
二兎社の芝居は一体いつ頃から観るようになったのでしょう…もう思い出せない位、昔のことです。忘れもしません。雑誌HANAKOに掲載されていた宣伝広告の「あなたを忘れたい」という題名に惹かれて劇場に足を運びました。現在の二兎社の主宰は永井愛さん一人ですが、当時は、NHKの大河ドラマの脚本家としても有名な大石静さんと二人で主宰していて、早変わり二人芝居がそれはそれは面白く楽しく、気の利いたシャレた舞台でした。
永井さん一人になってからの舞台は、とてもシリアスになって作風の印象が様変わりしました。それまでの明るくおしゃれで哀愁に満ちた胸の痛くなるような舞台から社会派としての骨のある舞台へと変化していきました。永井愛さんは一人になっても撤退せず、孤軍奮闘の末、毎年のように演劇関連の由緒ある賞を総なめにするまでにビッグになられたのです。
私だけの偏った見方になるかもしれませんが、二兎社は昔から、女性の生き様を主軸に描いた舞台が際立って光っていたように思います。どんな困難があっても、それを背負ってしまったことに対する言い訳をせず、抱えてしままった矛盾から逃げずに進んでいく女性の意識を主題の一つにしていました。
今回の「書く女」は樋口一葉を主人公にして、小説の師である半井桃水や家族(母と妹)、歌塾の先生や女友達、幾人かの青年文士たちとのやり取りを中心にそれぞれの人物像が浮き彫りにされてゆきます。
私は演劇通ではありませんので、演出のことやお芝居の出来栄えについての専門的な批評はできません。ただ、寺島しのぶさんの鬼気迫る演技はやはり素晴らしかったと思えますし、周りを固める役者さんたちも力量のある方たちばかりでしたので、優れた見ごたえのある舞台空間の中に身を置けた感動を味わえたと思っています。
舞台の最終盤が一番のクライマックスでした。どん底の貧困状態にもめげず、その状況を持ちこたえた一葉でしたが、恋焦がれた桃水との恋の成り行きにおいては、とうとうどんなカタチも見ずに終わります。いろいろあったけれど…最後に一人一人の人に、一人一人の人の存在と向かい合ってお礼をいう場面があります。今では死語にもなっている感謝という言葉を思い出させます。その場面は、私にとっては見所の一つでした。圧巻でした。
現代では、あまり切実な問題としては取り上げられなくなりましたが、男女の立場の違いで、男性には許されることが、女性には許されなかった時代の、女性が抱える忸怩たる思いが吐き出されるシーンがありました。文言の一字一句を覚えているわけではないのですが、男性に許されることのすべてを、女性も同じように(それはおおっぴらには行わないとしても)やってしまえ…(こんな乱暴な言い方ではなかったとは思いますが、私の心の中には、このような勢いで入り込んできました。)そんなニュアンスのことを一葉が語る場面に、私はひどく感動しました。ここでは男女の対比で表現していますが、このことは男女の問題だけには留まらない問題だと思います。
誰かにできることを「あなたはしてはいけない」とか「あなたにはできない」とは言われたくない。「あなたにはできない。」という人の言葉に簡単に同意してしまうわけにはいかない。私の中にふつふつと湧き上がる思いでした。できないことは山ほどあります。人にはできることとできないことがあるのは当たり前なことは百も承知です。でも、自分がやりたいと思ったことが上手くいかないからといって、「あなたにはできない。」という言葉を容易に受け入れてしまったら、あまりにも自分が可愛そうすぎます。
舞台のセリフとは全然関係のない文脈にそれてしまっているのかもしれませんが、一葉の激しい言葉を耳にした時に、私の心の中に賦活された思いはこのようなものでした。芝居の中のセリフや役者さんの造形に触発されて、自分の身のうちに潜在している感情群の特徴を確認するのも楽しい経験です。
★二兎社うぇぶ