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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

人生をマスターする10の鍵-その3

2006年01月30日 | my favorite・・・
静穏に過ごす時間、瞑想する時間、迷う心を鎮める時間をつくること。そのような時、人は自分が純粋意識の源に繋がっていることに気づく。自分の内奥に注意を向けることによって、他人の判断に惑わされることなく、自分の直感に従って行動できるようになる。』 日々の生活に忙しく、自分自身が、社会にも家庭にもおおむねうまく溶け込んで、まあまあの機能を果たせていると思えれば、心静かに過ごす時間が大切だなどとは改めて考えたりはしないものです。そういう観点からすると、瞑想の価値に気づくこと自体が、ある意味、この世の時間や価値観から外れた瞬間を体験したことがあるという事実を克明に物語るものだと、私は思っています。自分に自信があり、他者からもある程度の評価を受けていて、これといった挫折体験もなく、手ひどい心の傷を負ったこともなければ、大いなるものに対する畏れの気持ちや敬虔な態度は通常は持ちにくいものです。というか、そうした側面にはしばしば気づくことすらないものです。多分、迷う心を鎮める時間の大切さを知っている人とは、この人生を通常とは異質な価値観で生きることに、ある種の覚悟を持たざるを得なかった人と言い換えることも出来るのではないでしょうか。他人の判断を無視することが出来るほど傍若無人ではないけれど、人を選ばず、うっかり自分の思いを語ろうものなら、どんな刃を突きつけられるか分からないことを十分に知り尽くしているからこそ、本当の思いはめったなことでは、人には漏らさないのだと思われます。自分が大事だと思っている想念は迂闊に人に話すべきものではありません。以前、気功の先生がおっしゃっていました。「願いが叶うまでは、自分がどんな願いを抱いているかを人に話してはいけません。話してしまったら願いは叶わなくなります。」と。そういうことなのかもしれないと強く感じます。だから、私は心を許した人にしか、自分を見せる気にはなれないのです。とりわけ、自分の内奥から、時を選ばず突然湧き出てくる直感というものは、私の中の非常に賢い‘智恵’だと思っているので、その内容を人に喋ることはほとんどありません。。理屈も何もないのですが、時々、直感というカタチで、私の中の智恵が私を導いてくれていると感じることがあります。直感に従って行動して後悔したことはないような気がします。