goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然なるままに

人は一人で生きているのではない、みんなの愛の支えで生きていけるのです。
だから生ある限り、周りの人を愛していきたい。

菊池市の石橋(1)

2006年11月03日 | 石橋探訪
先月の27日に、菊池市を訪れた折りに、この地に沢山ある石橋を、探索することにしました。調査や資料などの前準備も、まったく無しの無謀な計画を、立ててしまいました。さて、どうするかと考えながら、走っていると、菊池市市役所の看板が見えてきた。またここに聞けば、何らかの情報が得られるかも知れない。受付の方に聞くと、経済振興課(だったと思う。)を紹介して貰う。訪ねると、二人目の方が、旧菊池市時代に、石橋MAPを作られたという。資料を頂けるというので、待っていると立派な「菊池市散策シリーズ 石橋めぐりMAP」というパンフレットをゲットしました。やったあと喜んだのは当然です。お礼を言うと、颯爽と市役所を出て、一路龍門ダム方面に車を進めた。中央線はないが、立派な道路である。あとは地元の方や、おばあちゃん、駐在さんご夫婦、お店の方などに、お聴きすると、本当に親身になって、石橋を教えていただいたのです。地元のみなさん、本当にありがとうございました。今日紹介する石橋は、その1として、迫間(はざま)橋、綿打(わたうち)橋、雪野橋、おまけとして、寺小野橋(但し、下部はコンクリート橋でした。)の以上4つの石橋です。
菊池市 石橋探索(1)
<
これは迫間橋です。まだ立派な現役ですよ。車も通っています。きれいな形状ですね。迫間橋の上部です。先に歩いているおばあちゃんが丁寧に挨拶されて行かれました。気持ちが良いです。横の畑に降りて撮りましたが、中々立派でしたね。これは上流側の民家の庭から、断って撮ったものです。そこの奥様と少し話しました。時々見に来られる方がいるそうです。これは綿打橋です。上部はきれいですが、蔦などに覆われて、中がよく撮れませんでした。横側も雑草、蔦に覆われていて、上手く撮せなかったです。きれいに草を刈ったが良いのかは疑問です。反対側はコンクリートで補強追加工事されていましたので、写真も撮りませんでした。右側は欄干と云うのでしょうか、きれいに残っていますね。左側は鉄製のガードレールでした。これは雪野橋です。民宿の敷地にあり、建物に同化されていました。うーん、なんでこんな事になったんでしょうね。理解に苦しみますね。こちら側が辛うじて、石橋だったことを示しています。白いテーブルセットの手前に銘が「雪野橋」とありました。おまけ画像 ここは寺小野橋です。下部はコンクリート製です。最初、地元の人が間違えて紹介したのかと、思いましたら、その下流に石橋がちゃんとありました。次ぎに紹介します。川の両岸が草木がよく茂っていて、上手く全貌が撮れません。石橋じゃないので、撮影が雑になりました。もっと下流に行けば撮れたかも。 以上です。
<
< <
Sakuraさんの勉強部屋よりお借りしています。 id=maru037石橋のデータ ・迫間橋 橋長:36.4m、橋幅:4m、高さ:10m、架設:文政2年(1829) ・綿打橋 橋長:9.8m、橋幅:2.2m、径間:7.7m、拱矢:2.6m、架設:文政9年(1826)、 昭和2年拡幅 ・雪野橋 データ不明。 ・(おまけ)寺小野橋 データ不明(下部はコンクリート橋)石橋のデータは熊本県国府高校の石橋サイトからのデータをお借りしました。但し、雪野橋に関しては、このサイトの雪野橋と、私が調べて確認しました雪野橋は違う物ではないでしょうか。この橋には、ちゃんと「雪野橋」と銘が入っていました。ただ民宿「ゆき乃」の敷地内にあり、建物の一部になっていました。私には、どちらが正しいのか、分かりません。 また、寺小野橋は石橋としては、カウントされていません。上部はれっきとした石橋に見えます。素人の想像で、違うかも知れませんが、古い石橋の上部を生かして、下部をコンクリートで補強したアーチ橋だということはないのでしょうか。その点は専門家ではありませんので分からないところですね。こんな想像もロマンがあります。これらの石橋は今までも、今からもしっかりと残して、守るべき先人からの遺産だと強く思いました。