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ロンドンから徒然に

アウンサンスーチーの裁判

2009-08-12 | 日常
 最近隣の墓地を走っているのは以前このブログにも書いたのですが、仕事の一段落した5時半頃が多いのです。それで今から心配しているのが、秋・冬のこと。基本的に日暮れには門が閉まってしまうので、日が短くて4時には暗くなる冬なんて、その時間にはクローズなのです。
 テムズ川沿いを走る手もあるのですが、景色の綺麗なのはいいとして、横を走る車の排気ガスには閉口します。

 そう言えばめちゃくちゃに天気の良かった6月頃に比べると、日も短くなったと実感します。ちょっと遠目の夜の散歩コース(バスに乗って出かけるのを散歩というかどうかはともかく)の中でのお気に入りのPutneyの景色が、ほぼ同じ時間に撮っても少し前とはかなり違います。



 でも、暑かろうが寒かろうが、明るかろうが暗かろうが、自由に外に出られて綺麗な景色を眺められる幸せをちゃんとかみしめなければいけないと思います。またまたアウンサンスーチーさんの自宅軟禁が決まった今日は特に。

 僕は基本的には“政治的”な人間ではないし、このブログであまりそんなことを書く気もないのですが、このことだけは昔から許せないし、それと共に日本人として申し訳ない気持ちで一杯になります。

 過去19年間のうち13年間も自宅軟禁の状態にある彼女をまたも国際社会は助けられなかったわけです。いつも非難決議は出ますが軍政府が無視しておしまい、の繰り返し。中でも日本政府こそ、アジアの民主主義国歌の代表として毅然たる態度を示すべきではないでしょうか。
 なのに、明らかに軍政府に使われてしまうに違いない援助金を与え、挙げ句の果てにこの一連の裁判に対しても「外交団による裁判の傍聴を評価する」との軍政府に味方するかのような中曽根外相の発言。あの形だけの一日限りの外向けの裁判傍聴に対してです。

 今日もこのニュースをBBCのニュースチャンネルで見ましたが、軍事政府の正当性を認めない立場の彼らは、未だにMyanmarではなくBurmaを使っています。ワシントン・ポスト紙などもそうです。
 (ビルマ語では両方とも同じ意味の言葉ではあるし、国民は特に意識していないという話もありますが、)こうしたきちんとした態度表明から始めることも大事な気がします。

 それにしても、本当に国際社会が今こそ何とかしないといけないのでは。
 ジェーン・バーキンが作った歌のように「アウンサンスーチーはもうすぐ亡くなり、よく売れるTシャツの絵柄になるだろう」なんて悲しい結果にならないように。

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