ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

大祓祝詞

2018-03-20 16:16:09 | 日記
毎朝行っている神祀りだが、今年になってからどうしても大祓祝詞を唱えたくなり、先月初旬から、毎日神棚の前で奏上している。

なぜ大祓祝詞を奏上したい気持ちが強くなったのかと言うと、もっともっと神様に喜んで頂きたいと思うようになったからだろうか。

さらに言えば、神様にはたくさん幸せになって頂きたいと思うようになったから。

長い間、人々の心の奥底に押し込められていた神様には、大変申し訳ないことをしてしまっていたと深く反省している。
私自身についても、今まで自身の中に神様がいらっしゃることを信じることもせず、自分に都合の良いことだけを、神様に祈願するという数々の無礼を犯してきた。

神の存在を心の底から信じることができた今、まだまだ人々の心の奥底に押し込められていらっしゃる神様には、これからますます現れて来られて、幸せになって頂きたいと心から願っている。

だから、時々読み間違いをして言い直しをしながらも、心を込めて大祓祝詞を奏上させて頂く。

ところで、大祓祝詞を奏上し始めてから1か月近くが過ぎた頃だろうか。

神棚に祀ってある榊のお水を替えようと、榊を取り出してから榊立の中を何気なくのぞきこんだ時の事だった。「あらっ、榊立の中がきれいになっている?」と思った。

榊立はご存知のように白い陶器で出来ているのだが、長く使っていると中が真っ黒になって汚れてくる。

時々、漂白剤を入れて掃除をするのだが、私の榊立はしばらく掃除をさぼっていたため「もうそろそろやらないとまずい」と思うほど、真っ黒に汚れが付いていた・・・はずだった。

ところが、その汚れが昨日見た時よりも薄くなっているような気がした。

掃除は私以外にだれもしないので、家人が綺麗にしてくれたという事は絶対にない。

最初は気のせいだと思った。
「初めからこの程度の汚れだった」と思い込もうとしたのだが、それから毎朝、気になって榊立の中を見るようにした。

すると、やっぱり少しずつ汚れが落ちているのが分かった。

あの真っ黒だった器の中が、徐々に白くなっている!

驚きだった。

何年も神棚をおまつりして、毎日榊のお水を替えているが、一旦黒く汚れがついた榊立の中が掃除もしないのに綺麗になって行くというのは初めてのことだ。

なぜ榊立の中が、掃除もしていないのに自然に綺麗になっていくのか?

榊立の中が綺麗になっていると気が付いたのは、大祓祝詞を読み始めてからだ。

ということは、汚れが落ちたことは大祓祝詞と関係があるはずだ。

大祓というくらいだから、榊立の汚れが祓われたのだろうか。

ところで、何年も前に実験をしたことがある。
(これは昔ブログに写真入りで載せたのですが、残念ながら当時のブログ記事をすべて削除したため残っていませんが本当のことです)

その実験ですが・・・まず、できるだけ同じ条件で用意した二つの瓶に、同じく炊いたご飯をそれぞれ入れて、一つの瓶には「ありがとう」という紙を貼り、もう一つには「ばかやろう」と書いた紙を貼る。

そして、紙に書かれたそれぞれの言葉を毎日ご飯に向かってかけ続けた。

すると驚くべき結果になった。

ありがとうと言葉をかけたご飯は白いままでお粥のようにドロドロになって発酵したが、ばかやろうと言葉をかけたご飯は黒カビが生えて腐ってしまった。

それは、ご飯に含まれる水分が言霊の力によって変化したものだと、「水からの伝言」の著者江本勝氏が書かれている。

「ありがとう」「ばかやろう」というそれぞれの言葉によって、はっきりとその違いが現れたので、やはり言霊というのはあるのだなぁと確信した記憶がある。

つまり良い言葉には水を美しく変化させる言霊があるということなので、榊立の中の水が大祓祝詞の言霊によって変化し、容器の中の黒い汚れまでも落としたということなのだろうか。

なんてね。あれこれ考えるのが私の悪いクセでもあると思っている。

事実は榊立が綺麗になってきたということ。

そして、神様はいるということだけ。

信じる、信じないは、あなた次第・・・





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする