もうかれこれ10年前のこと、2002年の4月であった。東海銀行の今池支店での出来事。
年のころは80歳ちかいご婦人が、窓口で、「わたしゃ、横文字の銀行に金を預けた覚えは無い。全額下ろしてくれ。今すぐに。」とえらい剣幕で行員に詰め寄っている。
丁度、東海銀行が三和銀行と合併した直後の時期、顧客であるご婦人が預金を全額下ろすと言い出したのだった。すぐに支店長代理、支店長と窓口に来て、社名変更の経緯とかを丁寧に説明しだしたが、ご婦人はどこまでも「横文字の銀行に金なんか預けたつもりは無い。全額返してくれ。」と迫っている。埒があかぬと考えたのか、別室にご婦人を通した。目撃したのはそこまでであった。
東海銀行の熱烈なファンであるそのご婦人にとって、UFJ等と意味不明の銀行は許せなかったのだろう。後味の悪さを残して、私は銀行をさった。
この件には、自分も図らずも責任の一般があった。
その件にさかのぼること、さらに20年前のこと。
私に一本の電話が入った。馴染みのO君からだった。当時彼は旧大蔵省の官僚であった。(係長クラスであった。)ひとしきり景気の話とかのあと、彼は声を改めて、
「実は、今日電話したのは、ほかでもないんだが、銀行の再編計画を作成するよう上司から課題を与えられたんだ。都銀を中心に再編案を出せといわれている。締め切りが近いが、利害の無い君に一つ協力願いたい。」
「具体案を作成しろということか。」
「うん、出来れば2,3行づつの系列化から合併までを視野に入れたものが必要なんだ。」
「君の立場で、銀行マンに直接話を聴くことは出来ないだろうから、こちらで金融関係の何人かに、それとなく当たってみるよ。」
「いつも、済まない。」
「いつものことだね。そんなに気にするなよ。」
「悪いな。」
「じゃあ」
それから、数日のうちに私は「原案」を作成した。
三菱銀行、東京銀行、東海銀行の3銀行をグループとする案を提案しようとしたが、三菱銀行関係者より、「東海」の名を新銀行に残したくないといった要望がある旨を伝えた。
すると、O君は、「了解、それぐらいのことは造作さいさ。色々有難う。」
金融ビッグバンの議論が華やかりし頃の話で、すかり忘れていた。
大蔵官僚の打った手は、東京、三菱銀行の合併。三和、東海銀行の合併でUFJ銀行。その後、それをうけて、三菱東京UFJ銀行の誕生。見事に「東海」の名が無くなった。
あのご婦人に、侘びをせねばならないのは、他ならぬこの私だった。
翻って、「東海学園」が「UFJ学園」になることは、・・・・無いですよね?!
年のころは80歳ちかいご婦人が、窓口で、「わたしゃ、横文字の銀行に金を預けた覚えは無い。全額下ろしてくれ。今すぐに。」とえらい剣幕で行員に詰め寄っている。
丁度、東海銀行が三和銀行と合併した直後の時期、顧客であるご婦人が預金を全額下ろすと言い出したのだった。すぐに支店長代理、支店長と窓口に来て、社名変更の経緯とかを丁寧に説明しだしたが、ご婦人はどこまでも「横文字の銀行に金なんか預けたつもりは無い。全額返してくれ。」と迫っている。埒があかぬと考えたのか、別室にご婦人を通した。目撃したのはそこまでであった。
東海銀行の熱烈なファンであるそのご婦人にとって、UFJ等と意味不明の銀行は許せなかったのだろう。後味の悪さを残して、私は銀行をさった。
この件には、自分も図らずも責任の一般があった。
その件にさかのぼること、さらに20年前のこと。
私に一本の電話が入った。馴染みのO君からだった。当時彼は旧大蔵省の官僚であった。(係長クラスであった。)ひとしきり景気の話とかのあと、彼は声を改めて、
「実は、今日電話したのは、ほかでもないんだが、銀行の再編計画を作成するよう上司から課題を与えられたんだ。都銀を中心に再編案を出せといわれている。締め切りが近いが、利害の無い君に一つ協力願いたい。」
「具体案を作成しろということか。」
「うん、出来れば2,3行づつの系列化から合併までを視野に入れたものが必要なんだ。」
「君の立場で、銀行マンに直接話を聴くことは出来ないだろうから、こちらで金融関係の何人かに、それとなく当たってみるよ。」
「いつも、済まない。」
「いつものことだね。そんなに気にするなよ。」
「悪いな。」
「じゃあ」
それから、数日のうちに私は「原案」を作成した。
三菱銀行、東京銀行、東海銀行の3銀行をグループとする案を提案しようとしたが、三菱銀行関係者より、「東海」の名を新銀行に残したくないといった要望がある旨を伝えた。
すると、O君は、「了解、それぐらいのことは造作さいさ。色々有難う。」
金融ビッグバンの議論が華やかりし頃の話で、すかり忘れていた。
大蔵官僚の打った手は、東京、三菱銀行の合併。三和、東海銀行の合併でUFJ銀行。その後、それをうけて、三菱東京UFJ銀行の誕生。見事に「東海」の名が無くなった。
あのご婦人に、侘びをせねばならないのは、他ならぬこの私だった。
翻って、「東海学園」が「UFJ学園」になることは、・・・・無いですよね?!