

「人生には降りられない舞台がある」この言葉と、TBSの「情熱大陸」という番組の画面に映っていた、蒼井優の不思議な魅力に惹かれて、「フラガール」を見に行ってきました。
松雪泰子や蒼井優のダンスの見事さ・素晴らしさには目を見張ると同時にワクワクするような興奮を覚えないではいられませんでした。いくら女優さんとはいえ、あれだけの踊りをモノにするには、一通りの努力や苦労ではなし得ないことだと思うと、やはり、スクリーンの中で、自分の可能性をできうる限り表現しようとする心意気のある人たちはやることが違うなぁと感心しきりです。
出演者がとにかく皆、素敵なのです。冨司純子など、あんなおしとやかな雰囲気の人がちゃんと炭鉱町のドスのきいた骨のある母親役を演じているのですから大したものです。豊川悦司や岸部一徳などは、他の話題作にも軒並み(?)顔を出していますので、観たいと思えるような映画には同じ顔ぶれが並んでいるというような珍奇な現象が起きてしまっています。それだけ、力のある人が偏っているということになるのでしょうか?
冨司純子が搾り出すように語る台詞があります。「今まで、暗い場所で、歯を食いしばって頑張ることだけが働くことだと思ってきた。だけど、踊りで人を喜ばすようなこともあっていいと考えるようになった。」細かい文言は、こういったものではなかったかもしれませんが、このような趣旨のことを語ります。
社会のお役に立つことや誰からも後ろ指刺されないで済む分かりやすい仕事だけが仕事ではありません。この映画は実話だそうですが、この奇跡の物語の過程には恋、友情、家族、など、人が生きる上で避けては通ることのできないありとあらゆるテーマが重層的に埋め込まれています。そんな中で、仕事とは何かということを考えさせてくれる点が盛り込まれていることも見逃すことはできません。
けれど、あれこれ難しく考える必要もありません。どこかで聞いたのですが、大変という文字には、大きく変化するという意味が含まれているのだそうです。大きく変化するような出来事に遭遇したり体験したりすることが大変でないわけはありません。大変な経過を踏まなければ、大きな充足感もまた得られないことでしょう。
松雪泰子や蒼井優がダンスを踊る時にはいていた真っ赤なフレアースカートが、私には強い意思と自由の象徴のように見えました。綺麗で美しいばかりではなく、「踊る」ということを汚すことのできない神聖な行為として守るための大事な武器に見えたのです。炭鉱町の、すべてが煤けて灰色に写る景観の中で、その赤いスカートだけは一際、その周辺を輝かせるものの象徴として機能していました。しなやかな身体の線―激しくテンポのいい踊りなのに、すべてがとてもゆったりとしなやかに見えるのは何故だったのでしょう。この踊りが、十分な余力を溜め込んだしなやかな生き方を表現するものに感じられたのは私だけだったのでしょうか?
どんなに周囲の反対が強硬でも、その風当たりに負けず、自分の筋を貫き通せば、それが完成した時には、拍手喝采を浴びることができる。仮に、拍手がないとしても、感動を呼び起こすことができる。壮観なフラダンスのうねりの中で、「生きることは(命を燃やすということは)こんなに楽しいことなんだろうなぁ」ということをしみじみと、どきどきと感じさせてくれる骨太な映画でした。
★フラガール