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小島教育研究所

教育関連ブログです。数学を筆頭に学問全般に渡る有用な情報を提供致します。
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歌舞伎(豆知識)。古文との関係。「かぶき」の語源について。

2012-12-07 | 学習一般
「歌舞伎」の語源について。
「かぶき」は「かぶく」=「傾く」から来ている。
「かぶく」とは趣味、趣向に偏りがあることをいう。
服装その他、行動様式にどこか奇異なところがあるものを、「かぶき者」といった。
江戸時代の、出雲阿国(いずものおくに)が有名であるが、聴衆の中には、いわゆる「グルーピー、追っかけ」が多く、江戸幕府も度々禁止令をだすなど取締りを強化した。そのため、女人禁制(女優ではなく)とされると、女形を案出し、禁止をかいくぐるなど、窮余の策もとられたという。
「うつけもの」として知られた織田信長に仕えた前田犬千代(後の利家)も若い頃は「かぶき者」として相当有名であった。
若者が、歌舞音曲にうつつを抜かすと、家業が「傾く」といって、「かぶき」を嫌う大人は多かった。

 なお絶世の美人を「傾国」というのも、同じ文脈で、「美人にうつつを抜かすと、国が傾いてしまう。」と言うことです。


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中村勘三郎さんの死を悼む。ここ名古屋との関わり、その他について。

2012-12-06 | 日記
勘三郎さんの襲名披露を初代勘三郎の出身地(中村区)にちなんで、同朋高校で行ったとNHKで紹介されていた。実は、それ以前に、勘三郎さんがまだ中村勘九郎であった当時、高校生への歌舞伎紹介の企画で、御園座にて「歌舞伎の実演と、その解説」をしてくださっている。その恩恵に浴したのは、当時はまだ女子高だった、東海学園高校だった。分かりやすい解説で、以来歌舞伎ファン、勘九郎ファンになった生徒が多いと聞く。御園座の先代の故長谷川社長の粋な取り計らいで実現した企画だった。
民放のお正月時代劇で秀吉を演じたとき、その滑らかな名古屋弁に舌を巻いた記憶がる。彼の、出自を忘れず、お客様を大切にする姿勢を見る思いがした。
 彼の訃報に接し、多くの方々が、「歌舞伎界の大きな損失」と捉えていることが良く分かる。
 その昔、フジテレビに「スター千夜一夜」という番組があった。その中で、当時小学生だった、勘九郎さんの出演を拝見した記憶がある。インタビュアーは石坂浩二さんだったかと思う。利発な受け答えで、人をそらさぬ人だなと感心した。それは彼が長じても変わらぬ姿勢だった。
 歌舞伎界に常に新風をもたらしてきたのは、市川猿翁、松本幸四郎、そして中村勘三郎のお三方とお見受けする。「スーパー歌舞伎の猿之助」「ミュージカルの染五郎」「平成中村座の勘三郎」
 猿翁、幸四郎、勘三郎の三人の中で、一番若い勘三郎さんが先陣を切って逝ってしまったのが、悲しい、寂しい。

 

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サッカー中山(ゴン)氏引退。寂しい限りだ。

2012-12-05 | 日記
Jリーグ草創から、サッカー界を牽引してきたジュビロ磐田の中山氏が引退を表明。
見上げたプロ根性ーだったと思います。彼なら、サッカーの発展に、今後もますます尽力してくれることでしょう。ひとまず、ご苦労様でした。

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歌舞伎役者、中村勘三郎氏逝去。まだまだ、これからだったのに・・・・。

2012-12-05 | 日記
暫く闘病生活が続いていた、勘三郎さん(我々にとっては勘九郎さんの方が馴染み深いが)とうとう、亡くなってしまった。残念でならない。
これから益々芸を磨いて下さると思っていた。ご冥福をお祈りいたします。

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愛犬、「飛々」(フェイフェイと呼びます。)17才の誕生目前になくなる。

2012-12-03 | 日記
我が家の愛犬「飛々」がなくなった。
とても寂しい。葬式を済ませた。いつもお世話になっている、お寺の安寿さんとお話しをした。人と人との縁は不思議なものだと思った。なんと、安寿さんのお孫さんを教えていたのです。お孫さんは大学院に学んでいるとのこと。中学高校で私から数学を学んだという。そのお寺さんの前住職は今年が13回忌。お寺さんとも、動物が縁で、かれこれ18年のお付き合いです。前住職は医師の資格をお持ちで、実際ご実家は、名古屋の中区の立派な医院だった。思うところあって、仏教を学びなおされたという。ご実家は、故林霊法先生の檀家総代を務めて見えた関係で、霊法先生のお弟子さんになられた。
そのお寺さんと我々の接点は、まさに霊法先生だった。その住職のお孫さんが、私の教え子とは、まさにご縁とは、こうゆうことを言うのだと感じた次第です。
帰りに、その安寿さんは前住職の形見として残された、湯飲み(志野)を1つ下さった。有難いことでした。

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