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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

世の中って!

2006年08月27日 | 日々の泡
私は、今まで、非常に小さな限られた小さな枠の中でしか生きてきませんでした。ですから、人や自分を騙したり、悪意を持った行動を意図しなければならないというようなことは一度もなかったのです。あまりにも誠実に生きてきすぎてしまったため、少々の‘悪’が必要なのではないかと真剣に考えたりもしていたのですが…

こんなことを考えていたから、この時期に、ひょんなことから、私が今置かれている苦境を救ってくれるかもしれないと思える人に出会ったような気がします。本当なら、関わりを持たずに済めば、関わりを持たない方が間違いはなかったし、賢明なことだったと今でも思っています。けれど、私は何としても、自分の力で、この苦難から脱出しなければならないのです。良くも悪くも私にとって、こんな経験は人生の中でも初めてのことでした。

万事休す。まさに、誰のせいでもない、自分から、この状況を招いてしまっていました。ユングのいうシンクロシティー、あるいはコンステレーションという概念の中に綺麗に嵌っているということです。こうなると、これは神の仕業だと思わざるを得ません。神さまがトリックスターとなって、私に人生への冒険を仕掛けてこられたのです。

私が、よりにもよって、自分から、「私を助けてください。」と頼んだ人は、私にとって、憧れや尊敬の対象となるような人ではありませんでした。能力は確かに高いけれど、安心して信じられるというような人ではないし、出来ることなら、一日も早く縁を切ってしまいたいような人でもあります。それでも、もし私を助けてくれられる人がこの世にいるとするならば、彼女を置いて他にはないと確信できるのです。彼女に会う度に、私は何ともいえない辛さに襲われます。見なくてもいいもの、感じなくてもいいことを感じさせられるからです。彼女自身が、行動力と頭の良さでは他との群を抜いているからといって、ある部分では、こんなに無防備なのに、それでも足を掬われないのは一体何ゆえなのかとつくづく不思議で不可解な気持ちになるような人でもあるのです。

あぁ!私を助けてくれるかもしれない人を、私は慕うことができないのです。実は、それは本当に悲しいことでもあります。人生って何て矛盾に満ち満ちたものなのでしょう。この世の中にはどんな人でも存在するのだということを知って、世界の広さを改めて実感する今日この頃の私です。

久々のフラワーアレンジメント

2006年08月24日 | my favorite・・・
本当に久し振りに、フラワーアレンジメントの画像が友人から届けられました。今回のアレンジにはパイナップルが素材として加えられているようです。お花にフルーツを添えるというアイデアも非常に斬新で素敵です。パイナップルの先っぽのトゲトゲしたグリーンがアクセントになって野性味と可愛らしさを主張しています。全体的に淡いピンクのざっくりした大振りのお花が、この夏の茹で上がるような暑さにささやかな涼を運んでくれているような気がします。

先日、遠い親戚筋の人と本当に久し振りに電話で話しをしたのですが、彼女は地元のカルチャーセンターで友人3人とフラワーアレンジメントを月に2回、講師として教えているということを言っていました。新聞の折込の洒落た宣伝紙にも時々、フラワーアレンジメントの講習会のインフォメーションが載っています。フラワーアレンジメント人口も裾野が広いのかもしれません。

今回のお花はピンク色が主流です。ピンク色の優しさや穏やかさに心が癒されるような気がします。パワーストーンをオーダーする際にも、自然とピンク色めいた色彩の石を選んでいました。私のピンクブームはいつまで続くのでしょう。ピンク色の鉱物が象徴するキーワードは慈愛・優しさ・和やかさなどです。持つ人を豊かな愛情と柔らかな波動で包み、感情面での安定を促し、心に受けた傷を癒し、機能しなくなった古い生き方からの束縛を溶かし去る…というような意味合いを保持しています。愛を受け、愛を与える象徴としてのピンク色の石。石に限らず、ピンク色が醸し出し、周囲に放つオーラには優しい愛情が溢れているようです。

世界の中でたった一人

2006年08月21日 | 日々の泡
一応の職も得ていて、職場には自分のデスクもあって、雨露しのぐ自分の家もあって、人並みに家族もいて…何一つも不足のないはずの生活でした。これ以上何を望むのか?と問われて、そこで、足りない何かについて答えようものならバチがあたるというものです。でも、私にはやはり何かが足りない。頑張っていろいろな困難を乗り越えてきたとはいうものの、魂のレベルで厳密に考えれば、やはりまだやらなければ済まないことが残されている、そんな気がしきりにしていたのです。

漠然とそんなことを考えている毎日だったので、徐々に、どんな些細な出来事からも隠されている情報を読み取ろうとする癖が付いていくようになりました。そんなふうでしたから、今までなら素通するだけで、意識が向かうはずもなかったようなことにも注意を寄せるようにもなっていました。そして、今のビジネスに出会ったのです。そこで聴く話も、そこで出会うアジア系の女性たちの逞しさも、私の五感にとっては新しく初めて味わうことばかりでした。ある意味、私にとっては未知のものであった価値観に遭遇して、その新鮮な理論の仕組みに急激に魅せられていったということだったのだと思います。その世界に触れ続けることによって、現実感が伴わなくなっているこれまでの考え方や、意味を成さなくなっていた固定観念にがんじがらめに縛り付けられている自分から開放されることになるだろうという甘い予感をさえ感じていました。ほぼ8ヶ月余りはその世界に漬かって、そこから新しい学びを得るべく、私なりの努力を真剣に注ぎ込んできたのです。

ところが、その挙句に、私がある日突然、気づいたことはといえば、これ以上、そこに居続けて何かを得ようとしても、もはや私の器では何も得られないということがはっきりと分かってしまったということでした。真面目に勉強をして、成功者の教えをコピーしていけば成功は間違いない!と上からは教えられます。8ヶ月間は一応、その言葉を信じてやってきました。もちろんそのやり方でうまくいく人もおられますので、それはそれで、その方法論を否定するものではありませんが、私には採用できない手法であることを8ヶ月かかってやっと理解することができたのです。このままでは、私は投資したお金の全額を闇に葬ることになってしまう。そのことが分かった時、初めて、不安と恐怖の感情に襲われて夜も眠れないほどの苦痛を味わいました。今までの私には、こうした経験は無縁のものだったので、こんな苦しさを想像することもできなかったんだということも思い知りました。けれど、不思議と後悔の念に駆られることはなかったし、‘結局は騙された自分’というシナリオに落ち着くということも今のところはないのです。こんな状況に至っても、私はまだ起死回生を狙っています。誰も助けてくれる人がいない…とはこういうことだったのか!それでも、誰が悪いのでもなく、自分で何とかするしか、このままでは状況を変化させることはできない…ということだけはとてもよく理解できるのです。「窮鼠猫を噛む」といいますが、「窮すれば通ず」とも言います。ことここに至っても、いえ至ったからこそ、私は、言葉の上でだけでなく、真の意味で、私を救い出してくれる力のある人を探し続けようと必死でに考えるようになっていました。

よく困った時に、一人でその困難を抱え込むのではなく、人にも相談して、むしろ人の力を借りたり、うまく利用したり(借力【しゃくりき】という表現を使っている人もいます。)して、閉塞した状況を展開させていける力を持つことが大事といいますが、今、そのことを心の底から実感しています。私に力を貸してもいいと思ってくれるような人を探し出せれば、もしかしたら私はこの窮地から脱出できるかもしれません。さて、どういうことになっていくのでしょう?ことここに至って初めて、私は、自分の限界に向き合うとはこういうことだったのか!と、その内実を知ると共に、本当の窮地というものに立たされたら、自分ひとりの力では、そこから這い上がることはできない。自分以外の誰かの力を借りなければ、私の独自の道を切り開くことなんてできないということを思い知ったのです。基本的には、たった一人で、この苦境を突破しなければならないけれど、どんな時でも、一人では何もできないということを身に沁みて理解できるようになりました。人に助けを求め、人からも助けを求められるような人間になっていくしかないのです。

パワーストーン

2006年08月16日 | my favorite・・・
オーダーパワーストーンブレスレットなるものを作ってもらいました。この頃、石のブレスレットをしている人を見かけることが多くなりましたが、大抵は出来合いのものが多いようです。私のパワーストーンは特注のものです。まずは、47種類の石のすべてとの相性をみていきます。石を左手の手のひらに乗せて、右手でOリングを作り、ブレスレットを作ってくれる人が、私が作ったOリングに力を加えて、その輪が外れるかどうかを一つ一つの石で試していきます。外れてしまえば、その石は、自分に対して効力を持っていないということになりますし、外れなければバイブレーションを伝えてくれる石ということになります。47種類もの石の効力を一つ一つ手のひらで確認していく作業はなかなかに大変なことですが、嫌な顔一つせずに、その過程に付き合ってくれる作成者との関係は、どこかカウンセリングを受ける時のセラピストとクライエントとの関係にも似ていて、その関係が良好なものであれば、そこには、ゆったりとした癒しの時間が流れていくのです。47種類の石の中から、自分に合う石が限定されていきますが、さらにその中から、自分が好きな色合いや雰囲気の石を十数種類選び出します。後は予算との関係で、石の大きさやカタチは、作ってくれる人のセンスにお任せすることになります。私のブレスレットを作ってくれた人が、ご自分用に着用していたものはさすがにカタチもさまざまならば、大きさも大粒で素敵なものでした。そのブレスレットをイメージしていたので、私のブレスはやや無難な仕上がりになっています。(予算の関係で仕方がありません。)通常の丸いものとは違う石は2種類だけで、一つは平べったく、一つは長細いものでした。けれど、全部が丸いものではなく、2種類でも様子の変わった石を取り入れてもらえたことで満足感を得られました。

暖かい色合いの一群の石と、クールな色合いの塊の石とが白っぽい石で繋がっている、このブレスレットに対する私の感想はといえば、2種類の性質の異なる世界が統合されているというイメージのものでした。太陽と月、昼と夜…というように異質なものだけれど、大局的にみれば、同一の価値のもの、すなわち大いなる宇宙が私の腕の中にあるという印象を持ったのです。製作者に素直な感想を伝えたら、とても喜んでくれました。どんなに素敵なブレスレットをつけていても、装飾品としてならばそれでもいいのですが、もしそこから何らかのパワーを欲するのならば、Oリングで、自分との相性を確かめてみることがまずは肝心のようです。

成功者の生き方

2006年08月08日 | my favorite・・・
テレビ東京の「ソロモン流」を毎週楽しみにしていて、その時間はテレビの前に釘付けになっています。たまたまひょんなことから、一度チャンネルを合わせたに過ぎなかったことがきっかけでしたが、今では私の‘お気に入り’番組の一つになっています。

この番組に惹かれるには、幾つかの理由があります。私の回りには、特別な成功者や大金持ちが見当たりません。だから、知恵と才覚で通常の生活者より、頭一つ、二つ分位、精神的にも物質的にも秀でた生活を送っている人の思考回路や生きる上での心情や心構えというようなものに触れる機会が全くないのです。母の親友の弟さんが、名前を挙げれば知らない人はいないほどの著名人(文化人)ですが、その方に、私がお会いできるチャンスなどはあり得ないことなので、(テレビなどで観る以外には)やはりどういう日々を過ごされているのかは知る由もありません。

周囲に卓越した人生を生きる人がいない、また、そういう人々と関われるチャンスがないということは、それなりの艱難辛苦の末に獲得したであろう、その人独自の人生観や世界観(=成功者の生き方)を教えてもらえる機会が全くないということです。

自分と似たような人と話をしたりしていても、なかなか今の自分を乗り越えるためのヒントは得られないものです。人生が平和と安寧の連続で十分というのであればそれでもいいのかもしれません。けれど、命尽きるまで、自分の未知の可能性を開拓していきたいとか、思いも寄らなかった出来事との遭遇を求めて挑戦を忘れたくない…とかいうような野心を抱いてしまったら、現状の生活の中だけから、飛躍の芽を見つけ出すことはなかなかに困難なことです。

‘ソロモン流’には独自のアイデアをカタチにすべく、苦労をものともせず、あるいは苦労は百も承知で、それでもなお前進していこうとする選ばれた人々の生き様が、毎週、紹介されています。すべての回の出演者に共感できるわけではありませんが、それでも「こんな生き方もあるんだ!」という驚きと感動が迫ってくることが、私にとっては新鮮な体験になっています。

成功者として、‘ソロモン流’に取り上げられるような方たちの多くに共通している特徴は、前進することをやめない。現状に安住して停滞してしまわない。そして何よりも、自分と周囲の人々を大切にする生き方を追及しているということだという感想を、私は持っています。

このブログで、ソロモン流のことを取り上げるのは2度目です。その位、私を啓発してくれる魅力的な番組です。3週間ほど前に放映された回で紹介されていた山本麗子さんは、私の田舎の長野県東御市に居を構えて活躍されている料理研究家です。同じく東御市在住の玉村豊雄さんとも大の仲良しのようです。そのせいもあってか、とても親近感を覚えながら、その生活ぶりを拝見しました。

ソロモン流

グランカフェ ローザ
■「グランカフェ ローザ」は山本麗子さんが軽井沢で経営されている(結婚式や披露宴もできる)レストランです。

山本麗子・アトリエ発 スウィートハートと仲間たち
■「山本麗子・アトリエ発 スウィートハートと仲間たち」は山本麗子さんのお料理教室スウィートハートのスタッフと仲間たちが運営するサイトです。



恨みが消えた!

2006年08月05日 | my favorite・・・
「私の人生はどうしてこうもうまくいかないのだろう!」いつもいつもそう思ってきました。自分の内面と外界の現象との間を結ぶパイプに何かが詰まっているからかもしれない!そう考えて、その原因を探るべく精神療法を受けて心の探索に夢中になっていた時期もありました。それでも、こじれた糸はますますひどく絡まってしまい、ほぐすことはほとんど不可能な状態のまま長らく放置するしかすべはなかったのです。

それがどうしたことでしょう。ビジネスの世界に足を踏み込んでからというものは、人に対する恨みの気持ちや感情が消え失せてしまったのです。うまくいかないことや失敗といえる出来事に遭遇しても、そのことに対して生まれてくる感情を誰のせいにもする気がなくなっているのです。あえて言えば、自分のせいですが、もしかしたら自分のせいでもないかもしれない。それは、私が成長するために神が与えた試練というものなのかもしれない、と理屈付ければそんな風にも考えられるようになっているのです。人が私に何をしてくれなくても、それは当たり前のこと。してくれれば有難う、ということです。自尊心を傷つけられるようなことを言われても、その時は嫌な気持ちに見舞われますが、次の日には、まあそういう言い方もあるわなぁ~などと思ってしまっているのです。

もし、私以外の誰かが、私と同じように、ビジネスを始めたいと言っているのを聞けば、留めることはしないまでも、「大丈夫かな!」と不安な気持ちに駆られることでしょうし、その人には余り近寄らなくなるかもしれません。何故ならば、阻止はしないまでも、応援することなどとてもできないからです。余りにも厳しい道のりだから、自分以外の人がそんなことに耐えられるかどうかは責任の持てない事柄だからです。(自分のことであれば、良かれ悪しかれ、出来ようが出来まいが、自分のことには責任を持つしかありません。)それとも、人を差別的な目で見ることの嫌いな私のことですから、その商品を気に入れば、商品だけをは積極的に購入していくかもしれません。少なくとも、背後に怪しげなビジネスがありそうだと思っても、その人とその商品とそのビジネスとを混同して、一色単にしてみることはしないかなぁとも思います。ともかく、私は、このビジネスの世界を通して、非常に遅ればせではありますが、世の中の厳しさやビジネスの過酷さや非情さと共に、その裏にある、人の心の襞の柔らかさや機微というものに触れる瞬間をも数多く体験するようなになったのです。

そうした体験に伴って、不思議なことですが、人の言動が、私に不安を喚起するような感情のうねりに圧倒されるということも少なくなってきたのです。それよりも何よりも、私は私の生を全うさせるという使命のことだけを大事にしたい…などと考えるようになったのです。まだまだ生きることを楽しむという域には達することができませんが、極力、余分な雑念は払いのけて生きようと思えるようにはなりました。私に悪意を持つ人がいても、私がそのことを許さない限り、誰かが、私に悪意を向け続けることはできないということも知りました。私が脅えたり不安になったりすれば、それは相手の思う壺です。ある状況に抵抗しようとすればするほど、私自身の力も萎え、その状況も強化されます。私は状況に抵抗しなければいいのです。そうすれば、その勢いはいつか自然消滅するでしょう。私をやっつけようとしていた人も、もうそんなことには興味を失います。私が動揺しなければ、やっつける理由がなくなるからです。恨みや僻みや嫉みなどの感情と無縁で生きるということはとても楽なことです。それもあってか、私の生活はとてもシンプルで(内面的には波乱万丈のジェットコースター的急降下を繰り返していても)表面的には穏やかなものになってきています。他人には迷惑をかけないで済むようになったということです。