手塚プロに平田のポンさんが2人。
1人は手塚先生のマネージャーをしている、平田昭吾さんで昭和33年手塚先生初めての専任アシスタントとして上京、初台からの手塚先生とは腐れ縁の、元祖ポンさん。
もう1人は虫プロでは古株で、アトムからのスタッフで押しも押されもしない、手塚信者の一人、演出家である平田敏夫さんであった。
その平田敏夫さんも、何かやらせろといって駆けつけてくれた。あしたのジョーの演出を担当していて、虫プロと深く関わって、おいでだった。
先生の意向なので,虫プロ関係者として当然丁重にお断り申し上げた。
ところが馬鹿なこというのではない、私はフリーの立場にいる、私が何を演出しようと私の自由だ、というのである、涙が出るほどうれしかった。
すぐに第2話の演出をお願いできることに決まった。
第2話は手塚先生も大変気に入っていたお話で、実際に像のニュースが前にあった。そこからヒントを得た話で、演出のポンさんと、雑誌の合間に打ち合わせを重ねた。合間なので、待つ時間が多く、2階映画部で何日も無駄な時間を過ごさなくてはならず、一計を案じて、深夜手塚先生が手の空いたところで、手塚先生にストーリーを尋ねる、という形で、お話をカセットテープに吹き込み、そのテープから、絵コンテを書いてもらうことにした。出来上がった絵コンテは、さほどの直しも出ず、手塚先生自ら、大きな絵コンテに絵を清書して、作画がその絵を利用できるようにした上で、作画外注に回した。
第2話 「ブラ子どこへゆく」
動物園に行ったメルモは、飼育係のおじさんから小象のブラ子の話を聞いた。体が弱かったブラ子は、心優しい権三爺さんに引き取られて雪国へ行き、今では元気に暮らしているとのこと。
(ここでは「小児麻痺」という言葉が使われている、当時ふつうに使われていた言葉であることは、承知していただきたい。「言葉狩り」が横行している現在、この「言の葉」は使用自粛、いや使用禁止となっている。すでに若者では、死語となっていて、意味が通じない。悲しいことである。)
早速メルモは雪国へ行き、ブラ子と対面する。しかしブラ子は元気が無い。権三爺さんは、ブラ子は思春期になり、恋人が欲しくて元気がないのだ、と言った。
そこでメルモは、赤いキャンディを使い、ブラ子を卵にして雄象がたくさん住んでいるアフリカに連れて行くことにした。
青いキャンディで大人になり、スチュワーデス採用試験に合格し、飛行機でアフリカに飛ぶメルモ。
(大人になりスチュワーデス試験に合格、すぐに飛行機に乗れるわけがない、などと、目くじらを立てていう、輩がいる。しかし、アニメの世界っていうのは、子供に夢を与える世界である。夢の中っていうのは、省略や、つじつまや設定がおかしい事など当然あるが、それにいちいち文句をいう人が、おかしいのではないか。)
その足で象の住む地域へと行き、赤いキャンディを溶かした水に卵を浸してブラ子を元の姿に戻してやった。
(卵から細胞分裂のシーンの作画は、手塚先生がすべて描いた。枚数的にもスケジュール的にも、大変なことであったが、その撮影で、波ガラスを使うに当たって、撮影の菅谷正明さんは、大セルを持ってくるようにといい、撮影に立ち会った私の目の前で、セルをストーブの火にかざして、セルの形を変化させ、それを波ガラスとして使用した、回転させながら使用したそのカットは、普段の波ガラスを使用したときより、数段効果的で、手塚先生を喜ばせた。)
まもなくブラ子は一頭の雄象に恋心を抱く、ところがその雄象は仲間たちとブラ子をいじめまくる。ブラ子とメルモを追いかけてくる、雄象たちを、青いキャンディで年寄りの象にしてしまう。
日本に戻ったメルモとブラ子は、サーカスを見に行く、そこで活躍する雄象のジャンに恋をする。そしてジャンもブラ子に一目惚れした。
ブラ子とジャンは、サーカスで結婚式を挙げる。そして新婚旅行で、船でアフリカへと旅立つのであった。
演出平田敏夫さんは本田 元雄という名前で演出を担当していただいた。この名前は、丸山さんが、「あしたのジョー」で平田さんにつけた、もうひとつの名前であった。
1人は手塚先生のマネージャーをしている、平田昭吾さんで昭和33年手塚先生初めての専任アシスタントとして上京、初台からの手塚先生とは腐れ縁の、元祖ポンさん。
もう1人は虫プロでは古株で、アトムからのスタッフで押しも押されもしない、手塚信者の一人、演出家である平田敏夫さんであった。
その平田敏夫さんも、何かやらせろといって駆けつけてくれた。あしたのジョーの演出を担当していて、虫プロと深く関わって、おいでだった。
先生の意向なので,虫プロ関係者として当然丁重にお断り申し上げた。
ところが馬鹿なこというのではない、私はフリーの立場にいる、私が何を演出しようと私の自由だ、というのである、涙が出るほどうれしかった。
すぐに第2話の演出をお願いできることに決まった。
第2話は手塚先生も大変気に入っていたお話で、実際に像のニュースが前にあった。そこからヒントを得た話で、演出のポンさんと、雑誌の合間に打ち合わせを重ねた。合間なので、待つ時間が多く、2階映画部で何日も無駄な時間を過ごさなくてはならず、一計を案じて、深夜手塚先生が手の空いたところで、手塚先生にストーリーを尋ねる、という形で、お話をカセットテープに吹き込み、そのテープから、絵コンテを書いてもらうことにした。出来上がった絵コンテは、さほどの直しも出ず、手塚先生自ら、大きな絵コンテに絵を清書して、作画がその絵を利用できるようにした上で、作画外注に回した。
第2話 「ブラ子どこへゆく」
動物園に行ったメルモは、飼育係のおじさんから小象のブラ子の話を聞いた。体が弱かったブラ子は、心優しい権三爺さんに引き取られて雪国へ行き、今では元気に暮らしているとのこと。
(ここでは「小児麻痺」という言葉が使われている、当時ふつうに使われていた言葉であることは、承知していただきたい。「言葉狩り」が横行している現在、この「言の葉」は使用自粛、いや使用禁止となっている。すでに若者では、死語となっていて、意味が通じない。悲しいことである。)
早速メルモは雪国へ行き、ブラ子と対面する。しかしブラ子は元気が無い。権三爺さんは、ブラ子は思春期になり、恋人が欲しくて元気がないのだ、と言った。
そこでメルモは、赤いキャンディを使い、ブラ子を卵にして雄象がたくさん住んでいるアフリカに連れて行くことにした。
青いキャンディで大人になり、スチュワーデス採用試験に合格し、飛行機でアフリカに飛ぶメルモ。
(大人になりスチュワーデス試験に合格、すぐに飛行機に乗れるわけがない、などと、目くじらを立てていう、輩がいる。しかし、アニメの世界っていうのは、子供に夢を与える世界である。夢の中っていうのは、省略や、つじつまや設定がおかしい事など当然あるが、それにいちいち文句をいう人が、おかしいのではないか。)
その足で象の住む地域へと行き、赤いキャンディを溶かした水に卵を浸してブラ子を元の姿に戻してやった。
(卵から細胞分裂のシーンの作画は、手塚先生がすべて描いた。枚数的にもスケジュール的にも、大変なことであったが、その撮影で、波ガラスを使うに当たって、撮影の菅谷正明さんは、大セルを持ってくるようにといい、撮影に立ち会った私の目の前で、セルをストーブの火にかざして、セルの形を変化させ、それを波ガラスとして使用した、回転させながら使用したそのカットは、普段の波ガラスを使用したときより、数段効果的で、手塚先生を喜ばせた。)
まもなくブラ子は一頭の雄象に恋心を抱く、ところがその雄象は仲間たちとブラ子をいじめまくる。ブラ子とメルモを追いかけてくる、雄象たちを、青いキャンディで年寄りの象にしてしまう。
日本に戻ったメルモとブラ子は、サーカスを見に行く、そこで活躍する雄象のジャンに恋をする。そしてジャンもブラ子に一目惚れした。
ブラ子とジャンは、サーカスで結婚式を挙げる。そして新婚旅行で、船でアフリカへと旅立つのであった。
演出平田敏夫さんは本田 元雄という名前で演出を担当していただいた。この名前は、丸山さんが、「あしたのジョー」で平田さんにつけた、もうひとつの名前であった。