―挙式10日前に婚約者が無残にも・・・・・・
悲劇の花嫁を生んだ “あしたのジョー”殺人事件
テレビの漫画、劇画番組が週刊13本。空前のアニメ・ブームのかげで、現代の花形アニメーターたちは、疲労の極み達してバタバタ倒れてゆく。ある者は自ら首をくくり、ある者は挙式の10日前、婚約者の女性に見取られて,,,,,,,,
「すいません」と同僚に 遺書であやまりながら自殺
年齢プラス10がアニメーターの健康状態。年齢カケル1000がアニメーターの給料。そういって彼らは自嘲する。トシより10も早くふけるほど体をすり減らして働いても、収入はそれほど少ないということだ。吉村豊さんは、この一月に自殺したとき21歳、給料はちょうど年齢カケル1000の2万1千円だった。もともと肉親の縁が薄くおじの手ひとつで育てられ絵とギターだけが趣味。さびしがりやの青年だった。3年前、大手アニメ会社のひとつTCJ動画センターに入ってからは、仲のいい友達もできて喜んでいた。
ところが、ちょうどその頃から会社の合理化が始まり、自分から見切りをつけてやめて行った者を含めて、最盛期には200人からいた人員が、ほぼ半減してしまった。吉村さんは、これでまずショックを受けた。
アニメーターは、人物、背景、彩色の3部門に分かれる。吉村さんは、テレビ漫画『さざえさん』の背景画を描いていた。きわめて単調な仕事だった。
吉村さんは夢を海外旅行に求めた。むろん2万1千円の給料の中から海外旅行の費用を貯めるのはむりだ。吉村さんは、この正月から、朝の牛乳配達のアルバイトを始めた。「今年はがんばるぞ」と、彼は珍しく明るい顔で、同僚にこう。宣言した
だが、ただでさえ疲れやすい仕事にアルバイトはむりだった。たちまち風邪をひいて、1日会社を休んだ。翌日、横浜のアパートの隣にある寺の境内で縊死している彼が発見された。
鉛筆の走りがきの遺書があった。
「どうも大変なことになってしまい、すいません。どう、おわびしたらいいのか、本当にすいません。今の会社はきびしすぎる。僕は負けた。みなさんには本当に、本当に、大変な迷惑をおかけして、どうおわびしてよいやら、本当にすいません。今まで、いろいろとおせわになってきて、こんなあだでかえすとは、本当に僕はダメな男です。うちの会社、他の会社はしらないが、ヒドスギます。アルバイトしなくては食べていけない給料、そして、みんなをバラバラにしている合理化。僕はそれに負けました。そして、自分に。本当にすいません」(原文のまま)
短い文章の中に、「すいません」という言葉が4回もくり返されている。
寝返りで険悪な対立!
「巨人の星」対「赤き血のイレブン」
「アニメーターは季節労務者だ」と、あるテレビのプロデューサーはいう。
4年前、『鉄腕アトム』をきっかけにして、テレビに第1次アニメーションブームが起こった。『オバQ』『エイトマン』『鉄人28号』とテレビ局どうしの過当競争で、かんじんの子どもたちにあきられ、ブームはやがてつぶれる。自殺した吉村さんの会社で、大量人員整理があったのもそのころだ。
だが、去年から始まった『巨人の星』の人気に刺激されて、第2次アニメブームが訪れる。前回の漫画ブームなら、今度のは劇画ブーム。アッというまに少年週刊誌の人気劇画はほとんどアニメ化されて、その数はなんと13本。「アニメが入れば視聴率15%は固い」の合言葉で、秋の番組改編期には、18~19本になるだろうといわれている。
アニメ会社はさぞ景気がいいだろうと思うと、これがそうでない。大手は虫プロ、東映動画、東京ムービー、TCJの4社だが、スタジオに毛の生えたような小さい会社は無数にあって、これまた猛烈な過当競争を演じているからだ。
「こういう気違い沙汰は早くやめなくちゃ」と、読売TVの佐野プロデューサー(『巨人の星』『タイガーマスク』担当)はいう。「アニメ会社は、自分のところではとうていこなし切れないから、下請けに出す。それも、どうしても絵のうまい人のところへ集中するから、局も製作会社も違うのに、『赤き血のイレブン』の主人公と『あしたのジョー』の矢吹丈がそっくり同じ顔になってしまうというようなことも起きる。また、同じ日本テレビのなかで、『赤き血のイレブン』を新しく始めるに当たって、少し高いギャラを払うといったところ、『巨人の星』の下請けプロのひとつがさっそく寝返ってしまい、部内での険悪な対立が起こったりする。こういう状態だから、仕事はどんどんおくれ、本来なら2~3週分のストックがなければ無理なのだが、それができない。
あるテレビ局では、放映3日前にやっとあがって試写をやる始末。車が逆に走ったりして,おかしなところが続出しても、なおしている暇がないので、そのままほうえいしてしまった。
当然絵の質も落ちる。子どもはそういうものには欺(だま)されません。すでにそういう投書もきている。このままでは今後もアニメ・ブームは急速にポシャってしまうんじゃないでしょうか」
テレビ局、アニメ会社の過当競争は最後にはアニメーターにシワ寄せされる。
デズニーの漫画は、1本の製作費が約10万ドル。日本はその十分の一。しかもアニメーターの人件費が全体の7割を占める。採算をよくするためには、人件費を切りつめるしかない。アニメーターの給料は最低限のところで押さえられる。彼らはやむをえず労働時間を延長し、家に帰ってからもアルバイトをやる。
こうしてアニメーターはふつうの人より10年早く年をとってゆく。アニメーター界のシニセ「虫プロ」でも、それは例外ではない。
結婚式で披露される
はずだった自作の詩
虫プロのアニメーター、内海武夫さん(27)は、今年に入ってから体のぐあいが悪く、仕事も休みがちだった。
直接の原因は、去年、虫プロで製作した劇場映画『千夜一夜物語』にあると思われる。上映期限に追われて、ほとんど二ヶ月も徹夜が続いた。スタッフの中には、体をこわしていまだに休んでいる人が2~3人いる。
幸か不幸か、内海さんは頑健な方だった。顔も体つきも、殺しても死にそうもない感じ。自分の健康への過信もあったのだろう。『千夜一夜物語』のあとは、引きつづいて『あしたのジョー』のアニメーションを担当していた。『あしたのジョー』はアクションが売り物。それだけ描く絵数も多く、疲労に輪をかけた。
ビヤボヤしていられない事情は、ほかにもあった。去年の6月職場に笠井静子さんという彩色の女の子が入ってきた。『千夜一夜物語』でいっしょに仕事をしているうちに、意気投合し、千夜一夜があがってから、一週間ばかりの休みの間、オトキチの内海さんはオートバイの後ろに笠井さんを乗せて旅行に出かけた。
休みが明けたある日、内海さんは、同僚で、ギターの弾ける下さんに詩の草稿を示し、「これに曲をつけてくれないかな」と頼んだ。
キミがお嫁に行くときは
丸い鏡を贈ろかな
なぜって、キミのふっくらした
その顔が
鏡からはみでると
もたいないもん
正確には、「キミがお嫁に来るときは」でなければならない。すでに婚約が整っていたのだ。できあがった曲は、二人の結婚式のときに披露されることになった。
結婚指輪を握りしめて
息を引きとったあのひと・・・・
結婚式の日取りは、5月23日ときまった。新婚旅行はレンタカー・ドライブときめ、内海君は四輪の免許も取った。アニメーターらしく、オートバイにのった二人のマンガを入れた結婚招待状もできあがった。
ところが、5月に入っても、内海さんの体のぐあいは思わしくない。かえって顔にむくみさえ出てきた。さすがに病院ぎらいの内海さんも、やっと医者の診断を受ける気になった。その結果、東久留米の下宿で静養を命じられる。笠井さんも会社を休んで、つきっきりで看病することになった。
静養といっても、内海さんは体を伸ばして寝ることができなかった。横になると吐き気がするのだ。いつも仕事場で休むように、ツクエにもたれかかっているより仕方がない。
5月には結婚式の司会を頼まれている下さんが、その打ち合わせのためにアパートを訪れたときも、内海さんはそのままの姿勢で顔も上げなかった。だが声だけは以外に元気で、「あと一週間もしたら仕事にでられそうだ。いろいろみんなに迷惑をかけたな」と言った。
だが、よく3日は、夕食の最中に容態が急変した。笠井さんに初めてふとんをしいてもらって横になった。とたんに胸を抱えるようにして苦しみはじめたと思うと、急に静かになった。
すでに唇の色が変わっていた。
笠井さんは、式の日のために用意してあった結婚指輪を押入れから出してきて、内海さんの指にはめてやった。内海さんは、それを握りしめるようにしてみるまに息を引き取った。
直接の死因は心不全。だが、心臓だけでなく、内臓のすべてがガタガタになっていたようだ。
「郷里の八街(千葉県)で行われた葬儀では、みんな、声をあげて泣いた」と、下さんはいう。
「ぼくは、これからアニメーターになろうという人には、ぜったいにすすめない。そのくせ自分はこの仕事はやめられない。絵が好きだということもあるが、なによりも人間関係がすばらしいからです。1日24時間、同じ職場で苦労をともにしていると、みんな肉親以上の関係になる。それだけに、体のぐあいが悪いときも、自分が休めば、みすみす仲間の誰かに迷惑がかかるとわかっているだけに、休むのがつらい。そういう仲間意識が内海君の命を縮めたともいえるんですが・・・・・・」
“練馬の不夜城”といわれる虫プロのアニメーターたちも、さすがに「10時以後の残業は自粛しよう」ときめた。だがそれからひと月近くたった今、虫プロの建物は、相変わらず12時過ぎまでコウコウとあかりがついている。
ただ、仲間であり婚約者である内海さんを、結婚10日前に奪われた笠井さんは、いまだに、二人の新居になるはずだったアパートにこもったきり、ほとんど外出さえしない。
以上週刊明星(通巻第621号)昭和45年6月21日号から、ほとんど原文のまま掲載いたしました。
当時この記事には間違いだらけで不満もたくさんありました、最後の部分でもまったく実情を掴んでおりません、虫プロでは10時では残業と言う感覚はありませんでした、ですから10時以降の残業は自粛なんてことはありえず、深夜までの残業自粛で、貫徹はやめようであります。相変わらす12時までではなく、スタジオに人がいなくなる事はありませんでした。
でも録音機材の無い時代でした。長澤さんは、取材メモを取られるだけでこのような記事を書かれたわけです。
現代録音技術の発展により、大変便利になりましたが、ただ声を録音して、文字に変えるだけ。対象者の心の中を掴んでいない取材が多々見受けられます。
このようなプロの記者がいなくなってしまったことに、悲しみを覚えます。
悲劇の花嫁を生んだ “あしたのジョー”殺人事件
テレビの漫画、劇画番組が週刊13本。空前のアニメ・ブームのかげで、現代の花形アニメーターたちは、疲労の極み達してバタバタ倒れてゆく。ある者は自ら首をくくり、ある者は挙式の10日前、婚約者の女性に見取られて,,,,,,,,
「すいません」と同僚に 遺書であやまりながら自殺
年齢プラス10がアニメーターの健康状態。年齢カケル1000がアニメーターの給料。そういって彼らは自嘲する。トシより10も早くふけるほど体をすり減らして働いても、収入はそれほど少ないということだ。吉村豊さんは、この一月に自殺したとき21歳、給料はちょうど年齢カケル1000の2万1千円だった。もともと肉親の縁が薄くおじの手ひとつで育てられ絵とギターだけが趣味。さびしがりやの青年だった。3年前、大手アニメ会社のひとつTCJ動画センターに入ってからは、仲のいい友達もできて喜んでいた。
ところが、ちょうどその頃から会社の合理化が始まり、自分から見切りをつけてやめて行った者を含めて、最盛期には200人からいた人員が、ほぼ半減してしまった。吉村さんは、これでまずショックを受けた。
アニメーターは、人物、背景、彩色の3部門に分かれる。吉村さんは、テレビ漫画『さざえさん』の背景画を描いていた。きわめて単調な仕事だった。
吉村さんは夢を海外旅行に求めた。むろん2万1千円の給料の中から海外旅行の費用を貯めるのはむりだ。吉村さんは、この正月から、朝の牛乳配達のアルバイトを始めた。「今年はがんばるぞ」と、彼は珍しく明るい顔で、同僚にこう。宣言した
だが、ただでさえ疲れやすい仕事にアルバイトはむりだった。たちまち風邪をひいて、1日会社を休んだ。翌日、横浜のアパートの隣にある寺の境内で縊死している彼が発見された。
鉛筆の走りがきの遺書があった。
「どうも大変なことになってしまい、すいません。どう、おわびしたらいいのか、本当にすいません。今の会社はきびしすぎる。僕は負けた。みなさんには本当に、本当に、大変な迷惑をおかけして、どうおわびしてよいやら、本当にすいません。今まで、いろいろとおせわになってきて、こんなあだでかえすとは、本当に僕はダメな男です。うちの会社、他の会社はしらないが、ヒドスギます。アルバイトしなくては食べていけない給料、そして、みんなをバラバラにしている合理化。僕はそれに負けました。そして、自分に。本当にすいません」(原文のまま)
短い文章の中に、「すいません」という言葉が4回もくり返されている。
寝返りで険悪な対立!
「巨人の星」対「赤き血のイレブン」
「アニメーターは季節労務者だ」と、あるテレビのプロデューサーはいう。
4年前、『鉄腕アトム』をきっかけにして、テレビに第1次アニメーションブームが起こった。『オバQ』『エイトマン』『鉄人28号』とテレビ局どうしの過当競争で、かんじんの子どもたちにあきられ、ブームはやがてつぶれる。自殺した吉村さんの会社で、大量人員整理があったのもそのころだ。
だが、去年から始まった『巨人の星』の人気に刺激されて、第2次アニメブームが訪れる。前回の漫画ブームなら、今度のは劇画ブーム。アッというまに少年週刊誌の人気劇画はほとんどアニメ化されて、その数はなんと13本。「アニメが入れば視聴率15%は固い」の合言葉で、秋の番組改編期には、18~19本になるだろうといわれている。
アニメ会社はさぞ景気がいいだろうと思うと、これがそうでない。大手は虫プロ、東映動画、東京ムービー、TCJの4社だが、スタジオに毛の生えたような小さい会社は無数にあって、これまた猛烈な過当競争を演じているからだ。
「こういう気違い沙汰は早くやめなくちゃ」と、読売TVの佐野プロデューサー(『巨人の星』『タイガーマスク』担当)はいう。「アニメ会社は、自分のところではとうていこなし切れないから、下請けに出す。それも、どうしても絵のうまい人のところへ集中するから、局も製作会社も違うのに、『赤き血のイレブン』の主人公と『あしたのジョー』の矢吹丈がそっくり同じ顔になってしまうというようなことも起きる。また、同じ日本テレビのなかで、『赤き血のイレブン』を新しく始めるに当たって、少し高いギャラを払うといったところ、『巨人の星』の下請けプロのひとつがさっそく寝返ってしまい、部内での険悪な対立が起こったりする。こういう状態だから、仕事はどんどんおくれ、本来なら2~3週分のストックがなければ無理なのだが、それができない。
あるテレビ局では、放映3日前にやっとあがって試写をやる始末。車が逆に走ったりして,おかしなところが続出しても、なおしている暇がないので、そのままほうえいしてしまった。
当然絵の質も落ちる。子どもはそういうものには欺(だま)されません。すでにそういう投書もきている。このままでは今後もアニメ・ブームは急速にポシャってしまうんじゃないでしょうか」
テレビ局、アニメ会社の過当競争は最後にはアニメーターにシワ寄せされる。
デズニーの漫画は、1本の製作費が約10万ドル。日本はその十分の一。しかもアニメーターの人件費が全体の7割を占める。採算をよくするためには、人件費を切りつめるしかない。アニメーターの給料は最低限のところで押さえられる。彼らはやむをえず労働時間を延長し、家に帰ってからもアルバイトをやる。
こうしてアニメーターはふつうの人より10年早く年をとってゆく。アニメーター界のシニセ「虫プロ」でも、それは例外ではない。
結婚式で披露される
はずだった自作の詩
虫プロのアニメーター、内海武夫さん(27)は、今年に入ってから体のぐあいが悪く、仕事も休みがちだった。
直接の原因は、去年、虫プロで製作した劇場映画『千夜一夜物語』にあると思われる。上映期限に追われて、ほとんど二ヶ月も徹夜が続いた。スタッフの中には、体をこわしていまだに休んでいる人が2~3人いる。
幸か不幸か、内海さんは頑健な方だった。顔も体つきも、殺しても死にそうもない感じ。自分の健康への過信もあったのだろう。『千夜一夜物語』のあとは、引きつづいて『あしたのジョー』のアニメーションを担当していた。『あしたのジョー』はアクションが売り物。それだけ描く絵数も多く、疲労に輪をかけた。
ビヤボヤしていられない事情は、ほかにもあった。去年の6月職場に笠井静子さんという彩色の女の子が入ってきた。『千夜一夜物語』でいっしょに仕事をしているうちに、意気投合し、千夜一夜があがってから、一週間ばかりの休みの間、オトキチの内海さんはオートバイの後ろに笠井さんを乗せて旅行に出かけた。
休みが明けたある日、内海さんは、同僚で、ギターの弾ける下さんに詩の草稿を示し、「これに曲をつけてくれないかな」と頼んだ。
キミがお嫁に行くときは
丸い鏡を贈ろかな
なぜって、キミのふっくらした
その顔が
鏡からはみでると
もたいないもん
正確には、「キミがお嫁に来るときは」でなければならない。すでに婚約が整っていたのだ。できあがった曲は、二人の結婚式のときに披露されることになった。
結婚指輪を握りしめて
息を引きとったあのひと・・・・
結婚式の日取りは、5月23日ときまった。新婚旅行はレンタカー・ドライブときめ、内海君は四輪の免許も取った。アニメーターらしく、オートバイにのった二人のマンガを入れた結婚招待状もできあがった。
ところが、5月に入っても、内海さんの体のぐあいは思わしくない。かえって顔にむくみさえ出てきた。さすがに病院ぎらいの内海さんも、やっと医者の診断を受ける気になった。その結果、東久留米の下宿で静養を命じられる。笠井さんも会社を休んで、つきっきりで看病することになった。
静養といっても、内海さんは体を伸ばして寝ることができなかった。横になると吐き気がするのだ。いつも仕事場で休むように、ツクエにもたれかかっているより仕方がない。
5月には結婚式の司会を頼まれている下さんが、その打ち合わせのためにアパートを訪れたときも、内海さんはそのままの姿勢で顔も上げなかった。だが声だけは以外に元気で、「あと一週間もしたら仕事にでられそうだ。いろいろみんなに迷惑をかけたな」と言った。
だが、よく3日は、夕食の最中に容態が急変した。笠井さんに初めてふとんをしいてもらって横になった。とたんに胸を抱えるようにして苦しみはじめたと思うと、急に静かになった。
すでに唇の色が変わっていた。
笠井さんは、式の日のために用意してあった結婚指輪を押入れから出してきて、内海さんの指にはめてやった。内海さんは、それを握りしめるようにしてみるまに息を引き取った。
直接の死因は心不全。だが、心臓だけでなく、内臓のすべてがガタガタになっていたようだ。
「郷里の八街(千葉県)で行われた葬儀では、みんな、声をあげて泣いた」と、下さんはいう。
「ぼくは、これからアニメーターになろうという人には、ぜったいにすすめない。そのくせ自分はこの仕事はやめられない。絵が好きだということもあるが、なによりも人間関係がすばらしいからです。1日24時間、同じ職場で苦労をともにしていると、みんな肉親以上の関係になる。それだけに、体のぐあいが悪いときも、自分が休めば、みすみす仲間の誰かに迷惑がかかるとわかっているだけに、休むのがつらい。そういう仲間意識が内海君の命を縮めたともいえるんですが・・・・・・」
“練馬の不夜城”といわれる虫プロのアニメーターたちも、さすがに「10時以後の残業は自粛しよう」ときめた。だがそれからひと月近くたった今、虫プロの建物は、相変わらず12時過ぎまでコウコウとあかりがついている。
ただ、仲間であり婚約者である内海さんを、結婚10日前に奪われた笠井さんは、いまだに、二人の新居になるはずだったアパートにこもったきり、ほとんど外出さえしない。
以上週刊明星(通巻第621号)昭和45年6月21日号から、ほとんど原文のまま掲載いたしました。
当時この記事には間違いだらけで不満もたくさんありました、最後の部分でもまったく実情を掴んでおりません、虫プロでは10時では残業と言う感覚はありませんでした、ですから10時以降の残業は自粛なんてことはありえず、深夜までの残業自粛で、貫徹はやめようであります。相変わらす12時までではなく、スタジオに人がいなくなる事はありませんでした。
でも録音機材の無い時代でした。長澤さんは、取材メモを取られるだけでこのような記事を書かれたわけです。
現代録音技術の発展により、大変便利になりましたが、ただ声を録音して、文字に変えるだけ。対象者の心の中を掴んでいない取材が多々見受けられます。
このようなプロの記者がいなくなってしまったことに、悲しみを覚えます。