ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

切なさ

2019-02-13 15:49:47 | 日記
91歳になる義母の話は、99・8パーセントくらいが昔話だ。

義母のこれまでの人生で脳内に一番思い出深く残っている幾つかの出来事が、繰り返し繰り返し義母の口から語られる。

それらは、義母の頭の中でも繰り返し思い出されているのだろう。

年老いて現在の事が記憶に残りにくくなると、誰でもそうなるのだろうか・・・

私は、今のところ義母のように昔のことを思い出して懐かしむということはまだないのだが、唯一ピアノを弾き始めると不思議と過去の映像が脳内に流れ始める。

過去、それは小学生くらいまでの時期に限られており、それ以降のことは思い出すことは無い。

小学校入学前、雨上がりにできた道端の水たまりの中に入って遊ぶ、長靴をはいた自分の足。
黒く濁った水たまりの上をすいすいと泳ぐアメンボ。

逆上がりの練習をした公園の鉄棒と草むら。
鉄棒の上から見た白い雲と青い空。

習字教室へ行く途中の風景。
舗装もされていないデコボコ道を、車が時々通り過ぎて舞う砂ぼこり。

小学校の授業で育てた青菜の色と形。

手袋の上に落ちるふわふわの雪、そして凍りかけたザラザラの雪。

冬の夜、銭湯から帰ってくる途中に見上げた夜空と星。
ひしゃくの形をした北斗七星。
濡れた髪のままいつまでも外に立って見ているので、母に風邪をひくと言って叱られた。

そのような想い出がはっきりとした映像となって、自分の弾くピアノの曲に合わせて脳内を流れていく。

何十年もたって忘れていたけど、確かに子供の頃に見ていたものたち。

まるで当時の自分が、いま見ているようなあざやかな映像の数々が頭の中を流れていく。

そして、それらの映像を想い出す時、私はとても切ない気持ちになる。

悲しくも嬉しくも楽しくも懐かしくもないのだが、言葉に表すとしたら切ないという表現しか思いつかない。

ピアノを弾くたびに切なさが募るから、最近すこしピアノを弾く頻度が減った。

な~んてね。ピアノは弾いていないのだが、ブログを書くうちにまた切なさがこみ上げて来てしまったわ・・・

さてと、また現実に戻ってしっかりとやるべきことをやらねば。

明日は海を渡って行きます。








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