善薬を飲み始めれば、休職は免れるかもしれませんが、ビビッドな感情や最高潮で仕事が出来ていた頃のようなひらめきに支えられての仕事からは、数歩下がっての職務に甘んじなければならなくなるかもしれません。そうやって我慢に我慢を重ねた挙句に、また再び、発作がやってきたら、その時の健康法はすべてを投げ出せるか否かにかかっているようです。この2つのドラマの主人公たちは、一見しては、固い殻から、なかなか抜け出せないように見えますが、きっと、妻や子どもたちとの関係を(誰もが自由であるものに)変えていってくれることでしょう。これから彼らが、どのように柔軟に変化するかが、とても楽しみです。世間に受け入れられることが難しい生き方であっても、自分の中にやむにやまれぬ必然性があってのことなら、それも一つの生き方として認めてもいいんだということに、必ずや、気づいて行くようになると信じています。「強くなければ生きてはいけない。優しくなければ生きている資格がない。」とはハードボイルド小説に出てくる有名なセリフです。これからの世の中、男性もきっと、より柔軟に、より優しくそして本当のしなやかな強さを身につけながら生まれ変わっていくことでしょう!そうでなければ、とても生き残れない厳しい時代になってきているからです。…けれども、翻って考えてみれば、時に応じて己を変えていける自由な気風を身上とする人間が増えていくということでもあるからには、人間同士がときめきを感じ合えるチャンスが増えていくということでもあるような気がするのですが、そんなのは、私だけの、甘ったれた見方に過ぎないでしょうか?『熟年離婚』 『理想の生活』(NHKの場合は、どうしても、【ページを表示できませんでした】となってしまって、たどり着きたいページとの直接のリンクがうまく貼れません。【ドラマ】→【連続ドラマ】とクリックしていくと、『理想の生活』のホームページの表紙にたどり着きます。

二兎社新作『歌わせたい男たち』

2005年10月17日 | my favorite・・・
およそ15年位前(正式には1990年)に、雑誌「Hanako」に小さく掲載されていた、今までに聞いたこともない劇団の宣伝記事を頼りに、(実は、これこそが二兎社だったわけですが…)『あなたと別れたい』という(大石静+永井愛という二人の才媛の)お洒落で軽妙なのに、社会風刺のたっぷり効いた、早変わり二人芝居(多分、二人で10役以上をこなされていたと思います。)を観てからは、すっかり二兎社のファンになってしまい、それ以来、新作はずっと観続けてきました。途中、都合により大石さんが、二兎社を抜け、テレビを中心に、脚本家として活躍し出してからは、永井さんが一人で二兎社を主宰しながら、劇作家・脚本家として、演劇の分野で、頭角を現し始め、次々と作品を発表し多くの演劇賞を総なめにされてきました。(それ以来、お二人共、女優としての活動は完全に停止されてしまいました。)お二人の解散は、ファンにとっては、この上もなく寂しく、残念極まりない出来事でしたが、図らずも、この解散が、お二人それぞれの才能をより開花させるためのきっかけとなったわけです。二人芝居をされていた頃の作品はどれも、ペーソスとユーモアに溢れながら、非常に分かりやすいモノだったので、私などにとっては、その頃の作品が、最も観やすく楽しいモノでした。ですから、あの頃の作品に対する思い入れには、特別の懐かしさが含まれています。一人で活躍されるようになってからの永井さんの作品は非常に社会性に富んだ内容のモノが多いので、私のようなミーハーには、少々、テーマが重かったり、内容を解読し切れなかったりするのですが、それでも気になって、新作のお知らせが届けば必ず、観に行ってしまいます。今回は主演の戸田恵子さんが本当にステキでした。お芝居の最後にシャンソンを歌う場面があります。私はシャンソンのことにはまったくの門外漢なので、もし間違っていると困るのですが、多分「聞かせてよ!愛の言葉を」という曲を歌われたのだと思います。本当に叙情性に満ちた、心を揺さぶる、歌声のあまりの素晴らしさに思わず涙が溢れそうになってしまいました。シャンソンというものは、そもそも、歌い方に、独特のニュアンスを要求されるジャンルの歌なのだとは思いますが、それにしても、戸田さんのような、あれだけニュアンスに富んだ歌い方はいくら練習を積んでもなかなか出来うるものではないと思うのです。本当に、心がわなわなと震えました。私の隣の席の人も鼻をすすっていたので、やはり、私と同じように感動されていたのだと思います。戸田恵子さんは花も実もある本当に力のある女優さんでした。このお芝居の内容についてお知りになりたい方は二兎社のWebにアクセスしてみてください。オフィシャルブログも日々更新されているようです。隅田川左岸劇場ベニサン・ピットという小さな劇場での11月3日までの公演となります。ベニサン・ピットは劇場というより小さな小屋という感じの空間ですので、どの席からでも、舞台が一望に眺められると思います。(上の写真はベニサン・ピットの一角を写したものです。)二兎社Web

村上春樹氏のインタビュー記事から…第2弾

2005年10月16日 | 日々の泡
海外での村上人気の高まりが加速しているそうです。理由は「よく分からないけれど、よく分かる。筋を整合的に評論はできないけれど、すごくリアルに感じられる」という反応が共通のようです。村上氏はこうした風潮に対して、あくまでも村上氏の仮説に過ぎないことを強調しながら、次のように説明しています。彼の小説は社会的に一種のカオス状態にあるところで比較的よく読まれている。ということは、「日本はカオス状態という意味で先進国であり、日本人はカオスや矛盾と共に、それを自然なものとして生きてきたのではないか?」「揺れ動いている社会においては、静止したものを打ちたてようとしても、説得力がない。ともに揺れ動いて揺れを飲み込んでしまうもの、両方が揺れながら関係を変えて動くもの、その方がリアリティーを出す。それが僕の書き方でもある」「不思議にも、読者が感じていることは変わらない。この社会の中でどうやって少しでも自分に自由を維持して、正気を保って生きていけるか、ということです。違うのは、今はフリーターになれること」そしてここからがもしかしたら卓見になるかもしれない(と、私が感じる)見解なのですが、村上氏自身が会社勤めや文壇的な付き合いもせず、一人でやってきた人だからこそ、「フリーター文化というかニート文化というものが、怠惰かもしれないが、成熟した文化が育つ土壌になるのではないか」と見ている点です。一般的には、由々しき問題と捉えられてしまいがちなことを、世間的にありがちな視点とは異なる方向から考えてみる…そのような観点が大事なのだと思います。ただ、フリーター文化とかニート文化というものが抱える深刻さの行く末は予測がつけられるほど生易しいものではありませんが、作家たる者が、そのあたりの問題を見逃しているわけはないので、この考え方は、今後の方向性の一端を示すものとなるでしょう。「体力・気力・集中力」の維持のために出来ることが、村上氏にとっては、早寝早起き、1日10キロ走る生活習慣だそうですが、そのことを遣り通せるからこそ、「自分を正気で自由に保って」いけるのでしょう。私も自分の自由を維持して、正気を保って生きていけるための手段を一生懸命、未だに模索中です。そんな私の周辺には、今のところ、気功・瞑想・アロマ・カイロ等などが、きら星のごとくに消えては現われ、現われては消えながら、私を誘っているのです。村上春樹氏についての前回の記事

10月になって届いた…【9月のお花】

2005年10月15日 | my favorite・・・
7月・8月はお花に元気がなく、すぐに枯れてしまいがちだったので、友人はアレンジメントのお稽古をお休みしていたのだそうです。そうとは知らない私は、お花の画像が送られてこないことを、とても寂しく、残念に思っていました。ですから、10月早々に(ブログにアップするのは、今頃になってしまいましたが…)「9月のお花」が届いたことを、旧友に再会できた時のような懐かしさと安堵の気持ちで、無邪気に喜んでいます。この気持ちを、私のブログを尋ねてくださる方にもお届けしたいと思います。6月のお花】はこちら

だまし絵

2005年10月14日 | 至福の花
だまし絵このクラシカルでレトロな【だまし絵】は、単なるバラの画像に見えますが、(画像のサイズが小さいので分かりづらいのですが…)よく見ると、バラの花芯の部分には抱き合っている男女の姿が見えます。↓下の絵は【だまし絵】と言えるのでしょうか?ちょっと違うような気もするのですが、古びた建物と朽ちそうな階段とひび割れたボロボロの壁に隠れるように潜んでいる、人の顔の雰囲気に、妙に惹かれてしまったので…この画像も載せてみました。

壁 壁1
久しぶりに会った、若い友人から、私についてのイメージを聞かされて、人の感じ方というものが、いかに千差万別であるかということを改めて思い知らされ、つくづく頭を抱えてしまいました。いい意味で…と枕詞を付けてくれてはいましたが、私のことを、とても頑固で、人が何と言おうと、自分の信念(?)を曲げないというか…信念を貫き通す人間だと、彼女は理解しているのでした。また、私は、「しっかりしろよ!」オーラを出しているから、見限られないようにと思うと、とても恐くもある存在だと言われてしまい、天地がひっくり返るかと思うほど、びっくり仰天して腰を抜かしそうになってしまいました。私は、昔から、「とても分かりづらい人間だ。」とは、よく言われてきました。けれど、この頃では、変わり者であると捉えられることに変わりはないものの、非常に単純で分かりやすい…ともしばしば言われるようにもなっています。私という人間を一つの球面のようなものと想定すると、どの角度から眺めるかで、全く異なる印象を人は感じ取るのです。そのどれもがホントなのでしょうが、私が、自分自身に感じている、【私】という存在への実感とは、何か微妙な齟齬が、人々と自分との間に横たわっているような違和感を覚えます。私自身には、実態なんて、実は、ないのかもしれません。【色相是空】がここにも登場してきます。その時々に、私は実態を持たずに、万華鏡のように、さまざまに色やカタチを変えて、そこに存在しているだけなのかもしれません。万華鏡は、くるっと回せば、一瞬にして、その姿カタチを変えてしまいます。だから、一瞬の色やカタチにこだわること自体があまり意味のないことなのかもしれないと思うと同時に、一瞬一瞬の色やカタチこそが非常に意味のあることなのかもしれないとも思えます。一瞬一瞬は捉えることが出来ないほど、またたく間に通り過ぎて行ってしまいますが、結局は、その一瞬一瞬の集積が、ある個人の雰囲気や人間性を作り上げていくものだと推測されるからです。★本日の結論:私が感じる、私自身の究極の弱さは、今や、あなたに対してだけしか語られることがなくなってしまっているようです。★ところで、【だまし絵】というのは、誰がいつ考え出したものなのでしょう?一つの絵をどこから見るか…どのように見るか…で、その絵の世界観が全く違うものになってしまうのですから面白いといえば面白いのですが、(だまし絵には綺麗なものもありますが)総じて、ちょっと奇怪でグロテスクだったり、見ているだけで、感覚が捩れていきそうになったり、illusionの世界に引きずり込まれそうで、眩暈を覚えるような怖い感じのものが多いです。見てはいけないものを見てしまう恐さ、見なくても済んだものを見てしまった怖さ…とでも表現出来そうです。ぞぞぞ~っと鳥肌がたってきます。しばし、あなたも、【だまし絵】の世界に浸ってみてください。どんな感じを抱かれるでしょうか?ちなみに、私は、もうこれ以上、【だまし絵】に忍び込んでいる隠喩を読み取る作業に深入りしたいとは思いません。
だまし絵のサイト-1 だまし絵のサイト-2