人生をマスターする10の鍵-その1 2006年01月26日 | my favorite・・・ ディーパック・チョプラ氏の「エイジレス革命」という著作の中に、「人生をマスターする10の鍵」なるものについての記述があります。「人生をマスターする」というのは、自分の人生や状況に対して自主性を持つという意味であるとした上で、興味深い10項目が挙げられています。バイロンという人は、「人は自分の限界を超えて成長していく。天国はその先にこそある。」などというすごいことを言っていますが、すべての人間が、限界を超えてまで成長できるようなきっかけやチャンスを掴めるわけではない(恵まれるわけではない)と、私などは思っています。淡々と繰り返される日常の中から、心境の変化や気持ちの転換を掬い上げることは至難の技です。さまざまな文化や時代に生きた長寿の人たちを研究した結果、「長寿に最も関連のある自我意識は、人生をマスターしているという思いだ」という考察を導き出した人がいます。また、とても意外なことなのですが、創造的活動に入った年齢が遅い人ほど年をとっても創造的でいられるようだという研究結果もあります。年をとれば、すべての能力は衰えていくばかりだと思われがちですが、わが国にも、日野原重明氏や森光子さんのような方もおられます。それでは、その、10の内容について、少しずつ、書いてみようと思います。まずは、その1.についてです。『快、不快というサインによって示される体の智恵に耳を傾けること。何かをする前に、自分の体に「これをどう感じるか」とたずねてみる。もしも肉体的あるいは感情的な苦悩や悲嘆のサインが戻ってきたら注意した方がいい。逆に快感と前向きな熱意が伝わってきたら、迷わず実行すればいい。』 極めて、原始的で根源的な‘心身の声’に素直に耳を澄ませばいい…ということを言っています。生まれたての赤ちゃんが、未分化な状態から、まず手始めに掴む感覚が、すなわち、この快-不快の感情であることを思えば、要するに、人間としての基本に還れ!ということのように思えます。快-不快の違いに対して鈍感になってしまうと、自分という存在からはどんどん遠ざかっていくことになると思いますので、私もこの考えには同感です。同感どころか、今では、私の場合は、不快な方向には眼が向きません。快こそを‘我が友’にしている日常です。