テレビを観ていたら、「自分は滅多に怒ることがない」と歌手の若い男性が話していた。怒りが湧いてこないのだそうだ。
まだ若いのにすごいなーと感心して聞いていた。
もちろんこの男性歌手さんのように怒りが湧いてこないという人もいるだろうが、怒り心頭ということは滅多にないとしてもムッとしたりカチンとくるのは、誰しもよくある?のではないかと思う。
でも、その怒りをいつまでも持ち続けていたり、憎しみを持つことは、やめた方がいいということは、最近よく思う。
私自身に関していえば、元々とても短気なタチで、カッとなると言わなくてもいいことを言い返したり、顔や態度に分かりやすく表れてしまったりした。
しかし自分が出した怒りは、自分に還ってくるというのは本当で、若い頃は、それで痛い目に遭ったり後悔したりということも多かった。
さすがに最近は、歳をとって怒りの導火線がかなり長くなったのか、はたまた湿って火がつかなくなってしまったのか分からないが、一瞬ムッとなることはあっても、昔のように言い返したくなるほどの怒りを覚えることはあまり無くなった。
昔なら間違いなく怒りをおぼえたであろう相手に対しては、今は怒りよりも憐れみをおぼえることが多い。
ところで本を読んでいたら、仏教における怒りについてが書かれていた。
仏教では、怒りの念を抱くことが、一番悪いことだとされているそうだ。
それはとても厳しい教えで、たとえ相手が悪くても、決して怒りに心身を囚われてはいけないという。
その理由は先にも書いた通りで、人を恨むことや怒りの感情は、やがて自分に返ってきて、自分が苦しまなければならない結果を生むからなのだという。
これは生きている人間だけではなくて、地縛霊となって現世を彷徨っている人にも言えることで、死後も誰かを怨み、呪っていることで成仏出来ずに苦しむ霊がいる。
産まれてから成人過ぎまで住んでいた家には、まさにそんな霊がいた。
それを感じていたのは私だけではなく、母と弟も感じていたようだ。
弟が感じていたなんて全く知らず、大人になって、弟から実際に話を聞いた時には、とても意外で驚いた。
それにしても、もうずいぶん前に亡くなったであろう霊からは、強い憎しみの感情が伝わってきた。
詳しいことは書かないが、大人になってもその霊は居座り続け、一度はっきりと足元が見えた時に、私が思わず怒りの感情を向けたことで、さらに強い憎しみや怒りの感情がかえってきたことがあった。
その後、何年も経ってからやっと、何があったのか知らないが、何十年もの間ずっと怒りや恨みの念に囚われて気の毒な人だと思えるようになったのだが、それからある時を境に急にいなくなった。
果たして成仏されたのか、火の車が迎えにきたのかわからない。
生きているうちに自分の出したものが返ってくるのは、まだ幸い。
死んでからも自分の出した悪い念に囚われて苦しむことだけはしたくない。
自分が怒りにまかせて仕返しを考えなくても、いずれ相手も自分がやったことを受け取ることになるのだと思えば、恨んだり呪ったりすることがバカらしく思える。
というわけで怒りをコントロールする練習。
まだまだだなぁと思う。