今日一日、私の心の奥底には虹色の炎がゆらゆらと燃えていました。私の魂がじわじわと至福で満たされる時、私という存在の中心には虹色の炎が揺らめくことを知りました。細胞の1つ1つがきゅっと引き締まり、気持ちと身体の動きに無駄がなくなっていくのを、もう一人の自分が不思議な気持ちで見つめていました。そんな時間の中で起こることは、それが失敗であろうと成功であろうと、原因も結果も、起こることすべてが同等の価値として感じられるのです。すべてがOKなのです。どちらの道を選んでもどちらでも大丈夫。どんなことが起ころうと、私は大丈夫…何とでもやっていけるという感覚なのです。私がこんな気持ちになれたのは、あなたのおかげです。あなたの存在を、私が私の身のうちに感じることが出来た時、私には至福の時が訪れることを、今日ハッキリと知りました。だから今日の私は何を見ても、どんなことに見舞われても平然としていられたのです。あなたを通して、現象してくるすべてのことに感謝の気持ちすら抱くことが出来たのです。今日一日の、この奇跡に…合掌!
そんな願いを持つこと自体が土台無理な相談というものなのかもしれません。誰かの心にたどり着くなんてことは現実的には不可能なことなのでしょうから。でも、「わかりたい!」「わかってもらいたい!」という自然に湧き上がる思いまでをもせき止めることは出来ません。「あなたの心にたどり着きたい…」そんな呪文を心の中で秘かに唱え続けていれば…いつの日か、一瞬だけでも、その思いが叶う時が来るかもしれません…。
私の携帯電話にはジョグダイアルがついています。これがなかなかの優れものなのです。私はこのジョグダイアルをこよなく愛していて、ジョグダイアルの付いていない携帯は使うことが出来ないとすら信じているほどなのです。ところが、先週の木曜日から、私の気持ちも知らずに、私が愛してやまない、このジョグダイアルの調子が突如としておかしくなってしまいました。他の機能に変調はないので、これ以上の不具合が生じないうちにと、私にしては珍しく、思い切って修理に出す決心をして、善は急げとばかりにもう修理に出してきました。。家人は、私が「バカの壁」に行く手を遮られていると言います。「ジョグダイアルじゃぁなきゃダメ!」という思い込みが他の、より機能的な携帯に出会うかもしれないチャンスを封じ込めていると言うのです。。ジョグダイアルは故障が多いからこそ衰退しているのだから、もっと使いやすい機種があるはずだと発想を転換させるのが普通の感覚なのに・・ということのようです。あぁ!それでもやっぱり、人がなんと言おうと、私はジョグダイアルが大好きなのです。それにジョグダイアルの付いている携帯は(どこのメーカーとは言いませんが…内部設定が極めて機能的で整然としているので一度使用したら二度とは手放せない逸品なのです。)冒険も大事だけれど、愛着を感じる品物を大事にし続けるこということもうんと大事なことですよネ。ジョグダイアルよ!永遠に!(と祈るばかりです!!)
midnight_ray_polarisをカクテルにするとしたら…どんな色合いと味わいのカクテルになるのでしょう?もし考え付かれた方がいらしゃいましたら、是非レシピをお寄せください。超リーズナブルなお値段設定の歌舞伎町ゴールデン街にある「クレマスター」というバーでレシピどおりにmidnight_ray_polarisのカクテルを作ってもらおうと思っています。一度飲み干してみたいんです。midnight_ray_polarisがどんな味のカクテルになるのかを試してみたいんです。
ブランデー1/2 バナナ・リキュール1/2で作り、氷を入れたロックグラスに注ぎ、軽くステアする…このカクテルの名前をバナナ・ブリスと言います。ブリスとは英語で"無上の喜び"という意味。ところで、私の知っている「無常の喜び」さんはバナナが大の苦手だったはず… ごめんなさい。この文章の意味については、「無常の喜び」さん以外は、これを読んでも、何のことが書かれてあるのかをまったくご理解いただけないと思います。悪しからず、お許しください。m(__)m
宇宙と一体化する(宇宙と響きあう・宇宙と溶け合う)ことをイメージしながら気功を行うことで、もし宇宙との一体化に成功すれば最高の境地(涅槃の境地=安らけき境地)が得られるのだそうです。こうして得られた意識を宇宙意識と呼ぶのでしょうか?私はかつて、この宇宙意識らしきものを2回ほど体験したことがあります。「瞑想」を日常に取り入れていた時、身体中のどこにも痛みを感じない状態で、完璧な至福感に包まれるという至高体験をしました。けれどその感覚は残念なことに、あっという間に消退してしまうんです。でもこの体験の思い出はかけがえのないものとして記憶の片隅に今でも大事に、その時の感覚と共に保管されています。宇宙の中で、自分が日々生かされているという現実をを忘れ、「自分が…自分が…」という自己主張の無間地獄に陥れば、宇宙からはシャッターアウトされてしまうのだそうです。(怖いですね~)宇宙には「ただ今」の意識がいつも飛んでいるから、宇宙には「今」しか存在していないのだとのこと。宇宙は一瞬たりとも留まってはいないとのこと。「ある」と思った次の瞬間には、「ある」と思ったものはもう「ない」のです。「ない」と思った次の瞬間にももう「ない」と思ったものも「ない」のです。ある…ない…ある…ない…。これの繰り返しです。これでは、まるで禅問答のようですね。宇宙には「永遠の今」のみが存在する。瞬間瞬間も瞬間に流れていくわけですから、すぐに、ある事象は姿を変えてしまうということなわけです。難しい説明ですが、なんとなく判るような気もします。良い気がないと良い想念も出てこない。だとするなら、邪気を取るために気功を励行して、宇宙に邪気を返して、私たちは瞬間瞬間に生まれ変わらなければなりませんね。なんとなく忙しくて慌しいイメージを抱いてしまうのは、私がまだ、宇宙とは何なのか…を理解できていないからなのでしょうネ…
このブログは気功を始めたことによって変化するであろう私の日常を、起こってくるであろう不思議な体験を中心に綴っていくはずでした。教室に通いだした当初は不思議と思われることが次々に起こって、私を取り巻く空気の揺らぎがそこはかとなく感じとれたので、しめしめと内心ほくそ笑んでいたのです。が、ここへきて、その動きがすっかり静止してしまっているのです。まったく風が感じられないのです。これは大変なことになってしまいました。私から、宇宙の大いなる原理原則を信じる力が消退していこうとしているからなんでしょうか?愛が足りない…愛が足りない…愛が足りない…そういうことだからなんでしょうか?
デジカメに収めてきた、ギリシャのサントリーに島の小さなホテルの写真です。最近テレビのCMにこのホテルが映っていたのでびっくりしました。しかも、このホテルの前で十朱幸代さんがにっこり微笑んでいたのです。あのCM撮影は本当に現地で行われたのでしょうか?素晴らしいところですが、とにかく遠いのです。
私の家の窓から見える春の桜の様子です。春になると、この窓から、毎日の桜の移り変わりが観察できます。梅雨の季節に桜というのも何なんですが……桜です。(写真には実物の美しさが反映されていなくてとても残念です。)