英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

英文法は分からなくて当然

2014年12月27日 21時28分28秒 | 英語
今日は、最近の記事でまだ書いていない”英文法”の話をしたいと思います。ちょっと刺激的な(!?)タイトルですが。

日本で普通に教育を受けてきた人は、少なくとも一度は英文法というものをやらされた経験があるはずです。最近では小学校でもやっているのかどうか知りませんが、一方ではコミュニケーション中心主義の裏返しとして古典的な文法学習に対する風当たりが強くなり、昔のような本格的な文法の授業はあまりなされていないとも聞きます。私は教育関係者ではありませんし子供もいないので正確には知りませんが。

で、学生時代に英語嫌いになる人について、ほとんどのケースでこの”文法”に対する嫌悪感が原因になっていると聞きます。私自身、回りの同級生を見ていても確かにそんな感じでした。彼らはとにかく”分からない”と言っていました。

中学・高校当時、いわゆる優等生として過ごしていた私には、彼らの言葉が理解できませんでした。私自身、英文法の授業で教わる内容を分からないと思った事は一度もありませんでしたから。”お前らの勉強が足りねーんだよ”と思っていました。しかし、今の私ならこう思います。”英文法が分からないとはっきり言える人はそこそこまともな頭の持ち主である”と。

私が今のように実用英語の勉強をするようになったのが20台半ばの頃ですが、当時改めて英文法を勉強し直そうとした時、初めて”分からない”と感じました。思い出すのが大変だったのではなく、理解できなかったのです。理系の院卒ですから、大学時代もずっと勉強していたので頭が錆びついていたわけではなかった筈ですし(文系でも勉強する人はするでしょうけど)、それなりに英語にも触れていました(文献読むから)。高校を卒業してから社会人になるまでの間もずっと頭を使っていたにも関わらず、もう一度英文法をしっかり復習しようと思った時、初めて”分からない”という感覚に襲われたのです。

この理由は今なら分かります。大学時代にとことん理系的思考力を鍛えられ、さらに、成人してオツムも幾ばくか大人になっていた私は、高校時代の私よりも論理的思考力では遥かに上を行くようになっていて、だからこそ、説明が必ずしも理路整然としていない”英文法”の世界が受け入れられなかったのです。高校時代の私は先生に教わるがままに、説明を受けた所だけそのまま暗記して、テストに出るところだけ正解して、それで分かったような気になっていた、”ウブな少年”(笑)だったのです。

そう思うと、高校時代に”英文法が分からない”と言っていた友人たちの頭って、結構まともだったんじゃないかと考えさせられてしまうのです。はっきりいって、高校時代の英文法のあの授業で本当に理解できるはずがないし(ちょっと失礼かもしれませんが)、もっと言うなら、英文法そのものが本当に論理的に完結した体系にはなっていない、それ自体が”総合理解不能な物”のように思えてなりません。そもそも言葉を完全に説明できる理論を構築するなんて不可能でしょうし、だからこそ”文法学者”がその改良を職業としてご飯を食べていけるのです。

もう少し細かく言うと、高校レベルではきちんと説明されていない・説明できないけれども大学以上の学問レベルではきちんと説明できる部分と(数学とか物理ではこういう部分があるのは皆さん御存じでしょうけど、実は英文法もそうなのです)、学問レベルであったとしてもトータルな説明ができる理論が確立されていない部分とがあるのですが(私も専門家じゃありませんが)、いずれにせよ、高校生や大衆向けレベルの英文法講義に対して、完全理解を目指して真向から立ち向かっても無駄なような気がします。

かといって、私は英文法不要論者ではありません。高校レベルでも大衆向けレベルでも、英文法は必要なものだという立場です。論理的思考能力が強すぎて”分からない”と言える人は格好いいですが、全く勉強せずに”分からない”と言う人は単なる怠け者だと思います。

理解困難な代物なのに必要だとか、こんな事言われてもよく分からないと思います。結局、実用英語をやる立場としては、英文法という代物をどのように考え、どのようにアプローチしていけば良いのか。長くなるので、次回の記事でこの辺の私見を述べたいと思います。












この記事についてブログを書く
« 教材を絞って英語体力の強化を | トップ | 英文法は出来の悪い地図 »