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ベルギー メへレン “移民と共生”に成功

2018-06-02 07:30:00 | 報道/ニュース

5月14日 国際報道2018


ヨーロッパでは
過激な思想に感化された移民などによるテロがたびたび起こっていて
移民や難民を社会にどう受け入れていくかが大きな問題となっている。
こうしたなか
ベルギーの小さな町が
“移民と共生”に成功した町として注目されている。

ベルギー北部のメへレン市。
人口8万人余の町である。
人口の3割はイスラム系などの移民で
一昨年にも約180人の難民を受け入れた。
さまざまな国の出身者が住み
多くの地元の人が移民を歓迎している。
(市民)
「誰でもこの町では歓迎よ。」
いまでは“寛容な町”として知られるメへレンだが
かつては移民をめぐって試練も経験した。
ベルギーでは1960年代ごろから
安い労働力としてモロッコなどから移民が急増。
メへレンにも炭鉱労働者として大勢の移民が住むようになった。
その後 炭鉱の閉鎖にともなって
こうした移民の多くが失業。
90年代には治安が急速に悪化し
警察と移民との間で衝突が起きるなど混乱が広がった。
当時移民は社会の中で孤立し
メへレンは“ベルギー最悪の町”とも呼ばれていたのである。
(市民)
「午後6時以降は外を歩けませんでした。
 モロッコなどから来た人たちが怖かった。」
こうした状況を変えたのが
2001年から市長を務めるバルト・ソーメルス氏である。
(メへレン市 ソーメルス市長)
「当時メへレンは病気になっていたと言えます。
 移民の市の一員だと考え
 共に未来を作らなければ状況は変わらないと感じました。」
ソーメルス市長が重視したのが2つの政策である。
1つ目は徹底した治安対策である。
町のあちこちに防犯カメラを設置。
どんなに小さな犯罪も見逃さない姿勢を示したもので
犯罪は激減した。
2つ目に取り組んだのは
孤立しがちな移民と住民との理解を進めることである。
移民と住民に2人1組で交流を続けてもらう「バディ制度」は2012年から取り入れた。
バディ制度では市は移民と住民の間を取り持つ。
担当者は移民から家族構成や趣味などを聞き取る。
そのうえでボランティアとして登録している住民の情報と照らし合わせ
相性が合いそうな人を紹介しバディとなる。
夫婦の場合でも家族単位で交流するのではなく
1人1人にその人の相性に合ったバディを持つことができる。
一昨年シリアを逃れてきた難民のメイ・ハリルさん。
この日家族と一緒にバディ制度で知り合った住民のカロリーン・ブラウニングスさんを訪問した。
2人は好きに数回お互いの家を訪問し一緒に食事をするなど
半年間交流を続けた。
ハリルさんはブラウニングスさんとの交流を通して
地元で話されるオランダ語を覚え
子どもの学校や病院の手続きなどでもブラウニングスさんが支えてくれたと言う。
(シリア難民 メイ・ハリルさん)
「彼女のおかげで友人が増え
 町のことも知ることができました。
 子どもたちも慣れてくれて
 とても良かったです。」
一方ブラウニングスさんにとっても移民への見方が変わるきっかけになった。
(ブラウニングスさん)
「“移民は泥棒で社会の役に立たない”という考えが広がっていました。
 私自身 バディを経験して
 間違った考えだと気づきました。
 相手の文化を知ることで心を開くことができました。」
周辺の町では移民などの若者が過激思想に染まりシリアへ向かったことが大きな問題となったが
社会の結束が強まったメへレンからは1人も出なかったと言う。
ソーメルス市長はその功績が評価され
2016年イギリスのシンクタンクによって
“世界一の市長”に選ばれた。
(メへレン市 ソーメルス市長)
「住民の間で心を開いて一緒に住むという意識が大きく芽生えました。
 “移民の受け入れは失敗する 共生は不可能だ”と言いますが
 私たちはそれが可能だということを証明していきたいと思っています。」
移民や難民の流入が大きな課題となっているヨーロッパで
新たな共生の可能性を示したメへレン。
いま各国自治体からの視察が相次ぐなど注目されている。




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