文理両道

理系文系両面で90以上の資格試験に合格。
専門は電気工学だが、経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。

書評:毒があるのになぜ食べられるのか

2016-05-25 09:20:22 | 合格した資格試験一覧・ブログポリシー
毒があるのになぜ食べられるのか (PHP新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所

・船山信次

 我々の身の回りは、いかに毒のあるもので囲まれているか。本書を読むと驚きの事実がわかる。なにしろ普通に食べているものでも毒があるのだ。それを私たちは、いろいろな方法を使って食べられるようにしているのである。

 例えば加熱処理。青酸配糖体を含むタピオカ、タケノコや溶血作用のある物質を含むソラマメなどは、過熱をすることによって、有毒成分が分解するという。

 灰汁抜きという方法もよく使われる。対象となるのは、結石の原因となるシュウ酸を含むホウレンソウや発がん性のあるワラビ、フキノトウなどだ。

 毒があるものの代表のような「フグの卵巣」も、「フグのへしこ」と呼ばれるぬか漬けにして食べてしまう。

 救荒植物と呼ばれるものもある。アルカロイドを含むヒガンバナやサイカシンという有毒成分を含むソテツなども、デンプンが豊かなため、飢饉の際には毒を抜いて食べていた。かっては、現代のように豊かではなかった。非常時には、毒があるものでもなんとか工夫して食べざるを得なかったのだ。しかし、先人たちはどのようにして、毒を無害にする方法を見つけ出したのだろうか。

 本来なら毒のないものも、食中毒菌やカビの影響で毒を持つので要注意だ。農薬が蓄積されている場合もある。

 必要に迫られてということもあるのだろうが、人間の食に対する執念と知恵には驚くべきものがある。そんなことを感じさせてくれる一冊だ。有毒成分の化学式、化学記号なども一応示されているが、分からなくても内容の理解には差し支えないので、この分野を専門とする人以外は、あまり気にする必要はないだろう。

☆☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の摂ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:生態系ってなに?―生きものたちの意外な連鎖

2016-05-23 08:54:21 | 書評:学術教養(科学・工学)
生態系ってなに?―生きものたちの意外な連鎖 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社

・江崎保男

 本書は、生体系とは何かについて分かりやすく説明したものだ。まず生態系の定義だが、本書によれば、「ある地域の生物群集とそれを取り巻く物質循環を含めた全体」(p20)のことだという。

 この定義を読んだだけでは少し分かりにくいかもしれないが、ある地域の生物たちは、互いに結びついて全体としてシステムを形成しているということである。

 例えば、地球上の食料生産者は植物だが、この生産量は、陸地が約1000億トン/年、海洋が550億トン/年だという。これを草食動物が食べ、さらに草食動物を肉食動物が食べ、食物連鎖という形で生物は繋がっている。

 植物が光合成により捕まえたエネルギーは、物質と共に食物連鎖の中を伝わっていき、最後は宇宙に散っていくのだが、もう一つ重要な連鎖がある。生きるということは結局死ぬということだ。生物は、この食物連鎖の中で大量の死物(デトリタス)を出し、これが再び他の生物を養う栄養源・エネルギー源となる。これは腐食連鎖と呼ばれる。生物はこれらの連鎖を通じて互いに密接に結びついているのだ。

 本書では、まず生態系の概念が説明され、次になぜ生態系がシステムであるかを示される。さらに、生態系を構成する生物個体の話に移り、それらがどのように繋がりあっているのかが示され、最後に生態系の概念が、再度分かりやすく示されている。生態家について一通りの基礎知識をつけるには良い本ではないだろうか。

 生態系がシステムであることについて、興味深い実験が紹介されている。捕食者が存在することにより、多種類の生物が共存できるというのだ。実験的に捕食者を取り除いてみると、これまで多種類の生物が共存していた場所が1種類の生物だけで占められてしまったというのだ。かように、生物間の相互作用というのは複雑なのである。

 本書では、生態系がジグソーパズルに例えられる。各生物は、ジグソーパズルのピースに当たる。だから、ある生物の絶滅が危惧されるからといって、その生物だけを考えてもあまり意味はないのである。ジグソーパズル全体を見なければならないのだ。これは絶滅危惧種の保護を考える際に重要な示唆を与えてくれるものだと思う。

 私たちが子供の頃には。まだあちこちに豊かな生態系が残っていた。川も山も田んぼさえも多くの命がひしめいていたのだ。しかし、いまでは目にすることのなくなった生物たちは余りにも多い。豊かな生活を求めてきた結果、失ったものも大きいのである。私たちは再び豊かな生態系を。取り戻すことができるのであろうか。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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ドラマレビュー:「ドラマスペシャル 帝都大学叡古教授の事件簿

2016-05-22 13:32:16 | 映画・ドラマ

 昨日のテレビ朝日系列で放映していた「ドラマスペシャル 帝都大学叡古教授の事件簿」。原作は門井慶喜の「東京帝大叡古教授」だが、大学名が変わっていることから想像がつくように、中身はほぼ別物。

 文系の天才というふれこみの帝都大学教授・宇野辺叡古が学内で発生した猟奇的な連続殺人事件を解決に導くという内容だ。

 時代も原作とは違っている。原作では日露戦争が起こったころの明治の日本が舞台だったが、ドラマではこれが現代に置き換えられている。阿蘇藤太も旧制五高から東京帝大入学を目指していた若者だったところが、こちらでは叡古教授の助手。原作ではかなり重要な役を果たしていたのだが、ドラマではかなり軽い役どころだった。助教ではないので、あまり学問の道を目指しているわけでもないようだ。また叡古教授自身もなんだか原作より軽い。

 原作との一番の違いは、ストーリーに警察が大きく関わっているところだろう。南波陽人という警視庁刑事が叡古の相棒役のようである。この南波刑事、階級は警部補らしいが、ドラマ中で「ダメキャリ」と罵られる場面があったので、一応キャリア警察官なのだろう。母親が国家公安委員長という設定からもそれが推測できる。しかし、キャリア警察官なら、警部補は最初の1年間だけ。すぐに警部に昇進するはずだ。難波を演じている田中直樹は、年齢的にとても入庁1年目の新人には見えない。母親が国家御公安委員長なら、降格処分を受けたということも考えにくい。

 彼の上司に当たる警視庁捜査一課の係長とその腰ぎんちゃくのような刑事が出ていたが、その二人の態度の横柄なこと。その腰ぎんちゃくのほうが南波の頭を叩いているシーンがあったが、係長が警部だからその部下なら警部補か巡査部長というところだろう。階級社会の警察で、同格以上の階級のキャリア警官を、いくら「ダメキャリ」と思っていても、頭を叩くようなことがあるのだろうか。

 捜査一課長が、やたらと国家公安委員長のところに行っているというのも気になる。行くのなら、刑事部長か警視総監のところではないのか。なかなか突っ込みどころの多いドラマだった。

 ところで、叡古教授をわざわざ「文系の天才」と銘打ったのは、帝都大学には、理系の天才であるガリレオこと湯川准教授がいるからなのか(笑)。テレビ局は違うが、この二人がコラボしているドラマを作ったら面白いかなと思った。


○原作
・東京帝大叡古教授(門井慶喜)
東京帝大叡古教授 (小学館文庫)
クリエーター情報なし
小学館


○出演
・藤木直人(宇野辺叡古)
・清水富美加(宇野辺さくら子)
・白洲迅(阿蘇藤太)
・田中直樹(南波陽人)他

☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:血流がすべて解決する

2016-05-21 10:09:13 | 書評:その他
血流がすべて解決する
クリエーター情報なし
サンマーク出版

・堀江昭佳

 著者は漢方薬剤師で、出雲大社の参道で90年近く続く老舗漢方薬局の4代目だということだ。そんな著者が語る血流改善法。本書に述べられているのは、「血流を増やして、心と体のすべての悩みを解決する方法」(p1)だ。

 本書によれば、血流が悪い原因は3つに分けられるという。すなわち、血がつくれない(気虚体質)、血が足らない(血虚体質)、血が流れない(気滞 瘀血体質)である。だから、血をつくる、増やす、流すの3つの観点から対策を行えば血流はよくなるというのだ。この辺りは、ロジカルシンキングでいうMECE(ミッシー)になっておりとても分かりやすい分類だ。

 そして、それぞれについて個別にどうしたらよいかが説明されているが、どれもそう難しいようなことではない。例えば、血をつくるには、胃腸を元気にして適切な食事法を実践すればよいし、血を増やすには、早く寝て、朝起きたら太陽の光を浴びればよいのだ。そして、血を流す方法はウォーキングと呼吸法である。もちろんこの他にも細かいことは色々書かれているが、どれも実行することはそれほど困難なことではない。

 本書は、主に女性を対象に書かれているようだ。しかし、紹介されている方法は、特に男女の区別なく、健康づくりのためには有効だろう。もっともタイトルのように、血流改善ですべてが解決するかどうかは疑問であるが、少なくとも実行しても無駄にはならないようなことが書かれていると思う。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:仏像は語る

2016-05-19 07:50:12 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
仏像は語る (新潮文庫)
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新潮社

・西村公朝

 著者は、東京芸大名誉教授で、財団法人美術院国宝修理所で千数百体の仏像(神像)修理に携わった仏師でもある。天台大仏師法印の称号を持ち、京都の愛宕念仏寺住職をされていたが、2003年に亡くなられている。

 本書は、西村さんが体験した、仏像に関する様々なエピソードを纏めたものだ。生きている御神木に不動明王を刻んだり、手を触れただけで指がめり込むほど虫食いが進んだ神像を甦らせたり、三十三間堂の千手観音の修理を行ったりと、いかにも仏師らしい仏像修理のエピソードが満載だ。仏像の着付けを研究するため、インド古典舞踊団の団長から衣装の着方を教わったこともあったという。

 西村さんによれば、仏像について無知だと平気でいう住職が割りと多いそうだ。自分が祀っているご本尊が何かも知らない住職もいるそうだから呆れてしまう。

 もっとも、これも今に始まったことではなく、江戸時代の仏師には、千手観音の右手と左手を入れ換えてしまうといういい加減な仕事をするものが結構いたらしい。ところが、歴代の住職がこれに気が付かないまま、現代に至っているということもよくあるというのである。こうなると、宗教者のあり方としてどうなんだろうと思ってしまう。これは、多くの寺で、住職が世襲の職業になってしまっているということにも関係しているのだろう。

 現代科学は、これまでは宗教の領域でしかなかったものを、次々に解き明かしてきた。おそらく最後に残るのは「こころ」の領域ではないかと思う。だからこそ、これからの仏教者は、「こころ」を扱うものとして、いかにあるべきかということを徹底的に考える必要があるのではないか。単に先祖から受け継いだ寺を維持しているだけでは、仏教の未来は暗い。そんなことを思いながら、本書を読み終わった。

☆☆☆☆

※本記事は書評専門の摂ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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