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[責任のとりかた] 海自による’SOS’救出劇の場合(更新7/1) 

2013-07-01 | Weblog

更新記事:辛坊治郎さん遭難で、イラク人質事件の今井紀明氏がコメント

◆かつての自己責任論について

もう一つ今回議論となっているのが、辛坊氏がかつてイラク日本人人質事件被害者に対して「自己責任」論を展開していたという事実です。

イラク人質事件の被害者としてバッシングされた当の今井紀明氏にお話しを伺いました。事件後は道を歩いているだけで突然殴られることもあったという今井さんは、「悩みましたが、これは言いたいことなので言います。

僕は国民であれば誰であろうとどんな人であろうと助けられるべきだと思う。彼が当時批判していたことなど関係ない」といいます。

「これ以上の発言は今の立場ではできませんが、僕が言うことにも意味があると考えましたし、とりあえず意思表示だけしておこうと思いました。」と語る今井さんは、現在NPO法人の共同代表(※)として、不登校やひきこもり、いじめの経験者が多いとされる通信制高校でキャリア教育プログラムを実践しています。

当時自己責任を問われて「わからない」と答えた今井さん。彼だからこそ感じることが出来た絶望と希望があったはずです。

その葛藤と経験をバネに社会に目を向け、新たな道を開拓する姿は若者の共感も集めているようです。

全文を読む

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yahagikunihiko/20130629-00026065/

 


記事:辛坊さんヨット遭難 “海の藻くず”と消えた金額

救助の燃料費だけで500万円

無事で何よりだが、釈然としない。

太平洋横断を目指していたニュースキャスター辛坊治郎さん(57)と全盲のセーラー岩本光弘さん(46)の小型ヨットが浸水し、遭難した話だ。今月16日に福島・小名浜港を出発し、8月10日ごろに米西海岸サンディエゴに到着する予定だったが、1週間足らずで“沈没”した。

辛坊さんらが海上保安庁に「SOS」を発信した21日早朝から、救助されるまで約半日。その間、まるで映画「海猿」みたいな救出劇が繰り広げられた。

「2人の救助には海保だけじゃなく、海上自衛隊も出動しています。海保はジェット機と巡視船『ざおう』を宮城県から約1200キロの太平洋上に向かわせ、海自もP3C哨戒機と救難飛行艇US2を飛ばした。ところが悪天候で燃料切れ、1回目は2人の無事を確認して引き返し、改めてもう1回、2機を派遣しています」(防衛省関係者)

で、ようやく2人を救助。海保や海自など公的機関の救助活動にかかる費用は当然、税金から支払われる。遭難者には請求されない。辛坊さんは「救助に税金を使って反省しなければ」と謝罪していたが、一体いくらかかったのか。

「海保のジェット機は、往復2400キロとして燃料費が100万円前後ってところでしょうか。海自を含めて計5機飛ばしているので、燃料費だけで少なくとも400万~500万円はかかったはずです」(軍事ジャーナリスト)

人件費を含めたらもっとだ。それらがすべて血税で賄われる。

「今回の太平洋横断は、ヨットを所有している吉本グループ元社長の呼びかけに岩本さんが応じたところから始まった。ただ、全盲の岩本さんひとりでは機材も高額になって億単位のカネがかかるというので、元社長が、大学からヨットを始めたという辛坊さんを口説いたんです。機材などはスポンサー提供で無料とはいえ、最新の通信機器だけで1000万円は下らない。破棄されたヨット本体なども含めたら、まあ、数千万円は“海の藻くず”と消えたんじゃないですか」(事情通)

“男のロマン”は高くつく!?

記事:辛坊さんを襲った9年前の「自己責任論」

「たった2人の命を何百人で救ってくれた。本当に海上自衛隊、海上保安庁の皆さまには感謝しています」「この国の国民であって本当に良かった」。

ヨットで太平洋を横断中に救助されたニュースキャスター、辛坊治郎氏(57)はこう言って目を潤ませた。命が助かったのは喜ばしいかぎり。だがこの一件、美談で終わりそうもない。辛坊氏の過去の発言を非難する書き込みがネット上に噴出している。

04年4月、イラクで高遠菜穂子さんらボランティアの日本人がイラク武装勢力に拘束された。このとき、辛坊氏はテレビで「自己責任」を主張。そのことでヤリ玉に挙がっているのだ。

〈辛坊がイラクで、民間援助にあたり拉致された高遠さんを追及した言葉を忘れるな! 自己責任! 自費で支払えと言ったことを〉〈貴方イラクで人質になった日本人を大上段で「自己責任」と切り捨ててませんでしたっけ?〉とケチョンケチョンである。

元外交官で評論家の天木直人氏も自身のブログで辛坊氏を批判している。
〈思い出すのがイラクで人質になった若者三人に浴びせかけられた「自己責任論」だ。当時辛坊氏は徹底的に小泉政権の肩を持つ発言を繰り返していた。その自己責任論者が自己責任を取らなくていいならこれほどの冗談はない〉

天木氏があらためて言う。
「正確な言葉は忘れましたが、あのころ辛坊氏はイラク戦争に反対している人々に厳しい態度を取っていました。人質になるというヘマをしでかすとはけしからん、と言わんばかりだったのです。彼は時の権力者側に立ちたがる人。だから弱者に厳しいのです。そもそも今回の航海については、万全の備えや訓練を積んで出発したかも疑問です。自己責任を振りかざした人が大勢の尽力によって、イラクの人質たちみたいに助け出されたとは皮肉で滑稽な出来事。辛坊氏は当分、自己責任論を語れないでしょう」

当然、海自や海保の救出費用は自己負担するのでしょうな。


 参考:

太平洋単独横断航海など数々の冒険を成功させた海洋冒険家の堀江謙一氏(74)は「僕自身は、水が入って船を放棄したということはない。ヨットマンにとって船を捨てるのは、苦渋の決断」とコメントしている。

堀江 謙一:

1938年生。海洋冒険家。現在、学校法人大前学園&西宮甲英高等学院の校長。

1962年、小型ヨット「マーメイド号」による西宮-サンフランシスコ間の太平洋単独横断航海に成功。

水20リットル、米40kg、缶詰200個を積んで出航した。水は20リットルでは足りず、航海中に甲板に降った雨水を蓄えるなどした。

当時はヨットによる出国が認められなかったため、「密出国」という形になった。

日本では当初この点について非難が殺到し、犯罪者扱いすらされたが、当時のサンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れたところ、日本国内のマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように堀江の偉業を称えるものに変化した。

その後帰国した堀江は密出国について当局の事情聴取を受けたが、結果起訴猶予となった。

1974年には「マーメイドIII号」で、イギリス人のロビン・ノックス・ジョンストンに次ぐ世界で2人目の単独・無寄港世界一周航海を270日余りで成功させた。これについても、石原慎太郎から『週刊プレイボーイ』上で成功する可能性があり得ないものとして非難された。

2004年には、ヨット「SUNTORY マーメイド号」で単独無寄港による世界一周航海(東回り)に挑戦し、10月に西宮市の新西宮ヨットハーバーから出発、2005年6月に同地に無事帰還を果たした。東西両方向周りで世界一周航海をしたのは日本人初、世界でもオーストラリア人に次ぎ2人目という記録である。

2006年7月、69歳になる2008年春に波の力だけを動力とする波浪推進船「SUNTORYマーメイドII号」(速さは約3ノット、2007年5月30日完成)で約6000Kmある紀伊水道-ハワイ間の世界初の航海に挑戦する、と発表した。同船は東海大学海洋学部の協力で製作された。なお、これは波浪推進船の初の実用航海になるものとされている。船は、2008年3月15日ハワイホノルル沖を出港、当初の予定よりは遅れたが、2008年7月4日午後11時50分、和歌山県・日ノ御埼沖の洋上に設定したポイントに無事ゴールした。

1962年 世界初 単独太平洋横断
1973年~1974年 小型ヨットで西回り単独無寄港世界一周
1978年~1982年 約4年間にわたる挑戦の末、世界初の縦回り世界一周
1985年 世界初、太陽電池によるソーラーボートで単独太平洋横断
1989年 世界最小の外洋ヨットで太平洋単独横断
1992年~1993年 世界初、足漕ぎ(人力)ボートで太平洋単独横断
1996年 アルミ缶リサイクルのソーラーパワーボートで南米エクアドルから東京まで太平洋単独横断
1999年 ステンレス製ビール樽528個とペットボトルのリサイクル素材利用のカタマラン(双胴船)で太平洋単独横断
2002年 「太平洋ひとりぼっち」から40周年記念としてウイスキー貯蔵樽材再利用で’62年と同じ大きさのヨットで太平洋単独横断
2004年~2005年 ホーン岬東回りで単独無寄港世界一周
2008年 世界初、ウエーブパワーボートで太平洋単独横断

[2013参院選] 国民の合言葉 ’ねじれ国会歓迎 アベ自民1強阻止’

2013-07-01 | Weblog

記事NHK:首相 ねじれ国会の解消へ決意示す

安倍総理大臣は、大阪・豊中市で記者団に対し、来月4日に公示される参議院選挙について、「チャレンジャーとしての緊張感を持って臨まなければならない」と述べ、ねじれ国会の解消に向けた決意を重ねて示しました。

この中で、安倍総理大臣は来月4日に公示、21日に投票が行われる参議院選挙について、「チャレンジャーとしての緊張感を持って臨まなければならないし、この思いを党全体で共有して、前に進んでいかなければならない」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「国会のねじれを解消し、政治を安定させて、しっかりと経済の再生を進めていくことがわれわれの使命だ」と述べ、ねじれ国会の解消に向けた決意を重ねて示しました。


管理人コメント

第二次世界大戦の終戦後、日本国憲法の制定がされた際に、連合国総司令部(GHQ)から提示された最初の草案、マッカーサー草案は一院制であった。それをわざわざ両院制に変更したのは日本側だった。

マッカーサー草案は、1946年2月13日に外務大臣公邸にてGHQ民政局長ホイットニー准将が外務大臣吉田茂と憲法改正担当国務大臣松本烝治との会見の席で提示された。

ところが草案を見た国務大臣松本がその場で、二院制の検討をホイットニー准将に約束させたのだ。

その理由については、その後、帝国議会と枢密院での議論のために法制局が作成した想定問答集の中で明らかにされている。引用。

(問)一院制を採らず両院制を採る事由如何

(答)一院制を採るときは、いはゆる政党政治の弊害、即ち多数党の横暴、腐敗、党利党略の貫徹等が絶無であるとは保し難いのであって(以下略)

このように、「政党政治の弊害」を両院制を採る理由としている。

たとえ、1回の選挙で勝利し一院で過半数を取ったとしても、第二院があるため法改正を自由に行えない。法改正を自由に行うためには2回続けて選挙に勝利しなければならないという仕組みだ。

この仕組みだからこそ、法律の改革の迅速性を犠牲にしながらも、間接民主主義の問題点である多数党が民意を離れて暴走することを防ぎ、また1回の選挙で勝ったからと言って暴走すれば2回連続では選挙に勝つことはできず、国民は多数党の行動を見ながら真に立法権を託せるか時を置いて第二院の選挙で決することができる。

この「1回の選挙の結果では大きく法律は変わらない」というシステムのおかげで、「保守対革新」「資本主義対共産主義」「右翼対左翼」といった2極対立の戦後社会においても、社会の安定性が維持されてきたと言える。

だから、安倍が叫ぶねじれ国会解消は危険だ。国会審議の停滞は自分の乏しい政治手腕によるものだ。国民は「ねじれ国会歓迎」を合言葉に、安倍自民1強をなんとしても阻止しなければならない。

とにかく、憲法第96条の発議要件改正といい、安倍は姑息な手段にでて先人の英知をことごとく破壊しようとしている。