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ランスのドーピング問題について(長文)

2013-04-20 00:35:06 | その他部品調査
ランスのドーピング問題。

よくメディアで書かれるのが、

「ズルは許されない」
「卑劣な組織ぐるみのドーピング」
「彼の行為は自転車競技の価値を貶めるものだ」

…とかでしょうか?


でもね、なんか違和感があるんですよ。
ランスのドーピングは、もちろん「ルール違反」ですが、世間で、一般の人に、そこまで断罪されるものでしょうか?
チョット危険なエンジニア視点も絡めて、考えてみました。

長文ですので、お付き合いできる方だけ、読んでくださいな。

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まず、ドーピング問題を語るに、ポイントは、以下だと思っています。

・何故、ドーピングは禁止なのか?
・何故、選手はドーピングをするのか?
・何故、ドーピングをした選手は、失格となるのか?
・何故、ドーピング違反は世間から非難されるのか?


まず、「何故、ドーピングが禁止なのか?」という話。

言わずもがな、過剰なドーピング(又はそうと思われる理由)により、競技中や競技外での選手の死が、散発しているからです。
選手の「命」を守るためにも、ドーピングは禁止されています。

一方で、スポーツは、特にプロロードレースは、スポンサーからの広告収入をベースとして、チーム、主催者とも運営していますから、マイナスイメージとなる選手の死はタブーです。


つまり、ドーピング禁止は、人道的な理由だけでなく、興行的な意味からも、「選手の生命を守る」為に制定されています。



次に、「何故、選手はドーピングをするのか?」です。

「速くなりたいから」。当たり前ですね。
でも、速くなりたいと願っているのは、選手だけでしょうか?

プロロードレースは、チームスタッフ、フレームメーカ、コンポメーカを含めた、一つの「チーム」による競技です。
「ツールで優勝!」なんて、選手にとってはステータスで、チームにとっては新たなスポンサーを得るチャンスになり、機材メーカーにとっては、格好の宣伝文句になりますよね。


つまり、選手もスタッフもメーカーも、速くなりたいと思っているのです。


そんな「チーム」のなかでは、個々の役割が明確に決まっています。
選手は、エースとアシスト、スタッフは、監督とメカニックとか、メーカーでは、フレーム開発と実験部隊なんかでしょうか。

エースは、最後に勝利という「結果」を出す事が、チームの中での「仕事」です。例え、自分が強かろうが、弱かろうが。


エースである人が弱かった場合、責任感の強いエースなら自発的にドーピングするかもしれないし、チーム存続の危機にあるチームの責任者ならば、組織ぐるみでドーピングを選択するやもしれません。
長い月日をかけてフレーム開発に勤しみ、結果をそのエースに託すしかないエンジニアからすれば、不甲斐ないエースに対し、「勝てないなら、ドーピングぐらいしろよ」とか、思ってしまうかもしれません。


つまり、選手のドーピングとは、その選手の「自己顕示欲」の為だけにするとは限らないということです。



次は、「何故、ドーピングをした選手は、失格になるのか?」です。


実は、機材メーカー側も、選手(チーム)を勝たせる為には、ドーピングと同質の「ルール違反」をするやもしれません。
「車両規定違反」です。

例えば、自転車の重量は6.8kg以上と定められていますが、バレない方法で5kgの自転車に乗れば、選手の勝てる確率は上がります。
もちろん、バレた場合は、失格になりますが、選手が責められないばかりか、フレームメーカーが、「永久追放」となることもないでしょう。
何故なら、フレームメーカーも、ある意味、競技を支えるスポンサー側だからです。


ランスは「永久追放」になりましたが、UCIを始めとする自転車競技界にとっては、彼は「必要ない存在」だからという理解もできます。
ランスが居なくても(むしろ居ない方が?)、ツールは盛り上がるでしょう。
そして、更なるドーピング違反をさせない為には、長年ドーピングを巧妙に隠蔽してきたランスを吊るし上げることで、強力なドーピング検査機能がある事を知らしめる事が、必要なんだと思います。
「ランスは失格、そして永久追放」とのスケープゴートとなるのは、当然でしょう。


…でもね、フェアじゃないと思うのは、例えば、意図的に車両規定違反をしたメーカは、永久追放にしない事なんですよ。


確かに、メーカは、自転車競技を支えるのに必要な存在であります。永久追放なんかにしたら、自転車フレーム界から、総スカンを食らう可能性だってあります。
だから、車両の違反が出走前に分かれば、出走できないだけで、後で分かっても、車検に不備があったとの主催者側の落ち度にもなりかねないので、知らんぷりでしょう。


ルールは、運営側の都合で決まるもんです。だから、フェアであってもなくても、選手やチームや、ましてやファンなんかに、とやかく言われる筋合いはありません。
「このルールがイヤなら、出なけりゃいい、見なけりゃいい」、ごもっともです。

だけども、少なくとも、自転車競技のファンは、その「主催者側のご都合主義の、アンフェアなルール解釈」によって、選手は簡単に失格になることを、意識しておく必要はあると思うんですよ。



次は、「何故、ドーピング違反は世間から非難されるのか?」です。


今や、深掘りすることのない情報だけを垂れ流す情報源(理解力のないメディアや、つぶやきからの発信など)が多い社会な中では、主催者側からのリリースが、マジョリティな意見としてとられがちになっています。
でも、主催者サイドに苦言を呈することで、取材を締め出される覚悟のあるメディアだって少しは存在しており、マジョリティな意見が、必ずしも事実ではない場合もあります。

例えば、冒頭のランス批判のコメントは、事実ではありますが、正しくはありませんよね。あれは、メディアコントロールを意識した、主催者発表に端を発するもので、一方的な見解なんですよ。
「ランスはドーピングをした。そして、ルールに従い、失格になった」。それ以上でも以下でもなく、一方的に「詐欺師呼ばわり」や、「人格否定」されるもんではないと思っています。


一般人がどんなドーピングをしても、ツールには勝てないように、ランスや、ヨハン・ブリュイネル(チーム監督)だって、ツールで勝つ為に、其れ相応の全うな努力はしていて、それは否定されるものではありません。
ただ、足りない所を補う為か、完璧を期す為かは分かりませんが、速さを求める選択肢の中で、機材に拘るのと同義で、選手強化の手法の一つとして、ドーピングの選択に至ったと思うんです。


ご存知の通り、フェスティナ事件の前は、ドーピングに対する意識は今と異なっており、「ビタミン剤を飲む感覚」でドーピングが行われていたとね話もあります。
「ドーピング」の言葉自体浸透しておらず、知識レベルとして、チームドクター任せの選手がビタミン注射とドーピングを、今ほど、しっかりとした考えが持てない状況でもあったと思います。

ドーピングのマスキング技術が上がり、その対策として検査技術も向上した結果、過去の違反が分かるようになったからって、今更、過去の違反に遡って処分をするのは、正しいかもしれないけど、破廉恥ですね。
「自転車競技の価値を貶めたと非難されるのは、ランスの方ではなく、UCIの方なのでは?」と私は思っています。(だからって、ランスの肩を持つ訳でもありません)


要するに、「主催者に端を発する報道に煽動されて、ランス批判をするのは、選手やチームだけが悪いとする、主催者側の思うツボですよ」と言いたいのです。
良いか悪いかは、ご自分で判断されればいいかと。



私は、UCIが嫌いです。

工学の発達や、薬学の発達を望む者からすれば、スポーツ(競技)は、未だに恰好の「実験場」です。
「制限がなきゃ、危険な程軽いバイクを作ってくるんでしょ?」との根拠のない思い込みや、「薬の影響がどこまであるか分からない」との理解への放棄で、技術の進化が阻害されていることにも、アプローチして欲しいものです。

「認可フレーム制度により、重量の制限は撤廃」「ドーピング薬は、人体への悪影響がない事を証明すれば、認可される」など、できる事はあるはずです。
それが叶えば、将来、「そーいえば、当時は6.8kgなんて、あんな重たくて古臭いバイクでレースしてたんだ…」とか、「ランスって、あんな害のない薬を飲んだだけで、失格になっちゃたの??」とかいう話が出てくるかもしれません。


EUは(UKを除く)、未だに「神がアダムとイブを作った」なんて、ダーウィンの進化論を認めない宗教が色濃く残り、「魔女狩り」なんて、意識レベルでは続いている文化です。
実際、そんなラジカルな変更が、簡単に行われる訳もありません。


自転車競技の不幸は、意外と、ヨーロッパが主流であることなのかもしれませんね…。



以上、長々と書いてしまいました。
長文に付き合ってくださった方、ありがとうございます。そして、お疲れ様でした。



今日はここまで