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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

人生をマスターする10の鍵-その4

2006年01月31日 | my favorite・・・
他人の承認を求める気持ちを棄てること。自分の価値を判断するのは自分だけであり、誰が何と言おうと、自分の中に無限の価値を見出すよう目指せばいい。こう思ってしまえば、気持ちはとても自由になるはずだ。』 他人の承認を求める気持ち…とはどういう気持ちなのでしょう?誰かを喜ばせたい!とか誰かの期待に応えたい!とかの延長線上にある気持ちのことでしょうか?承認を求めるというよりは、成功したいとか、誰かの鼻をあかしたいとか誰よりも先んじて先頭に立ちたいとか、結局は、‘他人’ではなく‘自分’の弱さに打ち克って、生き難いこの人生において、自分なりのあるポジションを得たいという気持ちのことではないでしょうか?私自身には、‘他人の承認を求める気持ち’というものがないので、この言葉の意味が良く分かりません。「自分の価値を判断するのは自分だけ」ではないと思います。人がさまざまに、自分をどう捉えてくれているかという情報は、自分という全体像や実態を知る上ではとても貴重なものです。ただ、そうした情報に振り回される必要はないということでしょう。人は何とでも言います。ある意味、人の考えは、自分にとって、無責任極まりないこともありますから、人の考えを参考にはしても、そんなことで、自分を窮屈にしたり、それでがんじがらめになる必要はないということだと思います。自分は自分でしかないのですから、最後は、自分の考え方で、自分の思うとおりに生きるしかありません。人を傷つけたり不正を働いたりすることがない限りは、人の生き方に良いも悪いもありませんから、自分の生きたいように生きるしかないと思います。そう思えるようになるまでの道のりは、通常は、気が遠くなるほど長くて遠いものなのかもしれません。人生のいくつもの発達課題を超えて、ある程度の自分作りを終えて、もうどっちに転んでも、それはそれで何の問題もない…というくらいのステージに立てる身分になってからでないと、この課題をマスターすることはかなり難しいような気もします。だから、人生の草創期にある人は、むしろ、この課題には、まだ手をつけなくてもいいようにも思います。他人の承認を求める気持ちが起爆力になって、己の人生を驀進させるというメリットも侮れないと、私は思っています。また、たとえ、どんなに不自由を感じても、そうした気持ちが必要な‘時期’というものもあると思うのです。