
『すらすら読める養生訓』という本を読みました。貝原益軒の【養生訓】を分かりやすく解説した上で著者の考察を加えた、親切で分かりやすい本です。【養生訓】の一節にこんな文章があります。「年老いては、わが心の楽の他、万端、心にさしはさむべからず。時にしたがひ、自楽しむべし。(年をとったら、自分の心の楽しみのほかは、何事にも心を向けてはいけない。その時々によってみずから楽しむがよい。)」というものです。このくだりは究極の一節で、ここに至るまでには、細かいもろもろの注意事項が書かれてあります。★年をとって子に養われている人は、若い時より怒り易く、欲深くなり、子を責め、人をとがめて、晩年の節操を保たず、心を乱す人が多い。とか★年をとってからは、一日を十日として日々楽しむがよい。つねに日を惜しんで、一日も無駄に暮らしてはいけない。世の中のありさまが自分の心にかなわなくても、それは凡人だから仕方のないことと思い、自分の子どもをはじめ他人の過失をなだめ許し、とがめてはいけない。怒ったり恨んだりしてもいけない。~中略~一日も楽しまないでむなしく過ごすのは、愚かなことというほかない。とか★過ぎ去った人の過失をとがめてはいけない。自分の過失も何度も悔やんではいけない。人の無礼で道理に合わないことも怒り恨んではいけない。とか★年を取ると気が少なくなるから気を減らすことを避けなさい。とか★年老いたら、だんだんと事を省いて少なくするのがよい。事を好んで多くしてはいけない。好むことがいろいろあると事が多くなる。事が多いと心労が重なって楽しみを失う。とかのことが、自身の体験談を踏まえて具体的に記載されています。けれど、【養生訓】は江戸時代の、しかも貝原益軒という一人の個人の人生観であり老境についての考え方ですので、戸惑う部分や到底納得できない箇所も多々ありますが、閉塞感が蔓延する今の時代に、この書が多くの人々に読まれているからには、人の心を惹きつける真実が随所に隠されているからだと思いました。こうした境涯は何も老境に差し掛かった者だけのものでもないのではないでしょうか?IT関連の仕事に携わる人などで、30才そこそこでセミリタイアー生活を欲しいままにしている人も存在するご時世です。年がいくつであろうと、如何にして生きていくかという命題は、その人となりを決定付ける最重要課題になるはずです。老境に入ったら、何を楽しむにも愛するにも、自分なりのオリジナルなやり方でやればいい。それを発見することがまた老境の楽しみであり、それを誰はばかることなく自由自在に出来るのも老境のおかげである。老いを楽しく生きるとは、そうした生き方のオリジナルバージョンを見つけ、それを行うことだと説いているのです。やっぱり健康で長生きしなければ、こうした折角の楽しみを棒に振ることになってしまいそうです。
★すらすら読める養生訓