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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

沖縄修学旅行

2011-12-12 01:15:33 | 日記
沖縄の11月12月は修学旅行の高校生で一杯だ。それ以外の季節にもたくさん来ているのかもしれないけど、ぼくが沖縄に行くのはその時期が多いので、そんなイメージを持っている。

伊江島では4,5人ずつ民宿に分宿して、そのグループごとに何かを体験していた。だから民宿のおじさんおばさんも何か「ウリ」になるものを持たないとならないので大変だ。それに素泊まり専門でやっている民宿が多い島で、高校生を受け入れる以上、3食付きとなり、食欲旺盛で、好き嫌いの多い高校生に満足してもらうための調理に四苦八苦するらしい。

で、帰る日。心が通じて、親子兄弟のようになった民宿の人たちとの別れ。民宿の人たちは「いってらっしゃ~い」という横断幕を広げ、まるでチアリーダーのような飾りをつけて港に並ぶ。高校生たちの中には涙している子もいて、いいシーンだった。小笠原では、修学旅行じゃなくても民宿の人たちが船を出してフェリーを追っかけてくれたり、その船から見事な飛びこみを見せてくれたりして、別れを惜しんでいた。かつて青函連絡船があったとき、内地に転校する女の子が、両親に両脇を支えられ、岸壁の友達や先生とテープを投げ合って別れを惜しんでいた。

別れはとても辛いものだけど、会うは別れの始まりであり、人はこれを避けて通れない。ぼくは友人とデッキの椅子に座って、お互いが見えなくなるまで手を振る人たちを見ながら、「いま、高校生に戻れるとしたら、何になりたいと思う?」って、そっと聞いた。
「・・・」
「今と同じ仕事?」
「今の仕事はない。もっと知的な仕事がしたいな」

「ぼくは、何か技術を身に付けたい」
「どんな?」
「何かの検査技師みたいなの。職人っぽい仕事」

ヴィゴツキーという人がレディネスという概念を発達心理学で使っていた。何か新しい機能を身につけたり学習するには、それが可能となる時期を待たなくてはならないし、それを逸してもいけない。そしてレディネスは、例えば親が環境へ介入していくことで早めたり、台無しにすることもできる、と。ぼくらは「知的な仕事」や「検査技師」になるためのレディネスの時期はもう来ないだろう。自分たちもそれはわかっている。

ほんの20分ほどの乗船だったけど、お互いのこころの奥を見せ合ったような船旅だった。

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