おれは、土門拳になる。第2章 写真家増浦行仁公式ブログ

写真家<増浦行仁>のオフィシャルブログ。
志を追い続けた増浦が「夢を追う」こととは何かを本音で語る。

齋藤洋介会長とひまわり

2016年08月04日 | 日記--感じたことなど
去る5月10日 ワールド通商株式会社の齋藤洋介会長がお亡くなりになった。訃報が届いたのはその日の夜。iPhoneに写し出された哀しい文字を見ながら、溢れる思いがこみ上げて来た。

2011年から3年間、僕はフランク・ミュラーの日本輸入総代理店であるワールド通商から支援を受けていた。契約期間が過ぎてからも、齋藤会長は何かと気にかけてくださり、親しくお付き合いさせて頂いた。会長室にも度々お邪魔し、大好きな時計のことをいろいろ教えて頂いた。その一時が本当に楽しかった。
そんな会長が深刻な病と知ったのは去年のことだった。かねてより、伊勢神宮と出雲大社への参拝をお誘いしていたのだが、ご体調が優れないとのことで延ばし延ばしになっていた。元気になったら必ず一緒にお参りしましょう、と約束をし、ご回復されるのをずっと待っていたのだ。今年に入ってからは、一層症状が重くなり、誰からのお見舞いもお断りになっていた。僕は、一目でもお会いしたいと思い、スタッフの方に無理をお願いし、特別にお時間を頂いた。僕は不覚にも足を骨折し松葉杖のお世話になっていたのだが、急遽大阪から東京に飛んだ。病の床でも会長は、変わらぬ優しい笑顔で僕を迎えてくださった。
それがお会いした最後となった。



お見舞いの後、病室に飾るお花の写真を額装し、いくつか送ることにした。病室で花見が出来るようにと桜の写真も数枚送った。それが写真家としての僕が出来る精一杯のことだった。会長は、花々の写真を大層喜ばれ、中でも「ひまわりが好きだ」と言われたそうだ。
7月5日に帝国ホテルで開かれた「齋藤洋介の功績を振り返る会」では、会長のご遺影の周りはひまわりの花で埋め尽くされていた。
会長には感謝の言葉以外は思い浮かばない。お世話になるばかりで何もご恩返しが出来なかった。せめて、伊勢神宮と出雲大社をご案内したかった。それが今も心残りだ。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

僕はこれからもフランク・ミュラーを身につけ、ライカで撮影に臨む。たとえ嫌みな奴と思われても・・・