言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

シビリアンコントロール

2009-08-07 | 日記
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.18 )

 私の論文投稿が、シビリアンコントロール違反だと言うのも違和感がある。シビリアンコントロールの根幹は、問題の解決に軍を使うのか否かの決定権を政治がコントロールするということであり、軍の細部にわたり政治が介入することではない。民主主義国家においては、すでに予算、部隊編制、交戦規定などにより政治が軍をコントロールする体制は整えられている。そして自衛隊ほどシビリアンコントロールが徹底している軍は世界に存在しない。


 田母神さんは、論文投稿はシビリアンコントロールにも違反していない、と主張されています。



 シビリアンコントロールについては、「問題の解決に軍を使うのか否かの決定権を政治がコントロールするということ」 にとどまらず、「予算、部隊編制、交戦規定などにより政治が軍をコントロールする体制」 をも含む、と解すべきだと思います。たしかに、「軍の細部にわたり政治が介入することではない」 とは思いますが、シビリアンコントロールの趣旨に鑑みれば、軍の大枠を政治が決定することには、なんら問題はないと思います ( というか、それがシビリアンコントロールではないかと思います ) 。

 そして、( 歴史問題に関する ) 政府見解の決定は、その大枠にあたると思います。すなわち、田母神さんはシビリアンコントロールにも違反したのではないかと思います。



 なお、田母神さんが自衛官でなければ、シビリアンコントロールは問題になりませんが、その場合も、「政府見解に反する見解を外部に発表してはならない」 と解すべきだと思います。すなわち、たとえば 「外交官が同様の論文を発表することも、許されない」 と思います。その根拠は、「田母神航空幕僚長解任の是非」 に書いています。

田母神航空幕僚長解任の是非

2009-08-07 | 日記
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.17 )

 解任されたあと、私はすぐに国会に参考人招致された。国会で証言することに異論はない。むしろ私としては積極的に応じたかったほどだ。しかし、与野党の政治家は自分たちの言っていることのおかしさに気がついていたのだろうか。
 与党の自民党は私が政府見解に反したことを問題にしていた。だが、私は「日本は素晴らしい国だ」「侵略国家ではない」と言ったのである。民主党は、日本がいい国だと言うような人物を、何故、航空幕僚長にしたのかと言って自民党の任命責任を追及している。日本の国は悪い国だと言うような人を航空幕僚長に任命すべきというのだろうが、これってなんだか変ではないか。
 私の意見を問題にするというなら、今後、自衛隊高官にはみな、「日本は侵略国家だ」「日本は悪い国だ」ということを信じる人物を充てよということになる。陸海空幕僚長には日本は悪い国だと言う人を継続的に当てなければならないと言ったら、それは漫画ではないか。
 浜田防衛相が「幹部自衛官の教育では村山談話をはじめとする政府の歴史認識を踏まえた適切な教育をすすめていく」と述べているの もゆゆしきことだ。
 これでは言論統制、思想統制ではないか。


 「日本は素晴らしい国だ」 、「侵略国家ではない」 と、「正しいことを、愛国心をもって」 書いたら、航空幕僚長を解任された。それは変ではないか、言論統制・思想統制ではないか、と書かれています。



 要は、過去の戦争につき、日本政府は非を認めている。それに対して、田母神さんは、「日本は正しかった」 と考えている。日本政府と田母神さんとで、意見が異なっているわけです。

 そして田母神さんは、日本政府とは異なる見解を、外部に発表したところ、解任された。そこで、納得のいかない田母神さんは、自分の信じる 「正論」 を本に書き、世間に訴えているわけです。



 しかし残念ながら、田母神さんの解任は 「やむを得ない」 と思います。

 田母神さんの解任について、その是非を考える際に重要なのは、「田母神さんの意見が正しいかどうか」 ではありません。かりに、( 田母神さんの意見が正しく ) 「日本は素晴らしい国」 であり、「侵略国家ではない」 としても、政府見解とは異なる見解を、外部に発表したことそのものが、間違っているのです。当時、田母神さんは

   日本政府の一員であり、しかも高級幹部だったのですから、政府見解に反する意見を外部に発表してはならない

のです。こんなことは、組織に所属していれば当然のことで、それがわかっていない時点で、「論外」 なのです。

 政府見解に反する意見を外部に発表した時点で、「解任されてもやむをえない」 と考えられ、さらに、解任されたことに納得がいかない、というところで、「論外」 だと考えられます ( 田母神さんは 「与党の自民党は私が政府見解に反したことを問題にしていた」 と書かれていますが、まさにその通りなのです ) 。



 田母神さんが、ご自分の意見を持たれることは自由ですが、組織に所属する人間が、それを外部に発表してはいけない。「日本は侵略国家ではない」 と信じるなら、それは

   政府内部で論議すべき

なのです。これが外交問題になり、国益を害する結果になる可能性を、田母神さんは考えなかったのでしょうか。意見を

   外部に発表するなら、政府内部で論議したうえで、意見の一致をみた後でなければならない

のです。政府内部で論議したくても、政府が論議しようとしない、あるいは、政府内部で論議したけれども自分の見解が容れられない、というのであれば、

   黙って政府見解に従うか、あくまで信念を貫いて ( 自発的に ) 自衛官を辞めるべき

なのです。



 したがって、私は、田母神さんの解任は 「やむを得ない」 と考えますが、

 田母神さんがもっとも主張したい点、すなわち、「日本は侵略国家ではない」 という意見については、解任の当否とは異なり、論じる価値があると思います。田母神さんに対して、「論外」 だとか、ずいぶん失礼なことを書きましたが、田母神さんとしては、解任された経緯を述べることによって、

   歴史認識についての国民的論議を巻き起こせれば、本望

ではないかと思います。

 私は、「田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 について」 に書いたとおり、歴史認識についても考えてゆこうと思っています。もしも田母神さんが、この文章をご覧になられましたなら、そこのところをお汲みとりのうえ、ご理解いただければと思います。