「産経ニュース」の「公共事業のあり方めぐり火花 トンネル事故受け論争」( 2012.12.6 22:50 )
笹子トンネルの天井板崩落事故をきっかけに、公共事業が選挙の争点になりつつあるようです。
民主党は「コンクリートから人へ」のキャッチコピーを打ちだし、いったんは公共事業に否定的な態度をとったものの、最終的には公共事業推進へと舵を切りつつあるように感じられますし、
自民党もかつて与党だったとき、みずから公共事業を減らしつつあったところに、東日本大震災が襲い、結局は公共事業推進へと舵を切りつつあるように感じられます。
全体として、世の中は再び、公共事業を推進する方向に向かい始めているのではないかと思います。
そこで今回は、私の公共事業に対する考えかたを記します。
公共事業に対しては、基本的に2つの観点(または目的)が存在するように思います。
1つは、経済成長のためのインフラ整備という観点。そして他の1つは、雇用の確保という観点です。
この、どちらを重視するかによって、公共事業に対するスタンスは大きく変わってくるのではないでしょうか?
私は、どちらも大切ではあるけれども、基本的には「雇用の確保」という観点を重視すべきだと思います。
なぜなら私は、「経済成長のためのインフラ整備も大切だが、もっとも大切なのは人である」と思っているからです。
したがって「公共事業における 「ムダ」」を考える場合においても、かけた費用に見合った利益(または経済成長)が見込めるか、という観点を重視するのではなく、かけた費用のうち労働者に分配されるのはどの程度か、という視点を私は重視します。
この、私の考えかたを前提にした場合には、「新規に公共事業をするなら、先に既存の公共施設等の更新を優先すべき」だという結論が、必然的に導かれます。なぜなら、新規に公共事業をする場合、それが道路であれ、なんとかセンターというハコモノであれ、「新たな用地取得」が必要になってくるからです。「新たな用地取得」を行う場合には当然、地権者に対する補償金が必要になります。したがって、事業費のかなりの部分が用地取得費に消えてしまい、労働者に分配される金額は、ごくわずかになってしまいます。
それでは、景気は回復するわけがない。なぜなら、地権者、つまり資産があり、もともと金持ちだった人々に大量のお金が配られてしまい、労働者、つまり資産がなく、食うために働かざるを得ない人々に分配されるお金は、ごくわずかになってしまうからです。
そしてまた、道路であれ、なんとかセンターであれ、すべてのものは次第に劣化していきますから、更新をしなければならない時期が近づいているにもかかわらず、次々に新しいものを造っていては、どんどん、将来必要になる費用、つまり「更新費用」がふくらんでしまいます。「国債の 60 年償還ルール」のところに、公共インフラが何年程度使えるか、つまり何年経過すれば造り直さなければならないかを記したリストがありますので、見てください。日本はそろそろ、過去に造ったインフラを、大量に更新しなければならない時期にさしかかりつつあります。
「新しいもの」を次々に造っている場合ではありません。過去に造ったインフラを更新する(再整備する)ことこそが、限られた予算のなかで効果的に「雇用の確保」を行い、「景気の回復」につなげる道だと思います。そしてまた、これは「事故によって人命を失わない」ために、もっとも優先すべきことであると思うのです。
さて。「既存施設の更新を優先しろ」という主張は、事故の直後だということもあり、大部分の人々に受け入れられるものと思います。
次に、多くの人々には受け入れられないかもしれない主張を展開します。
私の考えかた、つまり「経済成長のためのインフラ整備も大切だが、もっとも大切なのは人である」から「インフラ整備」ではなく、「雇用の確保」を優先しろ、という考えかたにもとづけば、次のような結論が導かれます。
その結論とは、「都会ではなく、田舎で公共事業をしろ」という主張です。
この結論が導かれるのはなぜかといえば、都会であればあるほど、地価が高いために、地権者に支払わなければならない用地買収費が高くなるからです。加藤紘一さんによれば、地方の高速道路は1キロあたり高くて40億円で作れるが、東京では1キロあたり700~800億円、地下だと1キロあたり1000億円かかるそうです (「雇用対策としての道路建設」参照 ) 。
ということは、同じ予算で公共事業を行う場合、当然、田舎のほうが労働者に分配される金額は大きくなります。田舎なら、より長い距離の道路を造れるために、その分、労働者が受け取る給与が多くなるからです。
公共事業は、主として田舎で行ってこそ、雇用の確保につながるし、また、景気浮揚効果も大きくなると思います。
もっとも、そうはいっても、誰も人の住んでいないような山奥で公共事業を行ってばかりでは「まずい」でしょう。何事にもバランスが大切です。
そこで私は、都会でも公共事業を行うけれども、田舎には多めに予算を割り当てればよい、と考えます。
なお、山奥であるからこそ、行うべき公共事業があることも付け加えておきます。それは何かといえば、「ダム」です。こんなもの、都会の真ん中には造れません。
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山梨県の中央自動車道笹子トンネルの天井板崩落事故を受けて、公共事業の在り方が衆院選の主要課題に浮上した。争点化をもくろむのは、前回選挙で「コンクリートから人へ」を掲げた民主党だ。10年間で200兆円規模のインフラ投資を実施する自民党の国土強(きょう)靱(じん)化計画を「バラマキ」と批判。自民党は「古い自民党とのレッテル貼り」と反論し、各党が公共投資をめぐり火花を散らしている。
劣勢にある民主党の野田佳彦首相(党代表)にとり、公共事業は自民党への格好の攻撃材料だ。
「自民党はまた公共事業をばらまくそうだ。崩落事故があり、メンテナンスは大事だが、公共事業の大盤振る舞いで日本はデフレから脱却したのか」
首相は6日、愛知県内の街頭演説で自民党をこう強く批判した。
民主党は今回のマニフェスト(政権公約)で、政権交代した平成21年度から24年度までに公共事業関係予算を32%カットしたとし、「公共事業をばらまき、借金を重ねる先に明るい経済の見通しは開けない」と強調している。
自公両党との3党合意路線で政権を運営してきた首相にとって、社会保障や震災復興は違いを際立たせにくいテーマ。応援演説では再生可能エネルギーなど成長分野の需要創出を重視するとし「バラマキではなく種まき」との訴えを中心に据えている。
これに対し、自民党は政権公約で、国土強靱化基本法の制定を通じ、事前防災を目的とした公共投資を実施する、と主張しており、民主党による「印象操作」(党幹部)を強く警戒している。
「政府が公共投資をし、民間の投資を引き出すのは当たり前でまっとうな経済政策だ。『無駄な公共事業』『古い自民党』というレッテルは間違っている」
自民党の安倍晋三総裁は6日、和歌山市での街頭演説でこう訴えた。安倍氏は国土強靱化を金融緩和と並ぶデフレ脱却策として重視している。
和歌山は党国土強靱化総合調査会長である二階俊博元経済産業相の地元。安倍氏は笹子トンネル事故を挙げ、「命に直結するものをしっかり補強することが国を強くする。二階先生が引っ張った、これこそが国土強靱化だ」と主張した。
公明党も、10年間で100兆円規模の「防災・減災ニューディール」を掲げ、自民党と歩調を合わせる。6日には笹子トンネル事故に関する会議を開き、山口那津男代表が「今回の事故で防災・減災の取り組みの重要性を認識し直した」と述べた。
もっとも、自公両党を批判する民主党も他党のことは言えない。前回のマニフェストで無駄な公共事業として明示した八ツ場ダム(群馬県)の建設再開を決め、整備新幹線の着工も認めたからだ。
「自民、公明両党は公共工事拡大路線。これでは経済成長は見込めず、衰退するのみだ。景気を上げる方策は既得権を壊すことだ」
日本維新の会の橋下徹代表代行は6日、埼玉県熊谷市でこう「既成政党」を批判した。(加納宏幸)
笹子トンネルの天井板崩落事故をきっかけに、公共事業が選挙の争点になりつつあるようです。
民主党は「コンクリートから人へ」のキャッチコピーを打ちだし、いったんは公共事業に否定的な態度をとったものの、最終的には公共事業推進へと舵を切りつつあるように感じられますし、
自民党もかつて与党だったとき、みずから公共事業を減らしつつあったところに、東日本大震災が襲い、結局は公共事業推進へと舵を切りつつあるように感じられます。
全体として、世の中は再び、公共事業を推進する方向に向かい始めているのではないかと思います。
そこで今回は、私の公共事業に対する考えかたを記します。
公共事業に対しては、基本的に2つの観点(または目的)が存在するように思います。
1つは、経済成長のためのインフラ整備という観点。そして他の1つは、雇用の確保という観点です。
この、どちらを重視するかによって、公共事業に対するスタンスは大きく変わってくるのではないでしょうか?
私は、どちらも大切ではあるけれども、基本的には「雇用の確保」という観点を重視すべきだと思います。
なぜなら私は、「経済成長のためのインフラ整備も大切だが、もっとも大切なのは人である」と思っているからです。
したがって「公共事業における 「ムダ」」を考える場合においても、かけた費用に見合った利益(または経済成長)が見込めるか、という観点を重視するのではなく、かけた費用のうち労働者に分配されるのはどの程度か、という視点を私は重視します。
この、私の考えかたを前提にした場合には、「新規に公共事業をするなら、先に既存の公共施設等の更新を優先すべき」だという結論が、必然的に導かれます。なぜなら、新規に公共事業をする場合、それが道路であれ、なんとかセンターというハコモノであれ、「新たな用地取得」が必要になってくるからです。「新たな用地取得」を行う場合には当然、地権者に対する補償金が必要になります。したがって、事業費のかなりの部分が用地取得費に消えてしまい、労働者に分配される金額は、ごくわずかになってしまいます。
それでは、景気は回復するわけがない。なぜなら、地権者、つまり資産があり、もともと金持ちだった人々に大量のお金が配られてしまい、労働者、つまり資産がなく、食うために働かざるを得ない人々に分配されるお金は、ごくわずかになってしまうからです。
そしてまた、道路であれ、なんとかセンターであれ、すべてのものは次第に劣化していきますから、更新をしなければならない時期が近づいているにもかかわらず、次々に新しいものを造っていては、どんどん、将来必要になる費用、つまり「更新費用」がふくらんでしまいます。「国債の 60 年償還ルール」のところに、公共インフラが何年程度使えるか、つまり何年経過すれば造り直さなければならないかを記したリストがありますので、見てください。日本はそろそろ、過去に造ったインフラを、大量に更新しなければならない時期にさしかかりつつあります。
「新しいもの」を次々に造っている場合ではありません。過去に造ったインフラを更新する(再整備する)ことこそが、限られた予算のなかで効果的に「雇用の確保」を行い、「景気の回復」につなげる道だと思います。そしてまた、これは「事故によって人命を失わない」ために、もっとも優先すべきことであると思うのです。
さて。「既存施設の更新を優先しろ」という主張は、事故の直後だということもあり、大部分の人々に受け入れられるものと思います。
次に、多くの人々には受け入れられないかもしれない主張を展開します。
私の考えかた、つまり「経済成長のためのインフラ整備も大切だが、もっとも大切なのは人である」から「インフラ整備」ではなく、「雇用の確保」を優先しろ、という考えかたにもとづけば、次のような結論が導かれます。
その結論とは、「都会ではなく、田舎で公共事業をしろ」という主張です。
この結論が導かれるのはなぜかといえば、都会であればあるほど、地価が高いために、地権者に支払わなければならない用地買収費が高くなるからです。加藤紘一さんによれば、地方の高速道路は1キロあたり高くて40億円で作れるが、東京では1キロあたり700~800億円、地下だと1キロあたり1000億円かかるそうです (「雇用対策としての道路建設」参照 ) 。
ということは、同じ予算で公共事業を行う場合、当然、田舎のほうが労働者に分配される金額は大きくなります。田舎なら、より長い距離の道路を造れるために、その分、労働者が受け取る給与が多くなるからです。
公共事業は、主として田舎で行ってこそ、雇用の確保につながるし、また、景気浮揚効果も大きくなると思います。
もっとも、そうはいっても、誰も人の住んでいないような山奥で公共事業を行ってばかりでは「まずい」でしょう。何事にもバランスが大切です。
そこで私は、都会でも公共事業を行うけれども、田舎には多めに予算を割り当てればよい、と考えます。
なお、山奥であるからこそ、行うべき公共事業があることも付け加えておきます。それは何かといえば、「ダム」です。こんなもの、都会の真ん中には造れません。
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