ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

怒りとは

2019-04-23 16:27:33 | 日記

ここ数日間、私はあることでとても怒っていた。

私も悪かったと思う所があるものの、それ以上に相手の思いやりの無さが腹立たしくて思い出すたびに腹を立てていた。

いかん、いかん、こんなに腹を立てては自分の為にも良くない。

そう思って怒りを静めようとするのだが、今度は怒りは相手にではなく自分自身へと返ってきた。

無理に押さえ込もうとする怒りの感情は、じわじわと自分自身を蝕み始める。

そんな時、自分の心は石のように固くなり、そして冷たく閉じていると感じる。

先日、丁寧に暮らそうと思ったばかりだったのに、なんということでしょう・・・

怒りという感情を持つと、もはやそんなことはどうでもよくなる。

多分、このような状態が長く続くと、やることなすことうまく行かなくなったり、最悪自分の身体も悪くしてしまうのだろう。

 ところで、怒りと同じように悲しみの感情というのも、自分の心から光が消えて閉じるような気がするが、それでも悲しみ以上に良くないのが怒りの感情だと思う。

怒りは個人の問題だけではなく、国家間の戦争だって引き起こす。

怒りというのは、もしかして人間の感情の中で最も持ってはいけない感情なのではないだろうか。

とは言え、怒りが力となる場合もあるかもしれないし、世の中には腹の立つことが多いのも事実で、何でもかんでもニコニコとしていたらバカを見るというのが世の常かもしれない。

それでもやっぱり怒りの感情を持つこと(持ち続けること)は良くない。

数日間、怒りの感情に囚われていた私がずっと考えていたことだった。

怒りの感情を持ち続けないためには、怒る原因となった出来事にばかりフォーカスするのではなく、他に何か楽しいことを見つけるとか、それでも怒らなくてはならない状況ならば、冷静に手を打つということだろうか。

私がそうだったように、怒りの渦に巻き込まれてしまうことが、最もしてはいけない事だと思う。

本当に怒りの感情というのは、自分自身にとって良いことはひとつもない。

ところで毎朝、私は神祀りや先祖供養と同じく日課にしていることがあって、それは自分の胸に意識を集中して、心を開くように深い呼吸をすることだ。

これはもう始めたのがいつだったか忘れたほど、ずっと前から行っている。

ほんの短い時間だが、これをすると自分自身の心の状態を確認できるような気がしている。

怒っている時は、心が固くて冷たくて閉じているような気がするし、そうじゃない時は心の奥から出た光が身体中にあふれ出すような気がする。

だから心が固くなった時は、心が開くように意識してやり続けることで、まるで大きな白い花がゆっくりと開花していくように心が柔らかく広がっていくことを感じる。

その頃には怒りの感情もすっかり消えて、うきうきとした喜びの感情が湧き上がってくるような気がしてくる。

ここでふと気づいたのだが、私はさっきから「気がするとか、気がしてくる」といった言葉を多用していた。

しかし、まさにこれしか表現ができない。

私はこのように感じているだけなので、こうした表現で書いてしまったが、他の方はまた別の感じ方があるのかもしれないし、やり方は人それぞれだと思うが、共通するのは怒りの感情を長く持ち続けてはいけないということだろうか・・・

なんだかえらそうに書いてしまいましたが、ここ数日間怒りの感情で苦しみ、そこから復活した心の流れを書いてみました。

どなたかの参考になれば幸いです。

 

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