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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

枠組みを学ぶことと枠組みから外れることを学ぶこと

2012-10-24 19:27:54 | 日記
今まで面接したり、面接されたことが何度かある。基本的に面接官は面接に来た人の話しを真摯に聞いてその人の能力を推し量り、面接された人はできるだけ自分の能力をアピールするとともに、その面接官たちの下で勉強なり仕事をしていけるのかを推し量らなくちゃならない。

しかし、ときに面接の場が一方通行の会話になっていくことがある。ぼくもある面接に行ったとき、面接官は業界の常識のようなことを得意げに喋り、それにこちらがひれ伏すかどうかを見極めようと一生懸命だった。つまり、自分のこれまでの実績や考え方ようなものにこいつが従順になるヤツかどうか試しているような感じなのだ。

確かに、明日の「即戦力」を募集しているのならそれもいいだろう。でも、今後何年も何十年もその分野で生きていこうとする人に、面接官個人が持つ「枠」を一方的に押しつけて何の意味があるのだろう。新しい人の能力が花開き、組織のこれからに役立つかどうかが大事なのではないか。

ときに、業界とか学界は「お山の大将」や「腰ぎんちゃく」が幅を利かせていて、自分の枠にはまらない新参者をふか~く傷つけて追い払おうとすることがある。組織論でいうと、一旦トップに無能者が治まってしまうと、無能者は実力ある者を怖がり、そうした人を排除して組織の活性化より自らの安全確保を優先し、自分の回りをやはり無能者で固めようとしてしまう。そうなると組織は徐々に衰退し、大きな組織であれば、却ってその進行具合が遅いので、もうスカスカ状態になるまで実態が表面化しないことがあるという。某メーカーの○○○などはこのいい例かもしれない。

先日、知人がある面接で、募集条件になかったことを面接の場で持ち出されて「はい、それじゃ」って面接を打ち切られたと怒り心頭だった。募集条件にないことを面接の場で持ち出し、それを満たしてないからダメというのは詐欺以外の何物でもない。面接は、その必要書類を書いたり送ったりするだけでもものすごい労力が必要で、学校の場合は受験料の振り込みもあるのだ。この面接官にはその想像力が欠落していると思った。

ただ、ぼくの知人は面接段階でその組織の抱える欠陥を知ることができて、逆に幸運だったともいえる。面接は、単に点数だけで人を測らないということで好ましく受け取られがちだけど、もし面接官がろくでもなければ、これはどちらにとっても点数主義より悲惨な結果をもたらす。つくづく、自分が「面接官」になるときは謙虚になろうと思った。

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