言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

アジア各国の賃金例

2009-08-29 | 日記
 「要素価格均等化の定理」 によって、日本の賃金は、アジア諸国並みにならざるを得ない。それでは、アジア諸国の賃金は、どのくらいなのでしょうか。それを示しているのが、次の表です ( ほかに、関連する資料として 「中国人研修・実習生の賃金例」 があります ) 。



小林良暢 『なぜ雇用格差はなくならないのか』 ( p.221 )

業種など聞き取り賃金時給/円月額換算/円
中国電子機器大連600元/月588,400
天津740元/月6710,360
天洋食品800元/月7712,000
ペトナム自動車組立ハノイ110万ドン/月637,500
インド地下鉄工事現場デリー2900ルピー/月467,000
道路工事現場同100ルピー/日315,000
北朝鮮開城工業団地5000円/月325,000


 この表は、アジア各国の賃金事情として、本に掲載されていたものです。出所として、「筆者の聞き取り調査、天洋食品と開城工業団地は朝日新聞2008.9.1」 と記載されています。

 また、韓国・中国・ペトナム・インドには、非正規雇用が多い、と記されています。



 もともと、賃金面で価格競争力の強い国においても、非正規雇用が多い。とすれば、日本で非正規雇用が増加し続けるのは、「やむを得ない」 と考えざるを得ません。このことから考えても、「非正規雇用の人々を正社員化せよ」 という主張は、現実的ではないと思います ( 「「派遣禁止=正社員化」 路線の問題点」 参照 ) 。



 日本では、労働者のの賃金は下落せざるを得ない。とはいえ、月給 1 万円程度にまで下がる可能性があるというのは、労働者にとっては、非常に厳しいものがあります。現在、月に数万円~十数万円程度稼いでいる 「ワーキングプア」 の人々は、「いまはまだ恵まれている。本番はこれから」 ということになるでしょう。

 それではどうすればよいのか。それを考えています。

要素価格均等化の定理

2009-08-28 | 日記
小林良暢 『なぜ雇用格差はなくならないのか』 ( p.208 )

 国際経済学の理論に、「要素価格均等化の定理」というものがある。国際経済学の教科書には「ストルパー=サミュエルソンの定理」などと書かれているが、一言でいえば「低賃金国からは低価格品が大量に流入して、賃金の高い国の労働者は、生産要素が等しくなるところまで賃金の引き下げを免れない」というものである。これを、もっとやさしく言い換えると、アジアの国々から安い商品が入ってくると、日本の労働者の高い賃金も引き下げざるを得ないということである。しかし、いったん上がった賃金はなかなか下げられないので(これを「賃金の下方硬直性」という)、結局は「低賃金国からの低価格品」に負けて、経済停滞が長期化するということになる。九〇年代の日本は、まさにこの要素価格均等化の衝撃に見舞われて、「一〇年不況」に陥ったのである。
 こうした状況は日本に限らず、世界各国でも雇用を巡る事情は同じであった。グローバリゼーションは、日本ばかりでなく先進各国にも要素価格均等化の圧力を与えた。その表れ方はバブルの後遺症を抱えた日本と諸外国では異なるが、相対的に恵まれた先進諸国の労働者の安定した雇用と賃金に対して「破壊圧力」をかけた、という点では共通していた。


 要素価格均等化の定理 ( ストルパー=サミュエルソンの定理 ) により、世界各国の賃金は等しくならざるを得ない、と書かれています。



 この定理は、( 賃金の安いアジア諸国と競争すれば ) 日本やアメリカでは、労働者の賃金は安くならざるを得ない、と説いています。これはいわば、当然のことであって、わざわざ、「定理」 といわれるまでもありません。

 現在、日本で非正規雇用が増えたり、正規雇用であっても待遇が悪化し続けている原因は、まさに、この 「要素価格均等化の定理」 が説くメカニズムによるものだと思います。



 ここで重要なのは、このさきです。

 (1) 日本では労働者の賃金が下がるのが自然である。それはわかった。そしていま、その原理によって賃金が下がっている。それもわかった。しかし、それでは困るじゃないか。どうやって暮らすのか。それに答えよ。

 (2) 理論上、賃金は下がらざるを得ない。それはわかった。しかし、賃金を下げずに切り抜ける方法はないのか。その方法を探しだすのが、経営陣の役割ではないのか。どういう方法を考えているのか。それに答えよ。



 上記、(1) は政治に突きつけられた問いであり、(2) は各企業の経営陣に突きつけられた問いです。また、両者は経済学者に突きつけられた問いでもあります。

 どちらも、答えるのがとても難しい問いだとは思いますが、答を探しだすのが、彼らの役割であり、使命なのです。現在の状況は、問いに答えるべき人々が、問いに答えていない、あるいは、答えられないからこそ、だと思います。問題の根源は、

   「いわゆる」 エリートが、エリートの役割を果たしていない

ところにあります。



 上記、「定理」 の存在が示しているのは、労働者 ( とくに非正規雇用の人々 ) の苦境は、

   自己責任ではなく、構造的な原因によるものである、

ということなのです。もちろん、なかには、自己責任だと言わざるを得ない労働者もいるとは思います。しかし、原因が構造的なものである以上、

   自己責任を問われるべきなのは、いわゆるエリートである、

といってよいのではないかと思います。



 しかし、もともと答が存在しない、すなわち、「要素価格均等化の定理」 を打ち破ることが不可能である、とすれば、

   誰にも責任はないが、全員が、( それぞれ ) 手を打たなければならない

ということになるはずです。おそらく、これがもっとも 「正しい」 のではないかと思います。



 なお、「エリート」 という言葉は、あまり好きではありませんが、社会で一般的に通用している言葉なので、わかりやすく表現するために用いました。「いわゆる」 エリート、という表現で、そのあたりのニュアンスを表現しています。

年金給付の減額

2009-08-28 | 日記
 年金とは本来、老後の暮らしを保障するものだと思います。その、「暮らし」 のレベルは、「それなりの」 レベルであればよく、必ずしも、高い水準である必要はありません。すなわち、

   現役時代に高収入・高所得だったからといって、高額の年金を保障する必要はない

と思います。すくなくとも公的年金では、その必要はないと思います。



 したがって、年金の基礎部分 ( 一階部分 ) として支給される金額 ( 一定額 ) が、夫婦二人 ( あるいは単身者付加給付を受けた単身者 - 「単身者付加給付が必要」 参照 ) が 「それなりに」 暮らせる程度になるのであれば、所得比例の部分 ( 二階部分 ) は、とくに設ける必要はないと思います。つまり、

   「それなりに」 暮らせる給付であれば、一階部分のみでよい

と思います。

 それでは不満がある、というのであれば、別途、民間の保険に入るなりして ( 自由に ) 対応すればよいと思います。そもそも、所得比例の給付 ( 二階部分 ) をも受けたい、という人は、現役時代にそれなりの収入を得ていたはずですから、民間の保険に入るなり、不動産投資を行って家賃収入を得るなりすることが可能であり、わざわざ公的な制度を設ける必要はありません。



 さらに、たとえば資産が 10 億円だとか 20 億円だとか、( 最低でも ) その程度あれば、公的な年金などまったく必要ないと思います。当人も公的年金など、端から ( はなから ) 期待していないでしょう。したがって、一定額以上の資産を有する者については、「年金給付減額の論理」 でみたように、給付を減額してよいと思います。

 とくに、「公的年金は税方式がよい」 とすれば、給付を減額するどころか、まったく給付しないことも可能です。したがって、たとえば、

  1. 資産 1 億円以上の者については、資産が 1 億円増すごとに、一階部分を 1 割減額する ( = 1 億円あれば 1 割減額、2 億円あれば 2 割減額、…、9 億円あれば 9 割減額 )
  2. 資産 10 億円を超える者については、年金給付を行わない

とすることも、まったく問題ないと思います。この減額規定を設けることによって、大多数の人々の給付 ( 一階部分 ) を、( すこし ) 増額することが可能です。

 もともと、年金制度の改革は、年金の破綻を避けるために必要とされていることを考えれば、年金給付の減額・停止も考慮すべきだと思います。それなりに資産があれば、( たかだか、月に 10 万、20 万程度の ) 年金給付が減額・停止されることに、不満はないのではないか、と思います。



■追記
 書き添えるまでもないとは思いますが、私は不動産投資を推奨しているわけではありません。不動産投資は、損失をもたらす可能性があります。

単身者付加給付が必要

2009-08-28 | 日記
小林良暢 『なぜ雇用格差はなくならないのか』 ( p.191 )

 老後生活のシビル・ミニマムを保障する水準として、六五歳以上の人々に、誰にでもあまねく基礎年金八・五万円の個人年金を保障する。したがって、夫婦二人世帯に対しては、一七万円の支給となる。これは、総務庁「家計調査」から見た必要生計費や生活保護の東京の水準を考慮して、なんとか生活できる水準と判断した。ただし、持家で住宅ローンの支払いが終わっていることが前提になるので、この条件に達しない人のためには、高齢者住宅制度の拡充で別途対策する必要がある。
 また、単身者には三・五万円を付加給付して一二万円を支給する。これは、連合が行った必要生計費調査での水準に沿っており、これで最低生活を保障する。この制度の唯一の欠陥は、偽装離婚して二人で二四万円をもらおうとする者が出てくることで、これは抜き打ち調査で対応するしかないだろう。
 こうなれば、公共政策としての公的年金は、この基礎年金にすべての年金制度が統一されるので、誰でも同額の年金を受給できる「究極の年金一元化」が実現する。


 年金制度をどうすべきかについて、( 本の ) 著者の意見が書かれています。



 上記引用部分からわかる ( 推測される ) のは、年金支給額は本来、「夫婦二人で」 生活することを前提に計算されている、ということです。一人よりも二人のほうが ( 生活費が ) 安上がりですから、合理的な方法だと思います。

 しかし、離婚した人や、生涯独身だった人については、別途考慮しなければなりません。単身者付加給付は、必要だと思います。



 ところで、偽装離婚をする人は、現に存在しているようです。年金ではなく、行政による何か ( 忘れました ) の給付を得ることを目的に、書類上で離婚をしたことにしておいて、実際には近所に住む。そして、元配偶者 ( 事実上の配偶者 ) のもとに、通うわけです。とんでもない話ですが、そうでもしないと暮らしていけない、という面もあるのだと思います。これについては事情によりけり、でもあり、司法に委ねればよいと思います ( 制度設計に際しては、とくに考慮する必要はないと思います ) 。



 なお、このブログはあくまで、「私の」 意見を形成することを目指しています ( とはいえ、究極的には、社会をよりよいものに変えることを目指していますが ) 。したがって、他者の見解を紹介・論評することは ( 本来の ) 目的ではありません。著者の見解とその根拠について、詳しく知りたいかたは、直接、本をお読みください。本には、各党の対策なども紹介されています。

公的年金は税方式がよい

2009-08-27 | 日記
小林良暢 『なぜ雇用格差はなくならないのか』 ( p.172 )

 第二は、年金保険料の未納者が急激に増大していることである。社会保険庁が発表した国民年金の納付率は、〇七年度で六三・九%となっているから、未納率は三六・一%ということになる。都道府県別の納付率を見ると、東京五九・二%、大阪五四・四%、沖縄四二・八%がワースト3である。
 しかし、この納付率の計算にあたって、社会保険庁は分母から保険料免除者を除いており、実際に保険料を払っていない未納比率は平均でも五〇%に達しようとしている。また、厚生年金の被保険者数も、九七年の三三四七万人をピークに年々減り続け、〇一年は三二一九万人と、この四年間で一〇〇万人も減少した。
 このような年金制度への未納・未加入の増大は、将来は無年金層を大量に生み出す可能性があり、まさに「年金の空洞化」が始まっているのである。しかし、政府の社会保障国民会議は、国民年金のこのような事態について「現行の納付率で将来無年金者が大きく増大することは考えにくい」としている。だが、この現状認識は甘すぎはしないか。


 公的年金への未納・未加入者が増大しており、無年金層を大量に生み出す可能性がある、と書かれています。



 厚生年金の被保険者数が減り続けているのは、サラリーマンが減ったからかもしれず、未納・未加入者が増えたからであるとはかぎらないのですが、

 国民年金の未納・未加入者が増え続けていることは間違いないと思います。



 そこでどうするか、が問題になるのですが、要は、徴収を強化するか、税方式に移行するか、だと思います。

 年金制度への信頼が揺らいでいる現状に鑑みれば、徴収を強化する選択は、事実上、ありえないと思います。したがって、税方式に移行するべきだと思います。

 税方式に移行した場合、徴収が容易になる、ということのほかにも、好ましい点があります。行政の簡素化です。現在、社会保険料を徴収する機関と、税金を徴収する機関とが併存していますが、どちらも、国民から金銭を徴収することには変わりありません。その金銭を、社会保険料と呼ぼうが、税金と呼ぼうが、実質的には、おなじことです ( すくなくとも、大差はありません ) 。

 年金を税方式に変えれば、徴収強化の問題は発生しませんし、行政の簡素化・効率化を唱える昨今の社会風潮にも合致します。税方式がよいと思います。



 税方式に移行する場合、消費税の増税、という話が出てきます。おそらく、税方式ではなく、社会保険料方式の維持が主張される原因は、ここにあるのではないかと思います。消費税増税には、社会的な抵抗が強い。さらに、人間には、なるべく 「税金」 は払いたくないが、自分の利益に直結する 「社会保険料」 であれば払おうとする傾向があります。したがって、税方式の実現は、きわめて困難であるとも考えられます。

 しかし、「労働力を買った者にも消費税を」 課税すれば、消費税率を上げる必要はないのではないかと思います。少なくとも、現在、喧伝されているように、10 %だとか 15 %にする必要はないと思います。公平にもなりますし、これなら、( 企業はともかく ) 国民には、さほどの抵抗はないはずです。これでよいのではないかと思います。



 なお、公的年金に所得比例の部分 ( 上乗せ部分 ) を設けるのであれば、その部分も消費税方式でよいのか、別途考慮する必要があると思います。



■追記
 年金保険料が不要になるので、実質的には減税になります。したがって消費が喚起され、景気対策としての効果も期待されます。