AI (ええ愛・Atelier Ichien)

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悪口を言われたとき 人の心に灯をともす 5505より 写真はMさんからいただいたプレゼントです(*☻-☻*...

2023年10月22日 | 
【悪口を言われたとき】5505



脳科学者、中野信子氏の心に響く言葉より…


裏切られた、騙(だま)された、ひどい悪口を言われた.........

誰かから与えられた傷は、 自分自身が失敗するよりもはるかに深いものになります。

こんなとき、意志の力で「早く忘れよう」とすれば するほど、「やっぱり忘れられない」という矛盾に苦しみます。

こうした対立では、必ず意志の力が負けるのです。


そんなときは、むしろその苦しみや傷と向き合ってしまいましょう。

そのひどい出来事自体を変えることはできませんが、それが自分にとってどんな意味があったのかという評価の部分はいくらでも変えることができます。

「最悪」という評価に終始するのか、それとも「たしかに傷ついたけれど、おかげで自分の甘い部分がわかった」と思えるのか。

評価を変えることで成長し、その後、同じような目には遭わなくなるかもしれません。


だから、忘れようとするよりも、それを反芻して思い出せるようにしておくことのほうが、実は大事なのです。

もちろん、いうほど簡単なことではありませんから周囲の力も借りましょう。

友だちに話を聞いてもらうなど、言語化することでずいぶん楽になるはずです



《人間関係の傷を癒やすには、無理に忘れようとしないこと》


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何か嫌なことが起きた場合、「それは何の意味があるのか」と考えてみる。

たとえば、知り合いから、〇〇さんがあなたに対して「ひどい悪口を言っているよ」と聞かされたとき。

「嫉妬の対象になっているんだな、これも自分のステージが一つあがったということ。ありがたい。」

と視点を変える。



また、釈迦のこんな話がある。


『あるとき、釈迦はひとりのバラモンからさんざんに罵詈雑言をあびせかけられた。

わたしたちは、釈迦は偉い人であって、他人から非難されるようなことはなかった、と思っている。

しかし、それは誤解である。

釈迦のような人でも、ときには非難攻撃を受けるのだ。

だから、わたしたちが他人から非難攻撃されたとき、その故をもって悲観してはいけない。

どんな人だって、他人から悪口を言われ、攻撃されるのだということを、しっかり銘記しておきたい。

問題は、その非難攻撃に対する、こちらの応じ方である。

釈迦は、罵詈雑言をあびせるバラモンに向って、こう言った。

「バラモンよ、きみのところに客がやって来て、きみがその客に食べ物を出す。しかし、その客がその食べ物を受けなければ、その食べ物は誰のものになるか…」

「そりゃあ、もちろん、客人が食事を受けなければ、その食事は主人のものになる」

「では、バラモンよ、わたしはきみの罵詈雑言を受けない。だから、その悪口はきみのものだ」(捨てちゃえ、捨てちゃえ/ひろさちや・PHP研究所)



脳は、主語を理解できないと言われる。

他人に言った言葉は、すべて自分のこととしてとらえてしまうということ。

他人に言ったつもりの悪口も、自分に対して言っているのと同じことになる。

つまり、釈迦のいう通り、悪口を受け取らないと、悪口を言った本人のものになる。


だから、悪口を言われたとき…

「ああ、自分(言った本人)のことを言っているんだな。かわいそうに」と、視点を変える。

そして、そこに、どんな意味があるのかを考えることができる人でありたい。







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