言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

未経験者は同一職種同一賃金

2009-08-20 | 日記
小林良暢 『なぜ雇用格差はなくならないのか』 ( p.98 )

 正社員と非正社員の時給格差に注目した第一生命経済研究所の主席エコノミスト、熊野英生氏の試算は大変興味深い。
 それによると、二〇代前半の正社員の時給が一三九五円だったのに対し、フルタイムの派遣や契約社員などの非正社員は一一一五円、五〇代前半では、正社員の時給が二九九六円なのに対し、フルタイムの非正社員は一二一三円に留まった。二〇代前半の一・三倍から、五〇代には二・五倍に賃金格差が広がっている。他方、正社員は勤続年数が一年延びるごとに時給が一一三円上がるが、非正社員は五〇円しか上がらない。また、非正社員の勤続年数は七・二年であり、正社員の三分の一と短い。このように、非正社員は、年齢一歳ごとに賃金が上がるピッチと雇用期間の両面で賃金が低く抑えられている、としている。
 このように、正社員と非正社員との間には、確かに結果として賃金の差があることは歴然としている。しかしその差は、何か理由のある説明変数、例えば職種とか職務遂行能力といった合理的に説明できるものであるのか、それともまったく説明のつかない「格差」なのだろうか。この点が重要である。
 問題は、やはり正社員と非正社員との間の賃金の差が、どうして生じたかということである。

(中略)

 電機連合は、初任給について労働組合が産業別の規制をかけているわが国では代表的な労働組合で、高卒について大手企業では一五万六〇〇〇円で協定しており、これを時給換算したのが一〇〇六円である。ということは、高校を卒業して、正規入社でパナソニックや東芝に入社したとすると、男性でも女性でも、初任給一五万六〇〇〇円、時給一〇〇六円ということになるのである。

(中略)

 ワーキングプアの象徴である日雇い派遣になっても、「日派 物流・倉庫内軽作業」の一〇七六円と、ほぼ大企業の高卒初任給並みの水準である。ということは、高校を卒業してすぐにできる仕事の賃金は、なんの仕事に就いても、あるいは正社員だろうが派遣だろうが同じだということである。

(中略)

 電機連合の大卒の協定初任給は、大半のところが二〇万三五〇〇円で、…(中略)…時給にすると一三一五円である。右の短期雇用市場の欄で、このあたりの時給を見ると、「派 財務処理」が一三四七円で同水準である。大学を出て電機企業の正社員になっても、派遣で働いてもスタートの賃金は同じで、やはりこの限りでは格差はないのである。

(中略)

 重要なことは製造ラインの派遣労働者や一般事務の派遣社員などの時給賃金が、大卒初任給(高卒技能職の二二歳賃金)とほぼ同水準ということである。これらのことは、賃金の実態を知るものにとっては、いわば常識である。というのは、初任給は、仕事の上からは職務遂行能力(職能)の一番低いレベルの水準で、入社したての新入社員も初職の派遣社員も、ほんの少しの実施教育ですぐにできるような単純作業しかできないのだから、ともに一番低い水準になるのは当たり前なのである。
 これを賃金論では「賃金の社会化」と呼ぶ。高卒にしろ大卒にしろ、学卒初任給は、一企業だけでは決められず、世間相場で決まる「社会化」された賃金だということである。わが国の賃金は、企業内労使交渉で決まる企業内賃金であるが、学卒初任給だけは――電機連合のように産別統一闘争で協定化するところは例外としても――産業別の水準はほぼ横並びで、社会性をもって形成されている。このため、高卒、大卒すぐの賃金水準は、正規・非正規を問わずに平準化され、ここにおいては正社員と非正社員との賃金格差は存在しない。


 正社員と非正社員とで、初任給 ( 時給換算 ) はほぼ同一であり、差がつくのはその後の賃金上昇ピッチである、と書かれています。



 しかし、引用部分冒頭の 「第一生命経済研究所の主席エコノミスト、熊野英生氏の試算」 によれば、「二〇代前半の正社員の時給が一三九五円だったのに対し、フルタイムの派遣や契約社員などの非正社員は一一一五円」 とあるので、

   時給換算すれば、初任給 ( 時給換算 ) がほぼ同一である、とは必ずしもいえない

可能性があります。

 とはいえ、この相違は、「二〇代前半」 という言葉の指す範囲の 「広さ」 によるものとも考えられます ( 2 歳違えば、113 円 × 2 = 226 円昇給している ) 。また、「未経験者であっても、正社員のほうが高度な能力が必要とされる職務に就いている可能性が高い」 とも考えられます。そこで、ここはとりあえず、

   未経験者の賃金水準は、正社員も非正社員も変わらず、同一職種同一賃金である

と解釈しておきます。この解釈は、常識とされる 「賃金の社会化」 にも合致しています。

サービス業における競争の特殊性

2009-08-20 | 日記
la_causette」 の 「サービス産業における競争原理の厳しさと労働生産性の関係

 サービス産業において参入規制が厳しく競争原理が十分に働かない場合、事業者は価格競争を行わなくとも済むので、人件費や利益相当分を十分上乗せした価格設定を行うことができます。これに対し、サービス産業において参入規制が緩く競争原理が強烈に働かいている場合、事業者は厳しい価格競争を強いられるので、人件費や利益相当分を十分に上乗せした価格設定を行うことができなくなります。

 また、サービス産業において参入規制が緩やかとなり、多くの事業者が実際に参入するようになれば、顧客が分散されるため、労働生産性は低くなります。

 製造業の場合、技術革新によって、従業員1人の単位時間あたりの商品生産量を増やすことによって、商品1個あたりの単価を引き下げつつ労働生産性を上昇させることが可能となりますが、サービス業においては、技術革新を行っても、従業員1人の単位時間あたりのサービス提供量を上昇させることが困難である場合が少なくありません。また、従業員1人の単位時間あたりのサービス提供量を上昇させることができたとしても、それに応じた料金の引き下げを求められる結果、労働生産性の上昇に繋がらない場合も十分にあり得ます(例えば、クイックマッサージ業界では、30分の施術で従前の60分の施術と同等の凝りのほぐしを可能とする技術革新が行われたとしても、30分の施術に対して6000円の価格設定は行い得ないでしょう。)。

 従って、サービス産業においては、参入規制が厳しく競争原理が十分に働かない方が、労働生産性が高くなります。ですから、日本においてサービス産業の労働生産性が顕著に低いとすれば、それは、競争が甘いからではなく、むしろ、競争が厳しすぎるから、である可能性が十分にありうると言えます。


 製造業とサービス業の違いを強調したうえで、サービス業界の競争が厳しすぎる可能性を示唆しておられます。



 一般的に、競争による利益は、消費者が享受します。事業者にとっては、競争は価格下落への圧力となりますから、不利益になる場合が多いと考えられます ( 事業者が競争による不利益を回避する手段が、たとえば技術革新であったり、サービスの向上であったりするわけです。) 。

 したがって、サービス産業にとどまらず、製造業においても、「参入規制が厳しく競争原理が十分に働かない」 ほうが、( 事業者にとっては ) 利益が大きくなると考えられるのですが、

 製造業の場合、競争は全世界レベルで行われており、日本国内で規制を敷いたところで、参入規制としての効果が ( ほとんど ) 得られない、という特徴があります。ところが、

 サービス業の場合、たとえばクイックマッサージを受けるために、消費者が海外に出かけて凝りをほぐし、目的を達したあとただちに帰国する、ということは通常、考えられませんから、日本国内において参入規制を敷けば、参入規制としての効果がただちに得られます。

 つまり、製造業とサービス業には、競争相手が全世界なのか、( 主として ) 国内なのか、というちがいがあるのであり、この相違から、サービス産業においては、規制が敷かれやすく、また、規制が緩和された場合であっても、そこで発生する競争は、製造業ほど厳しいものにはならない可能性が高い、と考えられます。



「労働生産性の上昇に繋がらない場合も十分に 『あり得ます』」 という記述は、間違ってはいないと思いますが、

「(例えば、クイックマッサージ業界では、30分の施術で従前の60分の施術と同等の凝りのほぐしを可能とする技術革新が行われたとしても、30分の施術に対して6000円の価格設定は行い得ない 『かもしれないが、5000円の価格設定は行い得る』 でしょう。)」

という論理も成り立つために、説得力に欠けるのではないかと思います。