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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

はてな?

2006年01月10日 | 日々の泡
カイロの治療を定期的に受けるようになってから、早いものでもう10ヶ月近くが経とうとしています。症状は当初に較べれば、雲泥の差で改善しているのですが、この現実を、身体の方がなかなか認めようとしてくれません。元の状態に戻ろう戻ろうとする力が働くのです。ともあれ、カイロの先生に、施療中に突然、次のような質問をされました。「何が変わりましたか?」最初は質問の意味が分かりませんでした。けれどすぐに、身体が楽になったことによって、生活にどんな変化が起きているかという質問だと理解しました。「思いつめなくなったと思います。」言葉が勝手に口から出ていました。答えてから、自分で、「へえ、そうなんだ。」と感心しました。「何事も、どうでもいいと思えるようになったかもしれません。」その言葉に、カイロの先生は慌てて、「嫌々、そんなことはないでしょう。」と応じていましたが、何事もどうでもいいというのは、自分としては、一つの答えにこだわらなくなったということの裏の意味で使っていました。剥きにならなくなったというか、どうにもならないことはもう、仕方がないと、諦めるということではないのですが、別の角度から、眺めてみようと思えるようになったということの、言葉を変えた表現のつもりでした。こだわればこだわるほど、思いつめれば思いつめるほど、物事は自然の流れから遠ざかっていきます。種は蒔きますが、刈り取りを焦っても、自然の摂理に逆らうことは出来ません。果報は農作物と一緒です。収穫は時期が来なければ、どんなに焦ってみても手にすることが出来ないように、果報も同様に、もしやってくるものならば、きっと忘れた頃にやってくるものなのだろうと思うようになっているのですが…。どうなんでしょうか?