田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.31 )
註: 引用の際に、文字化け回避のため丸数字を (1), (2) に変更しています。
南京大虐殺はなかった、と書かれています。
この記述によれば、南京大虐殺はなかった、と結論することになります。ところが、中国側は、あった、と主張しており、意見が食い違っています。それでは、どちらが本当なのでしょうか。
これについては、私を含め、
「当時、現場にいなかった」 者には、「真相はわからない」
と言わざるを得ません。人の話を聞いたり、本をたくさん読んだりしたところで、「その話は事実なのか」 、「そこに書かれているのが事実なのか」 は、結局、わからないからです。
しかし、それでは話が進みません。そこで、私なりに考察を試みます。
言い分が食い違っているのですから、要は、「どっちを信じるか」 という話にならざるを得ないと思います。「どっちを信じるか」 を判断する際に、「どっちの味方なのか」 という観点から考えたのでは、客観性に乏しく、このような観点で判断することは好ましくありません。
そこで、次のように推論するのが適切だと思います。
まず、一般論として、「事実があったか、なかったか」 の証明をする場合、
「あった」 と証明することに比べ、「なかった」 と証明することは、著しく困難
です。「なかった」 ことの証明が、「悪魔の証明」 といわれるゆえんです。
したがって、通常、「あった」 と主張する側が 「あった」 と証明しないかぎり、「なかった」 として取り扱うのが合理的であると考えられます。
私は東京裁判の記録を読んでいないので、「戦後のあの不公正と言われる東京裁判でさえも南京大虐殺を証明することはできなかった。これを見た人は一人もいないのである。そういう話を聞いたことがあるという伝聞証言のみである。」 が事実なのかどうか、わからないのですが、記録を読めば誰でも確認しうる事項について、田母神さんが嘘をついているとは考え難いと思います ( 嘘だとばれれば田母神さんの目的が成就しません ) 。したがって、この記述は事実であると考えてよいと思います ( 機会があれば、記録を読んでみたいと思います ) 。
すると、「南京大虐殺を証明することはできなかった。」 と考えることになり、「南京大虐殺はなかった」 と結論すべきである、と考えられます。
そもそも ( 悪魔の証明などといったことを考えなくとも ) 、( 本当に南京大虐殺があったのであれば ) 戦後まもない時期になされた東京裁判において、圧倒的に優利な立場にある戦勝国が 「そういう話を聞いたことがあるという伝聞証言」 しか集められなかった、というのは理解しづらいところです。したがって、この観点からも、「なかった」 と考えるのが適切であろうと思います。
さて、上記により、私は 「南京大虐殺はなかった」 という主張を支持するのが適切である、と考えるのですが、
常識的に考えれば、「虐殺」 と表現するかどうかはともかく、なんらかの殺戮行為が行われたことは間違いなく、要は、それが戦時下において 「合法だったか否か」 を巡って争いがあり、また、なかには違法な殺戮もあっただろうと思いますが、それが 「組織的なものだったか否か」 を巡って争いがあるのだろうと思います。
これらは、言葉 ( 概念 ) の定義の問題であり、「南京大虐殺があった、と言いたければ定義を広く取り、なかった、と言いたければ定義を狭く取る」 傾向は否定しえないと思います。ここには、「あったと思いたければあったと言える、なかったと思いたければなかったと言える」 側面もあるのではないでしょうか。いわば、「あったと言えばあった、なかったと言えばなかった」 といった、一種、曖昧模糊とした状況に対して、どういう表現 ( 言葉 ) を用いるか、が問題なのではないでしょうか。
「虐殺」 の規模 ( 人数 ) についても同様で、定義の広狭により、いかんともなる側面もあるのではないでしょうか。
この論争が無用である、とまでは思いませんが、論じてみたところでキリがなく、( 戦史等の学術的研究としてはともかく ) 政治的には、ある程度のところで終わりにする ( よほどの新事実が発見されないかぎり蒸し返さない ) 必要があるのではないかと思います。
日本軍による南京大虐殺という話がある。中国は三十万人と主張しているが、戦後のあの不公正と言われる東京裁判でさえも南京大虐殺を証明することはできなかった。これを見た人は一人もいないのである。そういう話を聞いたことがあるという伝聞証言のみである。ウラもろくに取れない証言が証拠として採用されることは通常の裁判ではあり得ない。
松井石根(いわね)大将率いる帝国陸軍が南京に入城したのは昭和十二年(一九三七)の十二月十三日である。松井大将は、事前に蒋介石国民党の南京における指揮官であった唐生智に対し、オープンシティの勧告をした。しかし当時毛沢東の共産党に心を通じていた唐生智はこれを拒否した。そのためやむを得ず日本陸軍が南京城内に入っていくと、今度は唐生智は隷下部隊を置き去りにしたまま、少数の取り巻きだけを連れて自分だけ南京を脱出したのである。
指揮官を失った国民党軍は大混乱に陥り軍服を脱ぎ捨てて民間人に混じって身を隠し、逃走しながら日本軍に対し攻撃をしてくる者もいたという。軍人は軍人と識別できるように軍服を着用することは国際法で義務づけられている。民間人を殺害しないためである。これに違反した場合は殺されてもやむを得ない。そのような混乱の中で本当の民間人が巻き添えになったことはあったかもしれない。しかし日本軍が中国の民間人を組織的に虐殺したことはまったく無かったのである。
南京というのは全周を塀で囲まれ東京の世田谷区よりも狭い街である。塀で囲まれているので南京城という呼び方をすることもあるという。自衛隊の基地のように出入り口も数ヵ所しかない。ここで三十万人も殺されたなら、街中に死体がゴロゴロして足の踏み場もない状態になる。それを生き残った人たちが誰も見ていないと言うことはあり得ない。
また松井大将は南京入城にあたり日本軍に対し通達を出している。その中に (1) 帝国陸軍が他国の首都に入るのは初めてのことだから、後世いろいろ後ろ指をさされるようなことがあってはいけない。悪さをする兵隊は厳重に取り締まれ。(2) 南京城傍にある孫文の墓「中山陵」は戦略の要衝であるが、ここに立ち入ってはいけない――という趣旨の内容が強調されている。
中山陵立ち入り禁止指示は、中国革命の父といわれる孫文に日本流に敬意を表したものである。このような指揮官が民間人大量虐殺の命令を出すことはあり得ないことである。さらに当時南京は国際都市であり諸外国の公館もあり、各国の通信社もあった。日本軍の兵隊がおばあちゃんを殴ったぐらいで外電が打たれるような時代に、南京大虐殺について日本政府に対する抗議が行われたことは一度もなかったのである。つまり南京大虐殺はなかったということなのだ。
註: 引用の際に、文字化け回避のため丸数字を (1), (2) に変更しています。
南京大虐殺はなかった、と書かれています。
この記述によれば、南京大虐殺はなかった、と結論することになります。ところが、中国側は、あった、と主張しており、意見が食い違っています。それでは、どちらが本当なのでしょうか。
これについては、私を含め、
「当時、現場にいなかった」 者には、「真相はわからない」
と言わざるを得ません。人の話を聞いたり、本をたくさん読んだりしたところで、「その話は事実なのか」 、「そこに書かれているのが事実なのか」 は、結局、わからないからです。
しかし、それでは話が進みません。そこで、私なりに考察を試みます。
言い分が食い違っているのですから、要は、「どっちを信じるか」 という話にならざるを得ないと思います。「どっちを信じるか」 を判断する際に、「どっちの味方なのか」 という観点から考えたのでは、客観性に乏しく、このような観点で判断することは好ましくありません。
そこで、次のように推論するのが適切だと思います。
まず、一般論として、「事実があったか、なかったか」 の証明をする場合、
「あった」 と証明することに比べ、「なかった」 と証明することは、著しく困難
です。「なかった」 ことの証明が、「悪魔の証明」 といわれるゆえんです。
したがって、通常、「あった」 と主張する側が 「あった」 と証明しないかぎり、「なかった」 として取り扱うのが合理的であると考えられます。
私は東京裁判の記録を読んでいないので、「戦後のあの不公正と言われる東京裁判でさえも南京大虐殺を証明することはできなかった。これを見た人は一人もいないのである。そういう話を聞いたことがあるという伝聞証言のみである。」 が事実なのかどうか、わからないのですが、記録を読めば誰でも確認しうる事項について、田母神さんが嘘をついているとは考え難いと思います ( 嘘だとばれれば田母神さんの目的が成就しません ) 。したがって、この記述は事実であると考えてよいと思います ( 機会があれば、記録を読んでみたいと思います ) 。
すると、「南京大虐殺を証明することはできなかった。」 と考えることになり、「南京大虐殺はなかった」 と結論すべきである、と考えられます。
そもそも ( 悪魔の証明などといったことを考えなくとも ) 、( 本当に南京大虐殺があったのであれば ) 戦後まもない時期になされた東京裁判において、圧倒的に優利な立場にある戦勝国が 「そういう話を聞いたことがあるという伝聞証言」 しか集められなかった、というのは理解しづらいところです。したがって、この観点からも、「なかった」 と考えるのが適切であろうと思います。
さて、上記により、私は 「南京大虐殺はなかった」 という主張を支持するのが適切である、と考えるのですが、
常識的に考えれば、「虐殺」 と表現するかどうかはともかく、なんらかの殺戮行為が行われたことは間違いなく、要は、それが戦時下において 「合法だったか否か」 を巡って争いがあり、また、なかには違法な殺戮もあっただろうと思いますが、それが 「組織的なものだったか否か」 を巡って争いがあるのだろうと思います。
これらは、言葉 ( 概念 ) の定義の問題であり、「南京大虐殺があった、と言いたければ定義を広く取り、なかった、と言いたければ定義を狭く取る」 傾向は否定しえないと思います。ここには、「あったと思いたければあったと言える、なかったと思いたければなかったと言える」 側面もあるのではないでしょうか。いわば、「あったと言えばあった、なかったと言えばなかった」 といった、一種、曖昧模糊とした状況に対して、どういう表現 ( 言葉 ) を用いるか、が問題なのではないでしょうか。
「虐殺」 の規模 ( 人数 ) についても同様で、定義の広狭により、いかんともなる側面もあるのではないでしょうか。
この論争が無用である、とまでは思いませんが、論じてみたところでキリがなく、( 戦史等の学術的研究としてはともかく ) 政治的には、ある程度のところで終わりにする ( よほどの新事実が発見されないかぎり蒸し返さない ) 必要があるのではないかと思います。