教訓:添付ファイルの印刷はダウンロードしてから行う事。
教訓:添付ファイルの印刷はダウンロードしてから行う事。
しかし、スマホのテザリングサービスに申し込めば、月額500円プラス消費税で手持ちのPCをインターネットに接続可能にとなる。手持ちのスマホをルータにし、最大6台のインターネット接続を可能とする。
設定はいたって簡単で、スマホ、PCそれぞれでインターネット共有をさせれば良い。かつては、eモバイル契約が必要だったが、今やそれも不要となった。スマホはインターネットに繋がっているので、スマホをルータ化すれば良いことは直ぐに分かるが、見事な発想の転換だ。
テザリングサービスは学生の必須アイテムとなるだろう。
その強さの秘密は、学習理論(Learning theory)にある事をご存知だろうか?
その理論的と言うか、数学的背景にあるのが、再生核理論だ。
機械学習理論に支えられて、サポートベクターマシーン的なシステムが出来上がったと言える。
一般に高次元データの解析には、かつては主成分分析などの統計的な手段が用いられて来た。
それが、ここ20年ほどの間にそれまでのデータ分析とは逆向きの方向で問題を解決する道筋が誕生した。
一般に、困難は分割せよ、困難は場合は、次元をさげよ。これが定番だった。しかし、代数幾何で議論される特異点解消プログラムでは、こんな時、逆方向に議論を進める。議論に窮したら、次元を上げよ。特異点は次元を上げる事によって、解消される。正に、ブローアップすることによって特異点は解消されるのだ。データ分析をする場合の臨界条件をブローアップする事によって見つけようとするところに、発想の逆転があるのだ。
この分野ではMITと東工大が抜きん出た研究成果を上げている。近年になり東大その他でも研究者が増えた。
Googleその他は、こうした学習理論を活用してAIを実用化しているのだ。
学習理論はまだまだ発展途上の分野だ。多くの若き俊英の参加を望みたい。
ロータス社がIBMに吸収合併され、グループウェアのロータスノーツとして、IBM製品にバンドルされて久しい。
そのロータスノーツも現在ではIBMノーツと表記されるようになり、表舞台からロータスの名前は消え去った。
その昔、マルチプランやエクセルでも叶わなかったロータス123の市場占有率。
Microsoftの取った戦略は、データーの互換性だった。
マルチプラン、エクセルはロータス123のフィルをそのまま読み込むことが出来た。計算式も変更不要でそのまま使用出来た。ロータス社がIBMに吸収合併された後、一般市場からロータス123は姿を消した。IBM製品ユーザーには、ロータスノーツとして永らく愛用されてきた。そのロータスノーツの名称も今やIBMノーツに変更された。もう4年前から、ロータスの名は使用されていない。一抹の淋しさを感ずるのは筆者だけではないだろう。
エクセルをお使いの方、計算式の入力時に=@sumと@記号を関数名の前に入力してみて下さい。この入力方法はロータス123の標準的な入力方法でした。現在でもエクセルではロータス123形式の関数入力はアクティブです。一度お試し下さい。
蛇足ながら、現在のエクセルはマルチプランをベースに作られており、上位互換性が保たれています。
マルチプランから早、30年以上。厚化粧に厚化粧を重ねて現在のエクセルが作られています。今は少数派のマルチプランユーザーからすると、エクセルは最早迷宮の森。自分の使い勝手の良い機能のみ選択できる、エクセルライトの製品化を心待ちにする今日この頃です。
スクールに通学することもなく、関連書籍を何冊か用意し、隙間時間を活用して準備をする。
試験は、
午前9:30〜12:00 全80問
午後13:00〜15:30 全13問中から7題解答。内、第1問と第8問は必修。第2問〜第7問から4題選択。第9問〜第13問から1題選択。
午前はゆったりと解答しても、時間的余裕はタップリとある。
過去問をどれだけ真剣にやるかに尽きる。
午後はひたすら時間との競争。
初めの5分で全体のテーマを確認する。
その上で、解答順を次のように決定する。
第1問、第8問、第2問、第3問、第4問、第5問、第9問。
第1問、これは標準。
第8問、擬似言語によるアルゴリズムの問題。最短経路を探査する問題だが、ロジックが今一度しっくりこない。
ひとまず、15分で一旦切り上げる。
第2問〜第5問は予定通り、順調にこなす。
SQLでは定番のSELECT文がなく、表の列の削除と追加をCREATE文で行う作業が問われた。
第9問、C言語。一番最後の部分のロジックが解析出来ていない。
最後に、再度第2問に戻り、再挑戦。最短路は距離13。経路も目視出来る。それをどんなロジック、アルゴリズムで解くかがテーマの問題。今回の最難問か?
時計は、腕時計のみ使用可能であったが、時計なしでの受験となった。
途中退出時刻を試験監督官が知らせるので、おおよその時間は分かる。
会場のHALは以前、1985年今の駿台名古屋校の建物を建設して、開校。
開校時、エントランスがまるでホテルのようだと評判だった。
その後、HALは立派に成長した。
今回、現在のHALの内部を初めて拝見出来たが、中々機能的なビルだった。
32年前とは異なり、現在はHAL+ISEN(医専)となり、活躍のフィールドを拡げた。
長々と続けたが、結果は合格だった。(解答が既にIPAのホームページに掲載されている。)
正式な合格発表はまだ先だ。秋実施の応用情報もこの調子で頑張ろう。
現役を退いて早15年。SQLもC言語も最近は使わなくなって久しいが、コアはしっかりと覚えている。
何とか過去の貯金でここまで順調に合格を重ねることができた。
1982年創業。2010年、データベースで著名なオラクルに吸収合併された。
社名はStanford Uiversity Networkの頭文字のSUNによる。太陽ではありません。念のため。大学院で学ぶ学生たちが、大学内のネットワークに繋いで使うワークステーションを自ら作成した。それを事業化して誕生したのが、サンマイクロシステムズだった。ネットワーク、特にUNIX系のネットワークでは端末として多いに売れた。スーパーエンジニアであるビル・ジョイを16番目の社員として向か入れた。ビルはUCLAバークレー分校で、バークレー版のUNIXを既に開発していた。UNIXの標準エディタのvi、ネットワークファイルシステムであるNFS、機種依存性が低いJavaなど今につながる多くの技術を作成した。UNIXウィザードの面目躍如だ。かつて、社でSUN-3購入間もない頃、一人SUN-3を深夜に、分解して部品構成を調べた。基盤に載っている大半の、99.9%の部品は日本製だった。しかも、メーカーはTOSHIBA一社だった。因みに、ディスプレイはナショナル、現パナソニック製だった。それからしばらくして、日本サンマイクロシステムズ社が設立された。初代社長は東芝の天羽(あもう)さんだった。
昨今若干世間をお騒がせしている東芝。日本のエクセレントカンパニーの代表格である東芝が部品面で多いに協力した。日本サンマイクロシステムズ・ユーザーズグループの立ち上げ時、その設立総会が東京で開催された。ビルの来日講演も企画されており、参加した。懇親会の席で、ビルを紹介された。さりげなくSUNの構成部品の大半が日本製であることにふれた。何か、それなりの訳が有るのかと聞いた。ビルは、ニッコリ笑いながら「我々は、最高の製品をユーザーに届けたい。現状でベストな選択が東芝の部品だ。もし、仮にGEが東芝以上に故障率の低い製品を開発販売するならば、その時はそれを採用するだろう。どこの国かに拘らず、我々は常にベストな部品を採用し、最高の製品をこれからも市場に出し続けるだろう。」と静かな語り口の中にも力強い意志を感じさせる物腰だった。SUN-3はモトローラー系のCPUを採用していた。日本でも、シャープが同じCPUを採用しGUIのX6800シリーズをすでに市場に集荷していた。ビルは結構日本贔屓なところがあり、自身の名前も漢字で、「美流上位」と書くほどだった。(背中に大きく美流上位と書いた半被が彼のお気に入りアイテムだった。)
1982年以降、1990年代半ばまでユニックス分野では、サンマイクロシステムズの独壇場だった。従業員も9万人を超えるまでに成長した。CEOのスコット・マクネリーは雑誌フォーブスの表紙を飾ったこともある。最高の株価は1株60ドル超を2000年に記録する。
死角が全くないのかと思えるほど、ワークステーションは売れに売れた。しかし、PCの追い上げとビジネス分野での受注減が徐々にボディーブローとして、聞き始めた。2005年1月、ビル・ジョイはサンマイクロシステムズ社を退社した。2009年IBMとの合併話が流れた。翌年、2010年にはデータベースベンダーの老舗、オラクルに吸収合併された。
ユニックス、ワークステーションではX-windows(MIT)が業界標準であるが、SUN-VIEWも使いやすいウィンドウシステムだった。
ビル・ジョイの作成したものでは、やはりC-shellが有名だ。コンピュータシーンではUNIX普及の立役者はこのサンマイクロシステムズをおいて他にない。日本では、ソニーのNews(ネットワーク・エンジニアリング・ワークステーション)がスーパーマイクロ事業部で設計開発された。多くの技術者に愛され続けたサンマイクロシステムズ社は、オープンソフトを標榜する企業としても有名だった。企業体質はマイクロソフトと真逆であるという。
現在はベンチャーキャピタルとして、多くのIT企業の発掘に忙しいビル・ジョイ。彼にはもう一度コンピュータ分野での活躍を願っている。
ある時点までは、PC用のソフトを携帯端末でも利用できるように、ソフトを書き換える事はあった。しかし、現在では、新規にソフトを開発する場合には、モバイル版を先に開発するようになったことを示す言葉が、このモバイルファーストである。時代も変わった。
両社とも、せれぞれミニコンピューター、ワークステーションのトップメーカーとして永く世界市場に君臨していた。誰もがその存続を疑わなかった。大学時代、専門課程のコンピュータ実習はDECのPDP-11だった。Microsoftのビルゲーツ君がハイスクール時代にはPDP-9でアルバイトをしたと言う。かのアスキー本社では同じく、DECのVAX-11 780が社内業務に使用されていた。蛇足ながら、アスキーがUNIXマガジンを創刊したとき、価格を決める段になって、780円になったのは、このVAXの780が決め手になったという。そうした由緒あるDECのフラッグシップDEC-10も、1990年には、お払い箱となり、カーネギーメロン大学の倉庫に打ち捨てられていた。DECもヤバイなーと感じた次第。案の定、それから7年後の1997年にはコンパックに吸収合併された。更に2002年には、そのコンパックが事もあろうに、ミニコン界の万年二位のHP(ヒューレットパッカード)に吸収されてしまった。子亀が親亀を飲み込んだ形だ。
PDPシリーズのユーザーは多く、AT&TのBell研究所ではケン・トンプソン、デニス・リッチーらによりB言語、C言語並びに、UNIXなどが開発された。そうした観点からすると、DECは現在のコンピュータの原型を育んだ有力な企業であった事が分かる。DEC創業者である、ケン・オルセンは1万ドルコンピュータの実現を目指し、それを達成した。1ドル=360円の固定相場制の時代の到来。IBMの汎用大型機の月額リース代金が2千万円~5千万円の時代に、買い取りで1台500万円を切る値段でコンピュータが購入できるようになった。因みに、PDP-11のお値段は本体が3000万円であったと記憶する。計算機実習はとても魅惑的で、中西助教授が移植されたLisp(ver1.5)を使ってのプログラミングはスリリングであった。8-queen問題は短めなプログラムにかかわらず綺麗に解を見つけてくれたときは、思わず感動した。
DECは最盛期に社員数15万人(全世界)日本法人である日本DEC(本社池袋サンシャイン60内)は従業員数約2000名であった。全世界2000近くのDEC支社は、所謂DEC-netで相互に結ばれていた。顧客へのシステム構成の提案・見積もりはこの分散処理のDEC-netによって迅速に行われた。サーバー・クライアントモデルの原型とも言えるこのDEC-netにより、DECは巨人IBMを急追した。しかし、インテルのマイクロプロセッサー(CPU)の誕生とそれを使用したPCの普及とそのハイエンドモデルの出現が、DECを足下から崩壊させた。AI(人工知能)分野でも大いに時代をリードした。例えば、近鉄のダイヤ管理システムでは、事故などの影響からダイヤを復旧させる作業にDECの協力を得た。AIを駆使し、30分から2時間以内にダイヤを見事復旧してみせた。また法律部門でも過去の判例を記憶し、事案を入力すると対応する判例、法的根拠を提示するシステムが実用化された。こうしたシステムを開発する分野をナレッジ・エンジニアリングと称し。その分野の人材の育成に少なからず貢献した。
地元、中京大学の図書館管理システムは、DEC+munpus(丸善)により、100万冊近い蔵書を効率よく管理していた。
今回はDECのみとし、サンマイクロシステムズに関しては次回といたします。
それはそれで良いのですが、OSのバージョンをアップすると逆に不具合の出ることもあります。
OSも長く使用されるうちに、所謂バグがとれて、動作が安定することがあります。例えば、windowsでも、XP
から次のビスタへのバージョンアップの時期、筆者はあえてバージョンアップ前のXPを搭載したノートパソコンを購入しました。実際ビスタには初期に問題が多発し、処理スピードの低下を含め、クレームの嵐だったように記憶します。そこを十分分かって、技術的に枯れたXP搭載機を選んで正解だったように思います。
このことは、スマホについても言えることです。現在も筆者はiphone4sを愛用しています。スティーブ・ジョブズが開発に携わった最後の機種であることもありますが、幾度のOSのバージョンアップにもかかわらず一度もバージョンアップをしていないので、いまだに快調にサクサクと仕事をこなしてくれています。これがもしバージョンアップをしていれば、処理が重くなり、新機種に変えようと決断していたに違いない。OSのバージョンアップをしないディメリットとバージョンアップをすることによるメリットを天秤にかけると、バージョンアップをしないことによるメリットが遙かに大きいと思うのは私だけだろうか。セキュリティーまで考慮はに入れているわけではないので、即断は出来ません。しかし、このまま暫くiphone4sを使用し続け、新たにipad等を導入しようかと、検討する日々です。