
かつて、職場の女性上司に「過去の栄光なんて何の意味もないのよ!今が幸せでなければ…」と言われたことがあります。その頃の私は、「いつかは幸せになりたい!」と願う(ということは、‘今’が幸せとは決して思っていない)夢見がちな人間でした。幸せとは私にとっては、スキーのリフトのようなもので、ある一定の間隔を置いて、目の前に、あるにはあるけれど、目の前のチェアには決して手が届かない…という性質を備えたものでした。けれど、いつかは必ず幸せになるために、その日を楽しみにして、今の、目の前の苦労には耐えていこう!というスタンスの持ち主であったということは、幸せを手に入れることをとても楽しみにしている人間でもあったということです。

今が幸せでなければ、過去の栄光はガランとした古代遺跡のようなものになってしまいかねません。けれど、今もいつも、私が私として幸せであり続けるならば、過去の栄光は現在の私の強く頼もしい礎や土台となってくれるはずです。

今を幸せと実感出来なければ、‘幸せ’という絵に描いた餅は、いつまでたっても絵の中の餅でしかなく、私は永遠に、現実のものとして味わえるはずの生の餅の味を知り尽くすことは出来ないでしょう。幸せは未来にあるものではなく、‘今’という時の中にそれを感じ取れる能力を持った人間の心の中だけに存在できるものなのかもしれません。

結婚当初、タレントの山口もえさんが「人生がこんなに楽しいものだとは知らなかった!」と言っていました。彼女は今、本当に幸せなんだろうなぁ…と、人の幸せなのに、その言葉を聞いている私にも強く実感出来る迫力が伝わってきました。好きな人と一緒に生活できるという現実は、人をここまで幸せにする力があるのだと感動しました。

もえさんのように、強烈な実感を伴う幸せを持続的に体験できる人は、稀有かもしれませんが、私も遅ればせながら、やはり、自分のことを幸せだと感じられるようになってきています。そして、有難いことに、過去のどんな時よりも、「いつだって今が一番幸せ!」と、たとえ、どんな困難な状況を抱えていようとも思えるようになってきていることにもとても感謝しています。