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上田トシコ先生と僕( 再録)

2009-04-29 00:44:37 | 「フイチンさん」「お初ちゃん」「ぼんこちゃん」(コミックパーク)上田トシコ
自転車で立ち寄った本屋さんで(フイチンさん)を見つけた11才の少年の日からずっと憧れ続けていた上田先生。
あの日から数十年。
2001年春、3月にまだ無名の僕が先生のご自宅へインタビューの為、お訪ねしたら、第二応接室へ通され(いきつけの喫茶店のことを先生はそう呼んでいた)、心良く長時間にわたりお話を聞かせてくれた上田先生。
弥生美術館での展覧会、倉金章介・上田トシコ・今村洋子展開催の時、ギャラリートークの後、隣の喫茶店でお茶会が行われたときは、頌栄女学校時代の後輩の人達が
(在学中から上田さんは、下級生皆の憧れの先輩でした。)
と話してましたね。
先生のインタビューや、お借りした若い頃の写真を何枚も収録した(少年画報大全・少年画報社発売)がキッカケとなり、社団法人日本漫画家協会へ研究者として入会出来たことを、先生が文部科学大臣賞を受賞した協会のパーティーの席で報告した時、
(本当に良かったわね。) と笑顔で一緒に喜んでくれた上田先生。
(フイチンさん)のアニメが完成した時、渋谷のブルームホールでの完成試写会にまだ駆け出しの僕を一人前の研究者として認めて呼んでくれた上田先生。
お礼を兼ねた年賀状を送ると、いつも僕にまで丁寧な御返事を書いて下さる上田先生。
下北沢のトリウッドで、(フイチンさん)が上映された時、ファンが長い行列を作ってサインを頼んでも、全員へ笑顔でサインをしてあげていた優しい上田先生の姿が眼に焼き付いています。
2005年11月3日杉並アニメーションミュージアムで、まんがの日のイベントとして、(フイチンさん)の上映が行われた時、ゲストとして来て欲しいと鈴木伸一館長に相談され、そのことを伝えると心良く来ていただけた上田先生。
あの日が先生と御逢い出来た最後の日となりました。(幸運なことに僕は七回も先生に御逢いすることが出来ました。)
さようなら上田先生。さようなら。
いつもヒマワリのように明るくて、やさしくて、綺麗で、あたたかい上田先生だったから、僕は、こんなお別れの日がくるのは、まだほんのちょっぴり後の事だとばかり思っていたんだ。メイファーズ。
ツァイチェン。


上田トシコ先生は、2008年3月7日永眠されました。享年90歳。
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