言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

マンデル・フレミング理論と動学的効率性の条件

2009-08-02 | 日記
 ここしばらく、「マンデル・フレミング理論」 について、「なぜ、日本の現状に合わないのか」 を考えていました。理論が間違っている可能性もありますが、それなりの論理性を備えていないならば、ノーベル賞は受賞しなかっただろう、と考えられます。そこで、この理論にはそれなりの論理性が備わっている、と仮定して考えれば、次のようになると思います。



 いまの日本経済は、「動学的効率性の条件」 を満たしていません。すなわち、資金を設備投資などにまわすよりも、国債の購入に振り向けたほうが、( 資金運用の観点からは ) 合理的な状況になっています。

 したがって、国債発行残高がどれほど積み上がっていようと、資金は、国債の購入に振り向けられます。つまり、国債の需要は高い、といえます。

 とするならば、国債の価格はなかなか下落せず、金利は低いままにとどまるはずです。すなわち、

   「動学的効率性の条件」 を満たしていない経済には、「マンデル・フレミング理論」 はあてはまらない、

と考えるのが適切ではないか、と思います。



 したがって、国債を ( さらに ) 発行しても金利は上昇しない、と予想されます。しかし、だからといって、( 公共投資のために ) どんどん国債を発行してよいか、というと、そうともいえない、と思います。

 なぜなら、日本経済が ( 構造改革などにより ) まともな経済、すなわち、動学的効率性の条件を満たす経済になったときには、急激な金利上昇が予想されるからです。



 私の理解が正しければ、日本経済の置かれた状況は、非常にやっかいなものだといえます。現状のままでは、大変なことになる。しかし、( 構造改革が成功して ) まともな経済になれば、急激な金利上昇が発生して財政破綻する。

 「改革の順序も、きわめて重要」 な局面なのではないか、と思います。

田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 について

2009-08-02 | 日記
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.2 )

 私は今回の更迭事件をなんとも不思議だという感覚で受け止めている。私は端的に言って「日本はいい国だった」と言ったのだ。すると「日本がいい国だったとは何事だ、政府見解では悪い国になっているんだ」ということで航空幕僚長を解任されてしまった。
 野党民主党は、私の任命責任を追及している。どうして日本がいい国だったと言うような者を航空幕僚長にしたのかというわけだ。裏を返せば、日本の国はろくな国じゃなかったと言うような人物を任命しなさいと言っていることになる。妙な話である。これが日本の国益を守る国会議員の発言だろうか。


 田母神さんは、「日本はいい国だった」 と言ったら解任された、と主張しておられます。



 私は、田母神さんの主張は間違っていると思います。すなわち、田母神さんは解任されてもやむを得ない、と考えます。田母神さんは、「自分がなぜ、解任されたのか」 を、誤解しておられます。私がこのように考える根拠は、この本の別の箇所に書かれています。そこで、解任の適否については、今後、この本の当該箇所を引用する際に、言及したいと思います。

 しかしながら、「日本はいい国だった」 か否か、という歴史認識の問題は、解任の適否とは別の問題であり、それ自体、重要なテーマだと思います。そこで、主としてこの観点から、この本を引用したいと思います。



 なお、この本のタイトルは、「自らの身は顧みず」 となっています。ですから、( この本のタイトルに嘘がないならば ) 「解任自体についての主張は不適切だが、歴史認識を取りあつかう素材として、この本には価値がある」 という私のスタンスは、田母神さんの真意にも沿っているのではないか、と考えています。