MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

本当の第二主題

2014-05-11 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

 

05/11 私の音楽仲間 (579) ~ 私の室内楽仲間たち (552)




              本当の第二主題


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                  本当の第二主題

                 趣向は変わらんよ
                ドクソウ的じゃろうが…
                 流用とは何事じゃ!
                  お前は黙っておれ
                 お前は馬鹿じゃのう

 

 

 [譜例 1]は、引き続き ドヴォジャーク の 弦楽六重奏曲
イ長調 Op.48 から、第Ⅰ楽章です。


 「おや? なんだか似てるぞ、前回の譜例と。」

 そのとおりなんです。 細かい違いは後ほどご覧いただくとして、
まず演奏例の音源]をお聞きください。 色塗り音符の現われる
” からスタートします。
                             

 



 前回は再現部、今回は提示部の、同じ部分。 そっくり
なのは当然ですね。

 相変わらず “ff の molto tranquillo” が見られます。
ここでは嬰ハ長調。 やはり8小節の音楽ですが、
これが私の疑問のタネでした。

 

 何はともあれ、9小節目の “” で、音楽は “in tempo” に
戻ります。 さりげなく pp で。

 その8小節間で聞こえる “合いの手” が、ピンクの2小節
の形でした。 第一主題の一部で、これも前回と同じです。


 上の[譜例 ]の後、7小節が経過すると、繰り返し記号が
現われる。 この演奏例の音源]も、楽章の冒頭に戻ります。

 それが下の[譜例 ]です。


 


 

 さて、私の疑問とは…。 molto tranquillo” の8小節でした。 

 「第一主題でも第二主題でもないのに、なぜ “特殊なテンポ”
なのか?」 ここには、作曲者の深い思い入れが感じられるの
です。

 

 私の思い付いた “解答” を先に言ってしまえば、これは
第二主題のアニマ、魂” だからではないでしょうか。

 

 なぜ “第二主題のアニマ” などと書いてしまったのか。
私には似つかわしくない言葉ですね。

 その理由は、「作曲者の思い入れが感じられるから」。
先ほども書いたとおりです。


 でも、ちゃんと説明できないといけませんね。 理論的な
補強も必要でしょう。 勘の鋭い貴方には不要だと思うの
ですが。



 先ほどもご覧いただいた、下の譜例 ]では、まず第二主題
聞えました。 2小節から成る、リズミカルな動きです。

 色が3つありますね。 そのうち、ここで大事なのはです。
それぞれ完全5度音階。 いずれも上昇音形です。

                             ↓    ↓
 


 これを、3段目の “molto tranquillo” と比べてみましょう。

 最初だけは “長3度” ですが、完全5度で二度繰り返されて
いますね。 後者が主体なのではないでしょうか。

 なお、その後の音階下降音形に変わっています。


 ただし音価はすべて、二倍に長くなっています。 四分
音符二分音符に。 八分音符は四分音符に。

 両者の間には関連が無いようにも見えますが、これは
作曲家の用いる常套手段です。 使われる素材の数は、
意外に限られている。


 特に、このドヴォジャークは曲者です。 作為が
表面に顕われない、“職人的” な作曲家だから。

 それほど彼の書法は流麗なのです。 ただの
“歌謡作家” ではありません。


 下の[譜例 ]は、前回ご覧いただいたもの。 再現部
様子で、やはり第二主題からスタートします。
 


 
 ただし、その第二主題には、完全5度は含まれていませんね。
この再現部では、敢えて避けているようにも見えます。 ここでは
展開が行われているからかもしれません。

 完全5度が現われるのは、四段目の “molto tranquillo
になってから。 これ、私には「お待たせしました!」…と
言っているように感じられます。

 ちなみに、この上昇完全5度は、第一主題では下降完全4度
として登場しています。


 これらが、作曲家の “深謀遠慮” なのかどうかは、もちろん
断言できません。 しかし、楽譜を眺める立場からすると、
すべてが “様々な暗示” にさえ見えるのです。

 作曲家の思考過程は、謎に包まれています。 演奏者は、
残された楽譜から、それを再創造しなければならない…。


 まるで推理小説ですね。 なんとも
浮世離れした、因果な作業です。


 
 さて、この“完全5度下降音形” から成る、2小節の音楽。
私は、ある別の曲を連想せざるを得ません。

 ハ長調で言えば、【Do - Sol - Fa Mi Re Do】。 同じ
ドヴォジャークの曲の一節です。

 作曲時期は異なりますが、この六重奏曲より、
はるかに有名な作品です。


 それ、何だと思われますか?
 


           音源ページ]





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