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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

集団的自衛権行使を否定した「政府見解」は変えてもよい

2012-12-10 | 日記
中日新聞」の「【社説】憲法改正のマジック 週のはじめに考える」( 2012年12月9日 )

 憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが国会で進みつつあります。実現すれば平和憲法はなし崩しになります。

 十六日投開票の衆院選挙で集団的自衛権の行使容認を訴えているのは自民党、日本維新の会、国民新党など複数あります。

 公約には掲げていないものの、野田佳彦首相が「見直す議論を詰めていきたい」と述べるなど民主党の中にも容認派はいるようです。尖閣諸島などの問題や国内の行き詰まった状況がナショナリズムを高めているのでしょうか。

◆集団的自衛権行使へ

 集団的自衛権とは何なのか。あらためておさらいします。一九八一年、政府は答弁書で、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を実力をもって阻止する権利」と定義したうえで、「わが国が主権国家である以上、集団的自衛権を有しているが、憲法九条で許容される必要最小限の範囲を超え、行使は許されない」としています。

 政府見解は定着しており、憲法改正を経なければ、集団的自衛権行使は認められないはずですが、「国家安全保障基本法」の制定によって行使が可能になるとの見方が政党間で急浮上しています。

 例えば、自民党は七月の総務会で国家安全保障基本法の制定を決めました。まだ法案の概要しかありませんが、次に政務調査会が詳細な中身を定めていきます。

 法案の概要をみると、第一○条「国連憲章に定められた自衛権の行使」は、国連憲章五一条の規定を根拠に集団的自衛権の行使を認めています。第一一条「国連憲章上の安全保障措置への参加」は、国連安保理決議があれば、海外における武力行使を認める内容となっています。

◆憲法解釈変える法律

 どちらも憲法九条の解釈に明らかに反します。憲法違反の法案は国会提出さえできないのでは、そんな疑問が浮かびます。

 一面はその通りです。行政府の中央省庁が法案をつくる内閣立法なら、憲法との関係を審査する内閣法制局の段階でストップがかかり、国会提出には至りません。

 国会議員が法案をつくる議員立法となれば話は別です。衆院、参院それぞれの法制局が審査して意見を述べますが、提出を決めるのは立法権のある国会議員。国会で法案を説明するのは提出議員のため、答弁に窮するような問題のある法案が提出に至ることはまずないのですが、前例があります。

 二〇一〇年五月、中谷元・元防衛庁長官ら五人の議員が「国際平和協力法案」を衆院に提出しました。先月の衆院解散により審議未了で廃案となりましたが、海外での武力行使が不可避な自衛隊の活動が三項目含まれ、憲法違反が疑われる内容でした。

 国家安全保障基本法案も、議員立法の手続きが予定されています。自民党はこの法律とともに集団自衛事態法、前出の国際平和協力法を制定し、自衛隊法を改定するとしています。

 これらの法律が成立すれば、集団的自衛権行使や海外の武力行使が解禁されることになります。法律が憲法違反か審査する憲法裁判所のような規定がわが国にはないため、法律によって憲法解釈が変更され、「国のかたち」を変えるのです。やがて憲法が自衛隊活動の実態に合わないとの批判が起こり新たな憲法が制定に至ると見込んでいるのではないでしょうか。まるでマジックです。

 国会で過半数を占めさえすれば、国家安全保障基本法は成立します。三分の二の国会議員の賛成や国民投票が必要な憲法改正と比べ、なんとお手軽なことか。与党であっても党内で反対され、この裏ワザはとらなかったのですが…。

 ○七年、自民党の安倍晋三総裁は首相だった当時、自衛艦と並走する米軍艦艇の防御、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など四類型を示し、集団的自衛権行使の容認を目指しました。いったいどの国が世界一の軍事力を誇る米国に対して正規戦を挑むというのでしょうか。

◆海外の武力行使が可能に

 起こりそうなのは、米国による海外の戦争に参加して武力行使することではないでしょうか。第二次世界大戦後、各地で起きた戦争や紛争の多くは、米国や旧ソ連が介入して始まりました。「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて米国が始めたイラク戦争に英国は集団的自衛権を行使して参戦しました。イラクへは陸上自衛隊も派遣されましたが、憲法の規定から人道復興支援にとどまりました。

 日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を法律でひっくり返す「法の下克上」は断じて認めるわけにはいかないのです。


 この社説、なかなか説得力があります。

 しかし、最後の一文で、この社説は「完全に台無し」です。

 なぜなら、「日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法」という表現は、「完全に間違っている」からです。



 社説は「平和憲法があれば日本の平和は守られる」と考えているようですが、

 日本の「憲法」は日本の行動をしばるのみで、他国の行動をしばるものではありません。日本に「平和憲法」があっても、他の国には「日本の平和憲法なんか関係ない」わけです。

 実際には、平和憲法があるから平和が守られているのではなく、自衛隊や、在日米軍がいるから平和が保たれているのです。こちら(日本)が攻撃しなくても、相手が日本を攻撃すれば、平和は保たれません。



 かつてチャーチルは、「平和主義者が戦争を起こす」と言ったそうです。

 上記社説のような主張こそが、じつは「戦争をひき起こす」のです。このことを忘れてはなりません。



 新聞の社説とは、その新聞社における最高の知性を表現したものであるはずです。「新聞は社説しか読まない」という人もいるくらいです。

 そうであるにもかかわらず、新聞社がこのような「一見正論に見えるが実は間違っている」主張を社説で展開するのは、いかがなものかと思う次第です。



 私が言いたいことは以上ですが、一応、細かい点についても私見を述べておきます。



★政府見解 (解釈) は変えてもよい



 集団的自衛権行使を「憲法は認めていない」というのは、たんに「政府の解釈」にすぎません。当然、「別の解釈」があってもよいわけです。条文の「解釈」というのはそういうものです。

 条文解釈の「権限」を有しているのは裁判所ですが、裁判所における「解釈」も時代とともに変わります。だからこそ、裁判所による「判例変更」というものがあるわけです。(「判例変更」とは裁判所が過去に下した条文の「解釈」を裁判所が変更することです ) 。

 つまり、憲法・法律の「政府による解釈」は唯一絶対のものではなく、「裁判所による解釈」が優先するし、「裁判所による解釈」ですら、時代とともに変わるのです。そうであれば、「政府の解釈」とは異なる内容の法律案が国会に提出され、可決されてもよいわけです。国会で可決された時点で、「解釈」は変わったと考えればよいだけのことです。

 もっとも、上記は「解釈」とは変えられる、変えてもよい、ということを言っているだけで、私も、憲法自体を変えるほうが好ましいとは思います。



★米国に正規戦を挑む国は「ある」



 社説は、「いったいどの国が世界一の軍事力を誇る米国に対して正規戦を挑むというのでしょうか」と問うています。

 おそらくこの社説を書いた論説委員は、「問い」ではなく「反語」のつもりで、「いや、米国に正規戦を挑む国があるはずはない」と読者が心の中で思うことを期待しているのでしょうが、どちらであっても以下の反論は成り立ちます。

 中国の人民解放軍内部には「アメリカに勝てる」という意見があると言われています。したがって、社説の問いかけに対しては、「中国です!」と答えれば十分です。