名馬電機社長の事業報告という名の日記

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メイショウサムソンという馬(1)

2012年04月24日 | 競馬
2012年に初年度が2歳になる種牡馬の中で私が最も注目しているのはメイショウサムソンである。いや、このブログ読んでる方はいまさら言わんでも知っとるわい、って話かもしれないが。
ダンスインザダーク以来くらいの「個人的思い入れ馬」の仔がデビューするということで、ちょっとメイショウサムソンの現役時代についてまとめてみようと思った。

2003年3月7日、浦河町の林孝輝牧場に鹿毛の男馬が生まれた。林孝輝氏の父林喜久治氏が「ダンシングブレーヴ」の血統がほしいということで孝輝氏の妻・美鈴さんの親戚の牧場からオペラハウスを受胎した状態で林牧場にやってきたマイヴィヴィアンが産み落としたその馬こそ、後のメイショウサムソンであった。

父オペラハウス、母父ダンシングブレーヴという欧州を代表する名馬同士の血統だが、サンデーサイレンス系全盛の日本競馬においてはともすると鈍重すぎるきらいのあるものであった。4代母は有馬記念、天皇賞(秋)を制しているガーネットという血統だがその事が仔馬の評価に大きくプラスになるような時代ではないし、母マイヴィヴィアンも未勝利ということで目立つ存在ではない。そんなマイヴィヴィアンの03は1歳8月に北海道のサマーセールに上場されることがほぼ決まっていた。しかし上場を決める前にとある調教師から声がかかった。オグリキャップ、ネオユニヴァース、ラインクラフトなど数々の名馬を育ててきた瀬戸口勉調教師だった。

定年が近づいていた瀬戸口師にとって2003年生まれの馬たちが3歳になる2006年のクラシックが最後になる。その「最後の世代」に長年付き合いのある松本好雄オーナーの馬がいないのは寂しい、ということで瀬戸口師が松本オーナーに頼み1頭買ってもらうことになったのだ。そして林孝輝牧場も参加している近隣牧場のグループから4頭の1歳馬が挙げられその中から瀬戸口師が選んだのがマイヴィヴィアンの03だった。

日本で産まれたサラブレッドの多くは北海道にある育成施設でトレセンへの入厩に備えたトレーニングを行う。しかしマイヴィヴィアンの03はメイショウサムソンと名付けられ、九州・鹿児島県にある鹿屋育成センターでデビューに備えた後、2歳7月、小倉競馬場でデビューすることとなった。当初、瀬戸口師はデビュー戦の鞍上に、当時厩舎の主戦ジョッキーであった福永祐一騎手を配する予定だった。ところが福永騎手は急遽新潟で騎乗することとなった。武豊騎手も候補にあったようだが、すでに別の馬に騎乗が決まっていたため(このレース1番人気となったクロスブレイク)、ベテランの石橋守騎手が手綱を取ることとなった。かつてオグリキャップの初年度産駒オグリワンや、小倉3歳S、府中3歳Sなどを勝ったゴッドスピードといった馬のコンビを組んでおり、また瀬戸口師が騎手時代に所属していた厩舎で石橋騎手の父親が厩務員をしていたという縁もあった。小倉に滞在していることもあり、瀬戸口師は石橋騎手に調教とレースの両方に乗るように依頼した。そして石橋騎手は競馬開催の土日以外、追い切り日以外でもメイショウサムソンに騎乗し、調教をつけた。最初はまだまだ幼い身体で頼りない部分があったり、手前を替えるのが苦手だったりといった部分のあったメイショウサムソンだが、石橋守騎手が日々調教をつける中で徐々にそのウィークポイントも解消していき、デビュー戦2着、2戦目3着とした後、小倉開催最終週の未勝利戦でようやく初勝利を挙げることとなった。

初勝利を挙げたメイショウサムソンは阪神競馬場の野路菊Sに出走。オペラハウス×ダンシングブレーヴという欧州血統の牡馬が2歳で芝1600のOP特別、という字面を見ると勝負にならなくても不思議ないのだがメイショウサムソンはここを1番人気に応えて快勝。このレースで石橋騎手は「クラシックに乗れると意識しだした」という。

スローペースからの瞬発力勝負に敗れて4着となった萩Sを挟んで出走した東スポ杯2歳S。前走萩Sで後塵を拝したフサイチリシャールや、ディープインパクトの全弟オンファイアなどが出走。レースはフサイチリシャールが逃げ切ってレコード勝ちを収めるが、メイショウサムソンもオンファイアに直線で一旦交わされながら差し返して2着を守った。後にメイショウサムソンの代名詞になる類稀なる勝負根性の片鱗を見せるレースとなった。

2歳最後のレースは朝日杯やラジオNIKKEI杯といった2歳のチャンピオンを決めるレースではなくOP特別の中京2歳Sだったというのもこの馬らしいレース選択と言えるかもしれない。強力なライバル不在ではあったがここをレコードタイムで快勝し、翌年のクラシックに向けてしっかりと出走のための賞金を確保できた。

血統や戦績、騎手に派手さはない。「しかし」というより「だからこそ」じっくりと、しかし着実に経験を積み力をつけていったメイショウサムソン。浦河の家族経営の小さな牧場で産まれ、人と人とのつながりがもたらした縁に導かれたメイショウサムソンは、高馬良血馬たちがひしめくつクラシックの舞台へ闘いを挑むこととなる。


参考文献
競走馬のふるさと案内所 重賞ウイナーレポート 2006年スプリングS
競走馬のふるさと案内所 重賞ウイナーレポート 2006年皐月賞
・「週刊競馬ブック 2006年4月16日号」石橋守騎手インタビュー
・「優駿 2006年6月号」優駿達の故郷を訪ねて
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