文理両道

理系文系両面で90以上の資格試験に合格。
専門は電気工学だが、経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。

書評:忘却のレーテ

2016-07-30 20:33:52 | 小説(SF/ファンタジー)
忘却のレーテ (新潮文庫nex)
クリエーター情報なし
新潮社

・法条遥

 両親を交通事故で亡くした女子大生・笹木唯は、父が重役をしていた製薬会社オリンポスで記憶薬「レーテ」の被験者となる。父が横領をしており、実験に参加すれば、賠償額を半分にするというのだ。

 7日間の間、他の5人の被験者と共に、夜になれば「レーテ」により、1日の記憶をリセットされる。この作品は、その7日間の毎日の出来事を描いたものだ。

 読者は読んでいるうちに違和感を感じることになるだろう。例えば、死んだはずの人間が、また登場してきたり、唯は、被験者になるための面接で落ちたはずなのに、実験に参加していたりといったところだ。この他にも本書の中には、辻褄の合わないところが、いろいろとでてくるのだ。

 実は、これが驚くような結末に繋がっていくである。最後には、一気にそれまでの謎が解き明かされていくのだ。きっとあまりにも意外な内容は、読者の想像の域を超えているのではないかと思う。

 果たして、「レーテ」の開発者の小野寺エリスの狂気に、同情するようになるのか、それとも恐怖を抱くのか。さてあなたはどちらだろう。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。



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書評:太平記〈よみ〉の可能性

2016-07-28 16:37:26 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
太平記<よみ>の可能性 (講談社学術文庫)
クリエーター情報なし
講談社

・兵藤裕己


 「太平記」という名前は聞いたことがあっても、実際に読んだことのある人はそれほどはいないだろう。本書によれば、この40巻から成る太平記は、3部に分けられるという。後醍醐天皇即位から建武政権発足までの第1部。建武政権の崩壊から後醍醐天皇崩御までの第2部。そして、その後の足利義満登場までの第3部だ。

 太平記の原本は、法勝寺の恵鎮上人が足利直義のもとに持参した30余巻本だったようだ。著者は、太平記40巻は、足利義満の時代にその政治体制と不可分のところで成立し、室町幕府の草創を語る正史として最終的に整備・編纂されたと見ている。

 太平記は、平家物語を意識して書かれているらしく、多くの平家物語のパロディのような話が挿入されている。例えば、正中・元弘の変の発端として語られる「無礼講」の話は平家物語の「鹿谷」を意識して書かれているのである。だから、平家物語の方にも詳しい読者なら、ああこれはあそこのパロディだなと思いながら、太平記を読むことができるのだろう。私の場合は、どちらにもそんな知識はないので、無理だろうが。

 本書で特筆すべきは、「太平記」には相反する二つの論理が重層的に描かれているということを指摘しているところか。すなわち儒教的な源平の「武臣」の名分論と、その名分とは異なった位相を持つ「無礼講」の論理だ。

 名分論とは、君臣がそれぞれの名分をまっとうするということである。つまり君は君らしく、臣は臣らしく振舞えということだ。だからこれから外れた行いをする者は、君だろうが、臣だろうが悪なのである。平家物語の仏教的な因果論に対して、太平記は、儒教(宗学)的な名文論によって悪王・悪臣の必滅の理を説いているらしい。

 太平記の1、2部は平家物語的な源平交替史によって構想されているのだが、平家物語の序章が滅んだ悪臣を列挙しているのに対して、太平記の序文は、悪臣と共に悪王が滅んだ先例にも言及しているのだ。これが名分論に基づいた記述というものだ。だから太平記は、「武臣平高時」を「臣の礼を失ふ」とする一方で、その武臣を滅ぼした後醍醐天皇についても「君の徳にたがい」と述べている。

 太平記は、天皇と「武臣」の2極関係を前提として、「武臣」の交代史という歴史が描かれている。この歴史観の下では、源平両氏は交替で覇権を握るが、けっして政権の主体にはなり得ない。源平交代の物語は、武家の頭領である両氏を「朝家の御かため」として天皇制国家に組み入れる論理だからだ。しかし、それが、鎌倉時代以降、武家政権の自己正当化の論理となるとはある意味歴史の皮肉だろう。

 つまり太平記がイメージする「太平」の世とは、君臣の上下が、それぞれの名分をまっとうすることなのだ。後醍醐天皇は、この2極関係を飛び越えて親政を行おうとした。そこで、武臣に代わって現れたのか、楠木正成や名和長利、児島高徳といった悪党武士なのである。太平記の名分論とは矛盾するこの悪党武士たちを太平記は極めて好意的に描いているという。これは、太平記は語られるものでもあり、どのような者たちが太平記を語っていたかということと関係しているということのようだ。

 本書では、「太平記」がどのように読まれてきたか、それが歴史の流の中でどのような役割をしてきたのかが、詳細に考察されている。このあたりを専攻したい人や、太平記に興味を持っている人には一読して損はないと思う。私のように国文学の素養のないものは、ただそうなのかとうなずくばかりなのだが。

 ただやたらと「相対化」という単語が使われるのは、人文系の特徴だろうか。結構あやふやな用語なので適切な言葉で言い換えればいいのではないかと思うのだが。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:もっとも美しい数学ゲーム理論

2016-07-27 09:58:25 | 書評:学術教養(科学・工学)
もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

・トム ジーグフリード, (訳)冨永 星

 ゲーム理論は、天才数学者フォン・ノイマンが1928年に発表した論文に始まった、競争による相互作用を扱う、数学の一分野である。

 彼は経済学者のモルゲンシュタインとの共著で、1944年にゲーム理論のバイブルとも言える「ゲームの理論と経済行動」を発表する。彼らが扱ったのは二人で行うゼロ和ゲームだが、プレイヤーが増えると問題を上手く扱えなくなる。

 ゲーム理論を大きく発展させたのが、「ビューティフル・マインド」という映画で知られるジョン・ナッシュだ。彼が打ち立てた非協力ゲーム理論は、経済学のみならず色々な学問分野で強力なツールになっている。ナッシュはこの功績により1994年ノーベル経済学賞を与えられている。

 これを経済学者たちが使いだしたのは1980年代になってからだ。いまやゲーム理論は、経済学に欠かせない数学的ツールになっている。今でこそ、経済学の教科書にはゲーム理論が解説されているものも多い。先般私が入手したミクロ経済学の教科書もゲーム理論の話にかなりのページ数が割かれていた。しかし、私が学生のころは、経済学の教科書にゲーム理論のことなど影も形も無かったのだ。

 本書は、このゲーム理論が、経済学に限らず、いかに広範な科学分野で応用されているか、またその可能性があるかを示したものである。

 本書でまず最初に取り上げられているのはアダム・スミスだ。ゲーム理論のさまざまな側面にスミスの着想のこだまがみてとれるというが、これはゲーム理論が最初に経済学の分野で使われるツールとして発展してきたという歴史からはある意味当然のことと言えるかもしれない。「ナッシュ均衡」、「囚人のジレンマ」、「繰り返しゲーム」といったようなゲーム理論の概念は、今や経済分析のためになくてはならないものになった。

 次いで、経済学以外での様々な分野での応用について語られる。例えばゲーム理論は、「生物進化」の特徴を説明できるというのだ。ジョン・メイナード・スミスの「進化ゲーム理論」では、進化的に安定な状況は、ナッシュ均衡だという。

 また、ゲーム理論は、神経科学と経済学を結びつけて、神経経済学を産み出した。文化が経済行動に及ぼす影響もゲーム理論により比較・分析されるし、ネットワーク進化の説明にも使うことができる。

 統計力学とゲーム理論に基づいて、人間の社会現象を説明しようとするのが社会物理学だ。今やゲーム理論は、社会科学を統合する言語となっているのである。

 本書はこのように、ゲーム理論が広範な分野での強力なツールであることを詳しく解説している。もちろん学者によって書かれた専門書というわけではなく、サイエンスライターによって書かれている一般向けの解説書なので、数式などは一切使われていない。だから、ある程度ゲーム理論についての知識がある人には物足らないかもしれない、しかし、これからゲーム理論を使って何かをしたいと考えている人、ゲーム理論全般について見通しを得たい人には、多くの示唆に富んでいるものと思う。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:女も男もフィールドへ(FENICS 100万人のフィールドワーカーシリーズ12)

2016-07-25 09:01:07 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
女も男もフィールドへ(FENICS 100万人のフィールドワーカーシリーズ12)
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古今書院

・椎野若菜・的場澄人編

 本書は、一部例外もあるものの、主として女性フィールドワーカーたちによって書かれた、研究者としての手記である。

 フィールドワークは、研究室で行うような研究とは違い、何ヵ月、何年といった単位で、研究対象としている土地で過ごさなければならない。それが日本国内ならともかく、何を研究するかによって、言葉や風習がまったく異なる民族の中に入って生活することも珍しいことではないのだ。

 いくら男女同権の世の中になったからといっても、そこには女性ならではの苦労がある。妊娠、出産といったことは、女性にしかできないからだ。独身者ならともかく、女性フィールドワーカーが結婚している場合には、妊娠、子育てという問題が出てくるのである。

 いったい何をやりたかったのか分からない文科省の大学院重点化政策に伴って、研究者の卵の数は以前に比べてものすごく増えている。しかし、これに伴うポストの数はそれほど多くない。特に本書に出てくるようなフィールドワークを行うような分野だと、ますます就職先は限られてくることになる。

 だから、多くの研究者の卵たちは、不安定な任期付ポストで結果を出していかなくてはならない。そこには、常に研究の世界から脱落してしまうことへの不安が付きまとうのだ。

 そのため、女性フィールドワーカーたちは、子連れでフィールドワークに赴くことを余儀なくされる。しかし、外国での衛生事情は日本とは大きく違う。例えば日本なら、マラリアの心配などは、まずしなくても良いだろう。しかし、フィールドワーク先で子供が病気になるリスクは、日本より遥かに高いのだ。彼女たちは、自分のことだけではなく、子供のことも心配しながら研究を続けなければならない。

 彼女たちは、生物学的に女であるという事実と、研究者としての自分との間で、折り合いをつけながら、道を切り開いている。好きでないとできないことだろう。そんな姿はなんとも逞しい。彼女たちの物語は、同じような境遇にある多くの女性研究者たちに勇気を与えるに違いない。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:疾中

2016-07-23 16:59:37 | 書評:その他
疾中
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メーカー情報なし

・宮沢賢治


 この詩集は、1928年(昭和3)から1930年(昭和5)までの間、肺結核により病の床にあった自身のことを描いた作品群から成り立っている。

 賢治は、この後奇跡的に一旦回復の兆しを見せるもののこのときは完全に死を覚悟していたのだろう。

<いまわれやみてわがいのち いつともしらぬ今日なれば>(まどろみ過ぐる百年は)

<われやがて死なん 今日または明日>(一九二九年二月)

 熱にうなされ、血を吐きながらも、詩人としての彼は自分のことを詩に詠まざるを得ない。しかし、その時の状況を表すかのように、作品群は陰鬱な色に染められている。

 この作品群の中に見られる特徴的な色は「青」、「黒」そして「赤」だ。

 まず「青」は、病に侵された自分自身の状況を表す色だろう。

<わが胸いまは青白き>(わが胸いまは青白き)

<その青黒い方室は 絶対おれの胸ではないし>(病)

 その一方で、「青」は、「青ぞら」、「青い山河」など、病床にあってあこがれる、健全な外界を表す色としても使われている。しかし、それは決して希望の色ではない。死を覚悟した病の床にあって、もう見ることが叶わないかもしれないものの象徴でもあるのだ。

 「黒」はもちろん冥界の色だろう。やがて死ぬだろうと覚悟していた賢治にとって、死の訪れを暗示させる色ではなかっただろうか。

<その黒雲のかなたより>
<黒き林のかなたより>
(今宵南の風吹けば)

<その恐ろしい黒雲が またわたくしをとらうと来れば>(その恐ろしい黒雲が)

 そして「赤」は容易に連想できるように血の色である。作品中には血の色としての「赤」は直接語られてはいないが、「血」という言葉は、「死」を予感させるものとして登場してくる。

<もだえの血をば吐きながら>(あゝ今日ここに果てんとや)

<これで二時間 咽喉からの血はとまらない>(夜)

 寒々とした色彩で描かれた詩集。農学者で法華経の行者でもあった賢治は、生も死も妙法蓮華経という名の法則の現れでしかないという。

<諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり 帰命妙法蓮華経 生もまたこれ妙法の生 死もこれ妙法の死 今身より仏身に至るまでよく持ち奉る>(一九二九年二月)

 しかし、賢治の心は、決してそのように割り切れてはいなかったのだろう。死の影に怯えているような色彩に満ちたこの詩集には、賢治の人間臭さを感じてしまう。

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