『現在に生きること。現在という時間しか私たちにはない。この場のできごとに注意を向け、一瞬一瞬のなかに充足を見出すこと。事実をすべて完全に受け入れよう。そうすれば現実から学ぶことができる。自然の無限の摂理は現在に反映されている。あるがままの宇宙が、あるがままの現在である。宇宙の広大無辺な計画に逆らわず、むしろこれと一体となるよう努めよう。』 私たちは、過去-現在-未来という一本の時の流れが修正不能なものとして、綿々と続いているものと思い込んでいますが、それは人間が作り上げている概念に過ぎないのかも知れず、便宜上、過去や未来という構図が示されている方が分かりやすいからというだけのことで、時間側からすれば、時間はいつもそこにただあるだけで、流れというものさえないのかもしれないとも思うのです。そうした時間というものに、私たちが、過去だとか未来だとかの名称を付けて考えてみることさえ、宇宙レベルで俯瞰してみれば、もしかしたら本来はあまり意味のないことなのかもしれません。あるいは、いくつもの時間がパラレルに存在していて、何人もの自分が、この人生をたった一つのもののように思い込んで、そこそこの世界で、わき目も振らずに、懸命に生きているという仮説も成り立ったりはしないでしょうか?人生を、バランスの取れた自己として生きるコツが、多くの書物で提案されていますが、数々のアイデアの中にも幾つかの共通項があります。【今を生きる】という項目(智恵)は、その最たるものではないでしょうか?当たり前のことだし、今さら…という気がしないでもありませんが、こんな簡単なことが本当に難しくて、誰にも、めったには出来ないことなのです。自分らしく生きることを考えれば、そのスタート地点には必ず、この言葉があり、ゴールに到達するその日まで、志を棄てない限り、この言葉は、ずっと伴走し続けてくれる相棒でもあります。考えてみれば、過ぎてしまったことは、たとえ修正可能であったとしても、過ぎてしまったことに拘って、その出来事から自由になれないでいることは、自分に対してもとても残念なことですし、忸怩たることでもあります。それよりは、‘今’に注意を向けることの方が多分ずっと大切なことのはずです。未来という、今は実態のない時間も、今の積み重ねによって先々に、現象してくるものなわけですから、未来を展望するとしても、今を充足させなければ、未来もまた実体のない空疎な空間に成り下がってしまうでしょう。すべての繰り返される時間が、その時が来れば砂上の楼閣だったなどということになってしまってはたまったものではありません。私の場合はと言えば、今を生きられるほどの人生の達人ではありませんが、今となっては、過去のことをくどくどと思い返したり、取らぬ狸の皮算用よろしく、未来のことを誇大的に思い描いたりすることはほとんどなくなりました。いつの間にか、今のことと、ちょっと先の未来のことだけを射程に入れることで、自分の中のバランスを取るようになっているのです。【今】は多分、昨日までの自分の生き方の集大成なのです。