ひさびさにノンビリできる週末なので、もう1つ書いちゃいます。
このブログではダイエットの話ばかりしていますが、そんな事ばかり考えている”軽薄な男”だと思わないで下さいね(笑)。そんな風にイメージされると嫌なので。
私の人生の中心は何と言っても”仕事”です。大きな目標もあり、理想も(あきれるほど)高く、当然、それに伴う実力はなかなか付かないので、日々、もがき苦しんでいる、そんな感じです。理想なんか捨ててしまえば楽になると思いますが、それをやっちゃうと、何もなくなってしまうというか、惰性の人生になってしまいそうなので。まあ、理想に向かって苦しめるだけ幸せだと思っています。
そんな人なので、以前は太っている外見とか、身なりの事なんかについては全くの無頓着で、汚い格好をしていても、格好悪くても全く平気な人でした。というか、一生懸命身なりを構う人を軽蔑さえしていました。なので、髪はボサボサ、ひげは伸び放題、ジーンズや靴は常に破れている、そして、デブ。そんな人でした。
が、ちょっとした事で”デブの醜さ”に気づかされ、いざ痩せてみるとこれがたまらなく嬉しくて、そうなると、当然お洒落もしたくなる。なんと言うか、自分が今まで知らなかった楽しみに目覚めてしまった、そんな感じなんですね。なので、今は、太っている人を見ると、”もったいないな”なんて、大きなお世話とも言える感情を抱いてしまいます。
悪い事ではないと思うんです。汚いよりは綺麗な方がいいに決まってますから。以前、「お洒落は自己満足」なんて事も書きましたが、綺麗な格好をして日常生活を気持ちよく送れれば、仕事でもなんでも、自信をもってやれるという事も分かりました。もちろん、汚い格好でも実力があれば”自信”は持てますが、なんと言うか、”もっと自信が持てる”ようになるとでもいいましょうか。
”こんなの自分には関係ない”、”俺には無縁の世界だ”と思っているような事は誰にでもあると思います。勉強一筋のガリ勉君はスポーツとか女の子とか、関係ないでしょうし、遊び中心の人は学業なんて異次元の話、なんて思っているでしょう。
でも、何が自分にとって重要か、あるいは、自分という人間はどういう人間なのか、なんてのは、ある意味勝手な思い込みというか、そんな価値観は大きく変わりえる、今回のダイエットを通じてそんな事が分かったような気がするのです。まさか、自分が身なりの事にこれほどにまで神経を使う人間になるとは夢にも思いませんでしたが、これが結構楽しいんですね。無論、やり過ぎはいけませんが。
実力さえあればいい?いやいや、実力があって美しい人は、なお良いではないか!という単純な事に気づきました。あ、もちろん、自分は”美しい人”までは行きませんけど。
偏った思い込みの価値観で自分という人間に型をはめてしまうこと、決め付けてしまう事は、もったいない事だと思うようになりました。無論、”性に合わない”事を無理してやる必要はありませんが、いま一歩、考え方を柔軟にして自分の世界を広げてみると、今まで知らなかった違うモノが得られて楽しくなる、という事もあるんじゃないかと。
自分の事ばかり話すのは恐縮ですが、私の場合、根っからの”協調性なし”人間なので(正確に言うと、”人を選ぶ”。気に入った人とは本当にうまくやれますが、嫌いな人とは口もきけない)、次は、チームプレーの楽しさでも追及してみますかね。そうすれば仕事の可能性も広がる事は、自分でも分かってるんです。でも、、、こればっかりは無理かなぁ。基本的には人間嫌いだから(これも決め付け?)。家庭を持つという事については前向きになりましたけどねぇ。
”自分探し”とはよく言われますが、”違う自分探し”をしてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。
このブログではダイエットの話ばかりしていますが、そんな事ばかり考えている”軽薄な男”だと思わないで下さいね(笑)。そんな風にイメージされると嫌なので。
私の人生の中心は何と言っても”仕事”です。大きな目標もあり、理想も(あきれるほど)高く、当然、それに伴う実力はなかなか付かないので、日々、もがき苦しんでいる、そんな感じです。理想なんか捨ててしまえば楽になると思いますが、それをやっちゃうと、何もなくなってしまうというか、惰性の人生になってしまいそうなので。まあ、理想に向かって苦しめるだけ幸せだと思っています。
そんな人なので、以前は太っている外見とか、身なりの事なんかについては全くの無頓着で、汚い格好をしていても、格好悪くても全く平気な人でした。というか、一生懸命身なりを構う人を軽蔑さえしていました。なので、髪はボサボサ、ひげは伸び放題、ジーンズや靴は常に破れている、そして、デブ。そんな人でした。
が、ちょっとした事で”デブの醜さ”に気づかされ、いざ痩せてみるとこれがたまらなく嬉しくて、そうなると、当然お洒落もしたくなる。なんと言うか、自分が今まで知らなかった楽しみに目覚めてしまった、そんな感じなんですね。なので、今は、太っている人を見ると、”もったいないな”なんて、大きなお世話とも言える感情を抱いてしまいます。
悪い事ではないと思うんです。汚いよりは綺麗な方がいいに決まってますから。以前、「お洒落は自己満足」なんて事も書きましたが、綺麗な格好をして日常生活を気持ちよく送れれば、仕事でもなんでも、自信をもってやれるという事も分かりました。もちろん、汚い格好でも実力があれば”自信”は持てますが、なんと言うか、”もっと自信が持てる”ようになるとでもいいましょうか。
”こんなの自分には関係ない”、”俺には無縁の世界だ”と思っているような事は誰にでもあると思います。勉強一筋のガリ勉君はスポーツとか女の子とか、関係ないでしょうし、遊び中心の人は学業なんて異次元の話、なんて思っているでしょう。
でも、何が自分にとって重要か、あるいは、自分という人間はどういう人間なのか、なんてのは、ある意味勝手な思い込みというか、そんな価値観は大きく変わりえる、今回のダイエットを通じてそんな事が分かったような気がするのです。まさか、自分が身なりの事にこれほどにまで神経を使う人間になるとは夢にも思いませんでしたが、これが結構楽しいんですね。無論、やり過ぎはいけませんが。
実力さえあればいい?いやいや、実力があって美しい人は、なお良いではないか!という単純な事に気づきました。あ、もちろん、自分は”美しい人”までは行きませんけど。
偏った思い込みの価値観で自分という人間に型をはめてしまうこと、決め付けてしまう事は、もったいない事だと思うようになりました。無論、”性に合わない”事を無理してやる必要はありませんが、いま一歩、考え方を柔軟にして自分の世界を広げてみると、今まで知らなかった違うモノが得られて楽しくなる、という事もあるんじゃないかと。
自分の事ばかり話すのは恐縮ですが、私の場合、根っからの”協調性なし”人間なので(正確に言うと、”人を選ぶ”。気に入った人とは本当にうまくやれますが、嫌いな人とは口もきけない)、次は、チームプレーの楽しさでも追及してみますかね。そうすれば仕事の可能性も広がる事は、自分でも分かってるんです。でも、、、こればっかりは無理かなぁ。基本的には人間嫌いだから(これも決め付け?)。家庭を持つという事については前向きになりましたけどねぇ。
”自分探し”とはよく言われますが、”違う自分探し”をしてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。