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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

澁澤龍彦、幻想の世界NO.55・・・「玩物草紙」を読む

2011-10-25 | 澁澤龍彦

澁澤龍彦の本を読むのは久しぶりです。丁度、4年くらい前に没後20年を迎え美術館や文学館で澁澤龍彦に関する展覧会が催され、雑誌でも特集されたのに合わせて彼の本を学生時代から数十年経って再び手に取ったのありました。澁澤の文章は博覧強記で、読んだことがない本を始め知らない固有名詞が多々登場するので、数行読んでは感心し、感心しては自分の無知に嘆き、そのうちに彼の文章が何の役にたつのかと勝手に攻撃し始め、しかし、気持ちが落ち着くとやっぱり彼の提示する世界が魅力的に感じ、再び本を手に取りその世界を夢想する、そんなことを繰り返すのが私の澁澤との接し方であるようでした。やっぱり、続けて、連続して読むのはちょっと辛いかも、でもポイントポイントで読みたくなる、そんな印象なのが澁澤の本なのです。

 

ところで、この「玩物草紙」は朝日ジャーナル(昔は知的な人は読むべき雑誌のような立ち位置だったのですが、今では廃刊になって久しいです)に連載していたエッセイをまとめたもので難しくないので、気軽に通勤電車の中で読むことができるのが丁度いい感じでした。丁度、山手線の2駅くらい分で1篇のエッセイを読むことができます。その軽さがいい感じでした。特にこのあとがきを読むと『あらためて読みかえしてみると、この『玩物草紙』は、私の五十代の幕開きという感じがする。自分では軽やかに語っているつもりでも、すでに中年をすぎた男の哀感が随所に出ているのが分る。』とあり、同じ年齢くらいに書いたものなのかと親しみも覚えるのでした。

 

その澁澤のエッセイを読んでいると彼のいたずら好きな側面が見えたり、博学で知性の固まりなような彼でもテレビのスイッチの入れ方を知らないとか意外な側面があることに気がつきます。澁澤がこの世を去って20年以上経ち、世の中はコンピュータによってネットワークされた時代になり、澁澤が提供したコアな情報もインターネットで簡単に検索ができるようになりました。いやいや、当時はテレビが茶の間に入ったというだけで相当な情報革命であったに違いないのに、そのテレビをつけることができないというその時代でも化石のような人物。もし、今でも生きていたら澁澤は彼が生きた時代に比べ遥かに情報化が高度に進んだ世界のことをなんと評するのだろうか?と思います。でも逆に、返ってその凄さを感じさせてくれるのは、情報が過多な時代でも色褪せることなく充分すぎるほどコアな感覚を保っているということ。インターネットは検索できてもそれを思想としてまとめることはできないのだから。独特の観点で独特な立ち位置を築き上げた澁澤の文章は、まさしく知の巨人であったというのに相応しいのだろう。なぜならば、冒頭に書いたように、読んでいて彼の博学強記さによって嫌気がさすように振り回される凡人としての私がいるのだから…。

話は一変しますが、最後に澁澤龍彦はそのエッセイの中の一項目で男根について言及しているところがあります。30年前、私が高校生の頃、当時テレビで放送していたドラマ「青春の門」を見ていたとき、男はもう一匹の獣を下半身に飼っているようなもんだという台詞があって、思春期の毎日、体が疼いてしょうがない悶々とした日々について、そうかこいつは獣なんだと妙に納得した記憶を今でも覚えています。澁澤の言及はそれを思い起こさせるに充分な内容で、この性の宿命は歳をとっても変わらないもんだと感じるこの頃なのでちょっとそれを引用して終わりにしたいと思います。『男根の運動の最終目的は、そこらじゅうにスペルマをばらまくこと以外にはあり得まい。そのスペルマの散溢する場所が女のヴァギナであれアヌスであれ、あるいは他のどこかの穴であれ窪みであれ、男根それ自身運動のとは本質的に何の関係もないはずである。さればこそ、男根の運動は論理的に無法だということも言えるわけであり、また孤独だということも言えるわけであろう』※『』部分、「玩物草紙」澁澤龍彦著(中公文庫)から引用

玩物草紙 (中公文庫)
澁澤 龍彦
中央公論社

 

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