英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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天才って必要?

2010年06月20日 18時00分36秒 | 日記
私自身は、非常に優れた能力の持ち主を指す天才、秀才君の違いとして

天才=人為的に作れない存在
秀才=人為的に作れる存在

が本質的だと思います。もしこれが正しいとすると、ある分野の進展を天才
の出現に委ねる(期待する)のは間違いで、合理的な教育・育成システムを
構築することが遥かに重要なことだと思いますし、若き天才候補(まだ成果
は出していないが、それが期待できるほどの能力の持ち主)をあまりもては
やしてもいけないと思います。努力しているフツーの人達が元気をなくしてし
まいます。

何が言いたいかって?天才”的”人物をもてはやすような事より、もっと裾野
を広げるような教育体制・人材育成環境をしっかり作ることを、世の中的に
考えるべきではないか?という事です。天才なんて、出現してくれればラッキー、
くらいに考えておくべきではないでしょうか?そもそも本物の天才は作れない
んだし。

恵まれた環境に生まれ恵まれた教育を受けてきた早熟な天才候補(天才と
教育という言葉は矛盾していますが)は、放っておいてもある程度のことは
やるでしょう。そんな人たちをもてはやすのも結構ですが、多くのフツーの
人たちに、よりまともな教育、まともな人材育成環境を提供することを真剣
に考えた方が、全体の国力は上がります。天才の出現が偶然である以上、
政策として合理的に進められるのも、秀才を量産すること、の方なのでは
ないでしょうか?

個人レベルで言えば、昨今、教育レベルと親の財力レベルが比例しつつ
ある”教育格差問題”が取りざたされることが多いですが、これはある意味
自然な事です。そんな事は世界中どこでも、自然に起こっていることです。
こればかりは仕方ない。私なんかはそれよりも、”地域格差”を埋めるよう
な政策をどんどん進めてほしいですね。英才教育が受けれない田舎にも、
頭のいい奴は一杯います。

早熟の天才候補は見栄えは良いですし、大学の先生とか国のお偉いさん
がそういう人たちをもてはやしたがるのも分かります。楽しいですからね。
でも、もっと泥臭い、秀才量産政策もどんどんやってほしい。

なんか、ある種の選民思想に浸っているだけのような”天才発掘プロジェ
クト”の数々。あまり好きになれないなあ。あと、優れた能力の持ち主に
社会貢献というものを強く意識させるような教育もできればしてほしい。研
究者なんて往々にして、自分が好きなことばかりやりたがりますから。税金
を一円も使っていないのなら、それでも結構ですが。