


倉敷を後にして、10月20日の午後早い時間には尾道に降り立っていました。尾道は、私があらかじめ想像していたイメージとははるかにかけ離れた土地でした。映画などではモダンな印象を受けていたのですが、実際の尾道には、もっとずっと荒削りで素朴な風情が漂っていましたし、急な勾配の山坂の多い、切り立った尾道らしい風景のその地区に住む人々にとっては、風光明媚な眺望を楽しむことよりは、暮らすことには困難さを感じざるを得ない厳しい地形そのものが、そこにあるだけ…とさえ思えたものでした。自然の厳しさと同居の暮らしがそこには厳然と存在していたのです。厳しさと穏やかさという相対立する価値や特徴が、並立に同じ比重で存在しているという…尾道は不思議な場所でした。お寺のすぐ近くにお住まいの方と言葉を交わす機会がありましたが、やはりこの坂の多い地で暮らすことは大変に難儀なことだとお話されていました。


それでも、尾道出身者は「尾道が大好きだ!」ということをあちこちの書籍で繰り返し語っています。尾道の寺院巡りをしていた時にも、坂の途中に、林扶美子の「パリにいても、尾道の美しさを思って…うんぬん」という詩のような彫り物が何気なく掲げられていたので、尾道に暮らし、尾道をこよなく愛した人々の思いがひしひしと伝わってきて胸に迫るものを感じたほどでした。足腰が相当鍛えられていても、毎日の暮らしには厳しすぎる昇り降りの繰り返しだろうと(私などには、)想像されたのですが、よそ者には計り知れない尾道の魅力は、そこに住んでみた者にしか判りえない性質のものなのでしょう…。