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異様な原風景 安倍晋三と徳田虎雄(執念の相違にみるカリスマ性)

2013-10-17 | Weblog

貧しき離島出身の病院王徳田虎雄

東京地検特捜部の強制捜査(公職選挙法違反)を受け、医療グループの徳洲会を率いる徳田虎雄(75)が8日、理事長の辞任を表明した。

離島の貧村から一念発起して医者を志し、「医療改革」を掲げて日本医師会や地方自治体と衝突を繰り返しながらも、一代で国内最大の病院チェーンをつくりあげた「稀代の病院王」。 

■眼球の動きだけで意思疎通

JR東海道線の大船駅から車で10分の場所にある湘南鎌倉総合病院の上層階に、徳田の病室兼執務室がある。だが足を踏み入れても、部屋の主の声は聞こえない。

「プシュー、プシュー」――。

人工呼吸器が単調な音を響かせるだけだ。

 
 
 
目の動きで透明な文字盤に書かれた平仮名を指し示し、意思疎通する徳洲会グループの徳田虎雄理事長(神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院)

2002年に発症した難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に苦しむ徳田は主要な筋肉をほとんど動かすことができない。病状悪化にともない、胃に管を通して流動食を摂取する「胃ろう」の手術を受け、気管を切開して人工呼吸器を取り付けた。体の動き、そして声を失い、今は唾液を飲み込むこともできず、介護する人間が管を使って唾液を吸い取る。

唯一動かせるのは眼球。

ひらがなの五十音が記された透明な文字盤を徳田がぎょろり、ぎょろりとにらむと、秘書は徳田の眼球の先にあるひらがなを一字ずつ読み上げる。

眼球の動きだけを頼りにしたインタビューのなかで徳田は疲れた様子も見せずに後継者問題や医療改革、さらには自身の寿命についてまで語った。

「私はまだ大きなことを成し遂げたとは思っていない。離島やへき地、発展途上国の医療にも生命だけは平等という理念を広げるべき」

「理事長の仕事を続けているのは、私よりも理念や使命感があり実行力のある人がいないから」

「体は動かないが頭はさえているから(経営)判断は正しいはずだ。(死を迎えることについては)淡々と受け入れるしかないと思っているから、怖いと思ったことはない」

全身の筋肉がやせ細る難病のALSは10万人に1人の割合でかかるといわれ、有効な治療法もない。

だが、02年の発症以降も徳洲会グループの重要な経営判断はすべて徳田自身が下し、眼球を動かして伝えてきた。

「執念」――。

病室兼執務室にこの2文字が記された額縁が掲げられている。

実家は奄美群島の徳之島。貧しいサトウキビ農家の8人兄弟の長男として生まれた。9歳のとき、3歳の弟を亡くした。原因不明の高熱に苦しむ弟のため、虎雄は深夜に明かりすらない夜道を駆け島内の医師宅を回ったが、ようやく来てくれたのは翌日午後。弟はすでに息絶えていた。

「生まれて初めてどうしようもない怒りと悲しみを覚えた。私も病気をすると死ぬかもしれない恐怖心もあった」。

医師になることを誓ったこの時から徳田はすさまじい執念を全身から発し、ほとんど不可能と思えることを次々と実現させていく。

■生命保険を担保にして病院建設

徳田の自著によると「離島の小学校でもクラスで5番以内に入ったことがなかった」。しかし、浪人時代、「風呂に行く回数を減らし、1日16時間勉強した」。その結果、2浪の後に大阪大学医学部に合格。

1973年、34歳の時に大阪府松原市に第1号となる徳田病院(現・松原徳洲会病院)の開院にこぎつける。

幅広い医療技術を身につけ、カネを稼ぐため公立病院などで週6日泊まり込みながら、合間に救急医療態勢が大阪府で最も手薄な地域を調べ上げ、キャベツ畑だった地を建設候補に選んだ。

何も後ろ盾のない徳田は死亡時支払い1億7700万円の生命保険に入り、保険金の受取人を銀行とする委任状を書き、金融機関から融資を引き出した。

 「24時間オープン、年中無休」
 「生命だけは平等だ」
 「患者様からの贈り物は一切受け取らない」

患者第一主義を掲げた徳洲会は関西を起点に勢力を拡大していく。

心血を注いだのは離島医療の充実だ。奄美群島の医療態勢の底上げを図るため、1986年に故郷、徳之島に離島初の病院を開院した。

だが、次第に地元の医師会とぶつかり思うように開院できないケースが増えてきた。病院開設の許可の権限は地方自治体にある。

徳洲会の相次ぐ病院建設に対し、医師会は政治家を使って自治体に許可を出さないよう働きかけた。

ここで、徳田は政界へ転身をはかる。自民党に影響力のある医師会と戦うには、自身も政治勢力を持つべきと考えたからだ。

■側近の解任で「徳田王国」にきしみ

90年、奄美群島区から衆院選で初当選。

自民党の現職だった保岡興治との激しい争いは「保徳戦争」と呼ばれ、多くの徳洲会の職員らが選挙運動に駆り出された。買収工作も行われとみられ、双方の陣営に逮捕者も出た。徳田は「政界に進出しなければ徳洲会はとうの昔につぶされていたはず」という。確かに苦労して手にした政治力は時に徳洲会を守る盾となり、攻める矛となった側面はある。

しかし、派手な選挙活動をともなった政界進出は毀誉褒貶(ほうへん)を一層激しくし、今回の東京地検特捜部の強制捜査と徳田の理事長辞任の遠因になっている。

*12年5月、徳田の最側近とされた能宗克行が医療法人徳洲会の専務理事・事務総長の職を解かれた。徳田が率いていた政党、自由連合の解散にともなう政治資金の清算処理を巡る、能宗と徳田ファミリーとの対立が発端とされる。「徳洲会と自由連合のすべてを知る男」と呼ばれた能宗の解任以降、強固な結束を誇っていた「徳田王国」はきしみ始める。

*今年2月に徳田の次男で自民党衆院議員である毅の女性スキャンダルが露呈し、毅は国交・復興政務官を辞任。9月17日には毅の衆院選挙応援を巡る公職選挙法違反の容疑で東京地検特捜部が強制捜査に着手した。

以降、グループ内部からも徳田の理事長辞任を求める声が公然と湧きあがり、徳田が理事長退任を表明しなければ収まりがつかなくなってしまった。

■経営手腕には高い評価

「政治に走らず、病院経営に専念したほうが発展できたはず」と複数の医療関係者は指摘する。

*約3500億円の医業収入に対し、約370億円の税引き前利益(11年度)。政治力を使った強引な拡大路線は様々な軋轢(あつれき)を生んだが、採算確保が厳しい離島医療を広げながらも、高収益体質を維持してきた徳田の経営手腕を評価する声は依然として根強い。

「大企業病にかかっていないか」――。徳田の組織運営はシビアだ。

*2~3カ月に1度、国内66病院の4役(院長、副院長、看護部長、事務長)が全員参加する「徳洲会経営戦略セミナー」。収益性で成績の悪かった病院の4役を順番に前から座らせ、なぜ収益性が他の病院より悪いかを報告させる。「病床数や自治体の人口構成などが似通った病院同士で経営成績を競わせ、監視の目を行き届かせる」(副理事長の鈴木隆夫)

*画面上に患者の入院日数が色分けして映し出され、長期入院患者には退院を促す。ベッドの回転率を高め、空きベッドを作らせない工夫をする。1日でも空白を作らないよう、睡眠時無呼吸症候群の検査として1泊過ごしてもらうといった「増患対策」もする。本部では医薬品や医療機器は一括購入しコスト削減を徹底する。04年にはいち早くWBS(ホールビジネス・セキュリタイゼーション)と呼ばれる、医療事業全体を証券化する手法で2000億円以上の資金を調達し、医療界をあっといわせたこともあった。

■東欧、アフリカにも医療施設

「よくも悪くも、経営を意識した医療機関だと感じた」――。

徳洲会系列の病院で働いた経験を持つ医師は振り返る。コスト管理の意識が高く、人件費の高い医師にはその医師にしかできない業務に専念させ、看護師が一部の医療行為に関わることもあった。「徳洲会以外の経営母体だったら、医師が足りずに病棟を閉めていたかもしれない」と元徳洲会勤務の医師も評価する。ただ弱点もあった。徳洲会の理念に共鳴し、優秀な医師が集まる一方、大学とのパイプが弱いため本来はとても一線に出せないレベルの医師もいたという。

一貫してブレなかったのは「離島・へき地医療の充実」。
 
鹿児島県の下甑島で離島医療に携わりドラマ「ドクターコトー診療所」のモデルになった医師の瀬戸上健二郎は、徳田の離島医療へのこだわりについて「ヤケドしそうなほど熱気が伝わってきた」という。「少なくとも10年ほど前までは、緊急の手術や最新の医療機器が整った徳洲会病院のある地域とない地域とでは、医療格差がはっきり存在していた。離島医療の最大の貢献者と言っていい」

へき地医療の意欲と理念は新興国にも及んでいる。06年にブルガリアの首都、ソフィアに東欧では最大の病床数を誇る1016床の大型病院を開院。アフリカでは人工透析装置のセンターを相次ぎ新設した。世界に200の病院施設をつくる目標を掲げている。

徳洲会は近く幹部会を開き、新しい理事長を決めるという。

もっとも眼球の動きひとつで2万5千人超の組織を動かしてきたカリスマの後を埋めるのは容易ではなく、徳田が経営に関与し続けるとの見方が強い。

一部からは強い反発と誹謗(ひぼう)に晒される徳田の生きざま。だが、独特の経営手法で高収益の医療グループを築き、離島・へき地医療を担ってきた実績は消えない。

ALSという病気は最終的には眼球の筋肉の動きすら止め、いずれ徳田から意思疎通の一切の手段を奪ってしまうかもしれない。たぐいまれな経営理念と経営手法を継承するために残された時間は少ない。


 

一方、

富裕層出の政治家安倍晋三

都合いい数字引用 所信表明演説

安倍晋三首相が十五日行った所信表明演説では、デフレ脱却に向けた成長戦略の実現、被災地の復興加速、福島第一原発の汚染水対策などを重要課題と位置付けた。しかし、政権にとって都合のいいデータが多く示され、厳しい現実を示す数値は示さなかった。これでは国民の信頼は得られない。

◇経済

首相は経済政策に関し「昨年末○・八三倍だった有効求人倍率は、八カ月で○・九五倍になった」と、雇用状況が改善していると強調。「若者、女性をはじめ、頑張る人たちの雇用を拡大し、収入を増やす」と明言した。

だが、総務省の労働力調査によると、政権が発足した昨年十二月以降、非正規雇用の労働者は増加している。昨年十二月は約一千八百四十三万人だったが、今年八月には約六十三万人も増えて約一千九百六万人。過去最多の水準になった。逆に、正規雇用の労働者は微減しており、安倍政権の政策が雇用の安定につながっているとは言えない。

◇復興

東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた集落の高台移転について、首相は「ほぼすべての計画が決定し、用地取得や造成工事の段階に移った」と順調に進展していると説明した。

しかし、震災から二年半がたつのに、対象の三百三十四地区のうち、造成する業者が決まったのは百四十三地区しかない。造成工事が完了したのは十地区のみ。安倍政権が経済政策として全国で公共事業を増加させたことで、被災地で資材や作業員を調達しにくくなった影響も出ている。

◇汚染水

東京電力福島第一原発の汚染水問題に関して「漁業者が事実と異なる風評に悩んでいる。食品や水への影響は基準値を大幅に下回っている。これが事実だ」と述べた。

しかし、福島県沖で捕れた魚から、食品の基準値(一キロ当たり一〇〇ベクレル)を超える放射性物質が検出されるケースが相次ぐ。今月だけでも、岩礁帯に生息するシロメバルから一キロ当たり五〇〇ベクレル、海底のババガレイから同じく三〇〇ベクレルの放射性セシウムを検出した。

◇外交

演説では、外交政策について「首相就任から二十三カ国を訪問し、延べ百十回以上の首脳会談を行った。世界の平和と繁栄に貢献する」と語った。

しかし、歴史認識などをめぐり対立が続く中国、韓国との首脳会談は実現していない。演説では両国との関係改善には触れず、事態打開のめどが立っていない現状を浮き彫りにした。